如来教という、江戸時代に始まった宗教を初めて知りました。
「如来」という仏教用語を使っていますが、仏教系の宗教ではありません。
如来様は諸仏や神々よりも上におかれ、諸仏や神々は如来様に仕える立場だそうです。
一尊如来きの、という女性が神がかりになり、如来様の言葉を語り、その速記録は266巻にも及ぶそうです。きのは、読み書きができなかったと言います。
私が興味を持ったのは、イスラム教やキリスト教との類似点です。 如来様が絶対の神であること、原罪の意識があること、マホメットのように神がかりから口述筆記で聖典を作ったこと、教祖の死にあたり、人間の苦しみをすべて負う、と宣言したこと、などです。
「さうでやさうでや、みんなの苦しみをおれ一人して引請るのでや」、「我身一分ならこんなくるしみはないがみんなの苦しみを己一人して苦しむのでや」
これが、教祖の最後の言葉です。キリストと似ています。
しかし日本では、この宗教が広がることはありませんでした。今も細々と続いているらしいですが、広く民衆に受け入れられることはありませんでした。
この宗教は仏教を責めることもあり、
「3000年前、如来は人の救いを釈迦に託したが、釈迦の死後3000年幾人の人が救われたか、釈迦の大たわけめ」
と熱弁をふるったそうです。 そこで、このたびは貴人でもなく男性でもない、無学な女性を選んで道を説かせ、救いをあまねくしようと如来が試みられたと説いています。
江戸時代にこのような新興宗教が流行し、しかもひどい弾圧は受けなかった、というから驚きです。
江戸末期になると教勢は衰えますが、明治初期、禅坊主が禅を捨てて入信し、禅をも取り入れながら、現在に至っているとか。
明治時代には天理教や大本教などの新興宗教が流行りました。
現代においては、新興宗教数え切れず、しかも雨後のタケノコのように次から次から出てきます。その全部が金目当てではないでしょうが、多くは金儲けを目的としているらしいことは容易に想像できます。
そして今、すっかり古い宗教になった感のある仏教やキリスト教やイスラム教も、かつては新興宗教として迫害を受けました。
そして、今もって、宗教は時に殺し合いの原因にさえなります。
たとえその宗教が金儲けのインチキではなくても、いや、本物だからこそ、殺しあうほど信じてしまうのでしょうか。
いずれにしてもいつの時代も宗教は生まれるのですね。
誰でしたか、フランスの宗教学者が、「神に会いたければパリの路地に行けば何人もいる」と言っていたのを思い出します。
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