昨日からの続きです。前世を思い出した志摩川さんのおもいでです。志摩川さんはこの前生の記憶をアンデスあたりとしか言いませんが、マチュピチュの可能性があります(とびらの勝手な推測)。マチュピチュは16世紀半ばにインカ人が作った高度文明とされ、その後突然どこかに人々が消えてしまったとされていますが、そう考えていると謎だらけになってしまいます。
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二人は高原を走りまわりながらすくすくと元気に育っていった。
十歳を過ぎるころに石段作りの勉強のチャンスが与えられた。もちろん自分たちはその年齢に達するとすぐに申し込みをした。同年代の子供たちが何人か集まっていた。
本人自らが希望する子供たちは全員受け入れられた。授業は石の切り出しの場のすぐそばの地面の上でおこなわれた。・・・・・
「いいか、これは心の勉強だぞ」「自分のためにという考え方は捨てなければならない」「家の名誉のために・・ という考え方もこれと同じだぞ」「それから、『期待する』という考え方もしてはならない」「それは邪魔になるだけだ」「石垣が積めるようになったらどうなるとか・・」
「石が切れるようになれば、こういうことができるとか・・」「それに、この勉強をしたから、石が切れて石垣が作れるようになるとか・・」「こんなことばかり考えていると、全く逆の効果を生むことになるぞ」「石が切れて石垣が作れるようになったからといって、特別な人間になったということではないぞ」「今この勉強をしているからといって、選ばれた人間だと思い込んで得意になってしまってはいけない」「この授業を受けていないからといって、またこの超能力を行使できないからといって、その人が劣っていると思い込んではならない」「人は皆同じである」「老若男女すべてが同じである」「それが神であろうと悪霊であろうとすべて同じである」「すべてが自分であり他人である」「そしてすべてが他人であり自分でもある」
「誰も怒ってはならないぞ」「罵ってはならないぞ」「愚痴を言ってはならないぞ」「不平や不満を言ってはならないぞ」「言ってはならないのはもちろんのこと、思ってもいけないぞ」「そして心に浮かんでくるだけでもいけないぞ」
「それは他人に対することであっても自分に対することであっても、同様にいけないことなんだぞ」「乱暴されても、攻撃されても、絶対に抵抗してはいけない」「防御さえもいけない」「されるままになれ」「他人を助ける場合も絶対に抵抗や攻撃をしてはいけない」「そのときはその人の代わりとして乱暴されるままになれ、攻撃されるままになれ」
「いいか、加害者である彼らは偏りすぎた今までのバランスを修正するための、軌道を本来の道に戻すための役割を担う適任者なのである」「その暴力・攻撃は神のわざであると思え」「それは神の愛ともいえる」「殺されても憎むな」「それを自然(神)の愛として感謝できるようにしておけ」「だからといって無闇やたらと犠牲になれというのではないぞ」「犠牲の道よりも調和の道のほうがはるかに尊い」「神もそれを望んでいるはずだ」
「この理を知った者は、これを同様に知った仲間が他人から乱暴されいたとしても助けてはいけない」「これを助けることは神の愛に反抗することになる」「本人の成長進化を妨害することになる」「それは本人に対してひじょうに失礼な行為となる」「もしそれを黙ってみていられないのならば、その人の痛み・苦しみを共に分かち合え」
「なお、この理を知った上でなお他人に乱暴・攻撃を加えた者は、たとえ後で反省をしたとしても一切許されない」「永遠に地獄の業火(ごうか)に焼かれて苦しむものと思え」 「他人に為した行為は必ず自分に戻ってくるものであるが、その戻ってくることを期待して行為してはならない」 ― つづく ―
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これはなかなか納得のいかない考えだと思われる方もおられるでしょうが、まだ途中です。時代背景、石組みをする人の役割や、先生が(次回)言うように善悪は人知を超えていることなど、全体をお読みになってご判断してください。
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「人気ブログランキング」 ありがとうございました。
それにしてもすばらしい内容ですね。
あせってはいけませんが、続きを早く読みたいです。
夫にも読ませたい!(^^)
たしか「宇宙の理」をお読みでしたよね。
何年か前に著作権に触れないように掲載しましたからされではないでしょうか。
全文というのは今回が初めてです。
>あせってはいけませんが、続きを早く読みたいです。
そうですか、では頑張って明朝にはUPします。