真実の扉

「何もしないことをする時」「何も考えないことをする時」・・本当の自分の扉が開く

日本の使命23(愛について)

2019年12月13日 20時18分04秒 | 日本の使命


下記の記事は、2004年に「宇宙の理」7月号に書いた「日本の使命」の一部です。
 「日本人と神との関係」について書いています。 日本の使命21の続きです。あくまで2004年の時代背景です。

なぜ槇原敬之さんの写真が? と思われると思いますが、最後に出てきます。


こだわりからの離陸  (136)7月号 
日本の使命⑲(日本人と神との関係)

愛について

役割に基づく生活

「昔々、人の名前は役割を示すものとして的確に付けられていた」・・・・ 
 これは昔、宇宙の法則に精通した私の友人が言ったことですが、どれぐらい昔々なのかは別として、確かに今でも「一男」とあれば長男だと分かるし、「和子」とあれば「和」を重んじる女性の役割を演じて欲しいという親の思いが入っているわけです。

 また私たち日本人は自分を役割で呼ぶことが多い、ということを意識したことがありますか。
「お母さんの言うことを良く聞きなさい」 「これから先生が問題を出します」 「企画部長としての考えを言います」などなど。
外国でも人を役割で呼ぶことはあっても、私や私たちの一人称を役割で呼ぶ習慣はありません。
 また「奥さん~」(二人称)という呼称も日本特有だと思います。

 欧米企業では役職者も名前で呼ぶことが多く、場合によっては社長まで名前で呼びます。
 日本はまだ役職で呼ぶほうが一般的です。それで外国はフランクで日本は堅苦しいと思う人もいるでしょう(アメリカ人がファーストネームで呼び合うのは「敵意を持たない」ことのアピールであり、一種、「和」の知恵と言えるもの)。
 初対面の名刺交換も日本固有のものです。これも役割を提示して、その「場」を作ってから事を始めます。日本人は常にその「場」をすばやくその場で演じる自分の役割を察知して自分を全体の中に位置付けます。
 「場」が「個」を超えるのです。常に自分を押し出そうとする欧米とは創造の仕方が大分違います。日本人の集合意識の根底には常に「和」があるということです。

 日本人が自分を表現しないとか、優柔不断だとか、出る杭を打ちたがるとかいった欠点だけを否定的に(後で批判的記述をするものの)眺めるだけで終えては、日本人の持つ役割が観えて来ないのです。それでは日本人の欠点ばかりが目に付いて、日本人が益々嫌いになるだけでしょう。長所と欠点は表裏一体の場合があります。
 そういう神の国に至る必須の下地を、文化を、表面的な現象で排除しようとしてはいけないのです。
 例えば日本人が自分を表現できないのなら、和を第一に考えることを止め、個人を強く打ち出そうというような思考。


役割のメカニズム(意思を持ったジクソーパズル)

 先月紹介した「世界に一つだけの花」の歌詞に関して、昨年「NEWS23」にゲスト出演したSMAPに筑紫哲也キャスターは、この歌は反戦歌のようだと言いましたが、この歌の本質は「他を視ることではなく自分を視ること」です。
「人と競争することを止めよう」「一番を目指すな」ということです。
いくら歌詞が話題になってもそれを理解して実行しないと戦争はなくなりません。

 私が、多くの人がこの歌の意味の重大性を理解していないと言うのはそういうことです。
 私たち一人ひとりは誰も異なった輝きを持っていて、その輝きは役割を演じるために必要なものとして授かったものです。

 私たちはその固有の輝きを増す努力をすればいいのであって、決して人と自分が争うためにエネルギーを裂いてはいけないのです。
自分は全体の一部であり、全体の構成員です。一人ひとりがまだまだ自分の形を整えていないジグゾーパズルです。ジグゾーパズルは初めにひとつであったものを分散させ、また寄せ集め再集合を図ります。

 元々ひとつだったものが分割され、私たちは「自分(自ら分かれた)」となりました。
分かれた肉体を持った時に心が出来て、そのとき一人ひとりの自分の本体の心にちょっとしたエゴという汚れがつきました。その汚れには粘着性があり、空気中の汚れを次々にくっ付けるような習性がありました。

