日々精進するも、我、未だ一人前たらず。
無駄に馬齢を重ねるのみ。
しかれども後輩諸氏より見たれば、我、大傲慢の怖ろしき先輩なり。
我、外見を取り繕いてのやせ我慢により、かくの如き評価を得たり。
これ、我の望むところにあらねど、世の習い、年長者たるの自覚により、猿芝居を続けるのみ。
今、若かりし日に仰ぎ見た尊敬すべき先輩諸氏を想い浮かべ、初めて諸氏の心情を慮りたり。
先輩諸氏、正義を演じ、能率を説き、酒をおごり、人生を説く。
若かりし我、これを素直に受け止め、尊敬したるが、それは芝居であったかと、驚愕せざるはなし。
時は移り、酒をおごるが如きは個人的生活への侵害なりとて、その機会はわずかなれど、職場においては立派なる社会人を演じるが、今、我に求められたる役割なりと得心せり。
誠に面映ゆきことなれど、世の要請とあらば、甘んじて役割を引き受けむ。
果たして長じることによる成長とは何ぞや。
経験は重ねたり。
知識は増えたり。
勘は働きたり。
そは職務遂行上、重要なること疑いなし。
されど我、根本的の疑問を生ぜしめ、おのれを苦しめたり。
経験、知識、勘、我の人間的成長に関わりなし。
そは自動車の運転技能、向上するが如き小事なり。
我、未だ少年時代の混迷せる魂そのままに生きる心地して、ただそを外見上誤魔化す技を得たのみにあらずや。
さらば我、成長を求める能わず。
ただ未熟なる魂、そのままに世に擬態して生きるべからず。
他に生を全うする道なし。
あぁ、中年に至りてなお、心の安心を得られぬとは、我の魂そも腐りたりしか。