 再集合を図る使命(役割)を受けている私たちは、それを為そうにもこの本来自分のものではない汚れを払い落さないと元のサヤに納まらないのです。そこで自分磨きの人生が始まりました。自分を磨くことは基本的には自分の意志で為すのですが、自分と他人がぶつかり合って怒鳴りあったり、削りあったりすることも必要でした。そのとき心の本体が大変に傷つくこともありました。

 もちろん積極的に互いの体を洗い流しあうことだってありましたし、私たちの集合体としての神様は、別の次元から、陰(かげ)からそんな仕組みを作りながら応援してくれていました。
 なぜ陰からしか応援しないのかというと、神様が積極的に支援しているということが未だ未熟な私たちに気づかれると、それぞれの自分は神様に頼ってしまい、自分の人生を真面目にコツコツと歩かなくなるからです。

 いま私たちは一つになろうとしています。自分で自分は元々一つだったと気付き、パズルの一片としての役割を理解して歩み寄ろうとしています。みんなそれぞれが異なっていて、異なっているからこそ私たちは相互に援助し合って元に戻れるのだと気付いている人だけが、その役割を全うすることが出来ます。残念ながら、それはホンの一握りの人間でしょう。

 それで次に出来るパズルの集合は以前よりもだいぶ小さいかも知れませんが、以前よりも燦然と輝くでしょう。
 一人ひとりは神様の支援の下で、無意識に自分の体をその小さい全体にすっぽりと埋まるように補正しているかのようです。 実際のパズル・ゲームでは、意思をもたないパズルの一片を人間の頭脳が手を動かしてひとつになるように完成させましたが、人間と神との関係では、すべてのパズルの一片(人間)の意思が、パズル全体を観るひとつの(神の)意思と繋がり、元々私たちは一体であったと思い出し、ユートピアは成就されるのです。  

(「真実の扉」167頁~170ページに関連文書あり。
・意識をもったジグゾーパズル )
http://hws8.spaaqs.ne.jp/koganeitruegate/mokuji/honbun/6shou/6shou%20index.html#9

 このように元々一体である私たちはそれぞれのポジションを元々持ちます。ただ古い地球にそのまま還るのではなく、全く新しい地球に生まれ変わる中に納まるので、役割もある程度流動的と言えるかもしれません。そして私たちも生まれ変わらねばなりません。

私は愛

 さて次に、人間の身体を一つの宇宙に譬えて愛を考えてみます。
 私たちの身体が宇宙で、その宇宙の中を愛が流れているとイメージして愛を探ります。
 愛は遺伝しないのですから一人ひとりが愛を授かっているわけではありません。では愛はどこにあるのでしょうか。
  個としての私たちの身体に愛があるのではないのです。

 愛は全てです。愛は完璧に一つです。愛こそが唯一絶対の存在で、全体です。
 私の愛もあなたの愛も、そして神様の愛も一つの愛です。同じ愛なのです。愛は人によって異なるものではありません。
 無始から存在していた唯一の実在です。

 人間の身体では、愛を血液に置き換えてみると分かりやすいと思います。
 血液とは物理的にもとても大切で、血液の流れが命を支えています。病の殆どは血の流れやその質の異常が来ています。  私たち一人ひとりは指一本でも細胞一つでも構いませんが、それに例えることができます。
それぞれは個の存在として分化した存在です。心臓を所謂神としてみましょう。

 心臓から流れて来て、いま足の指にあったと思った愛の血液は数秒後には太ももにあるかもしれません。そして右腕、左腕へ、顔へ、脳へとその位置を変え、体中の隅々まで縷々と流れていきます。行かない箇所はありません。

 愛は分割されて私たちに備わっているものではなく、唯一の存在が流されているものです。
 このイメージの中で、その愛の血液を一滴一滴と捉えずに体中に繋がった一つの血液とイメージすると、こういうイメージが湧いて来ませんか。神の愛とあなたとの愛と、彼の愛と、彼女の愛は、私の愛そのものであると。
 一つの肉体とその意識こそ違えども、すべて同じ愛であると。そしてその愛こそが私の実在であり、エネルギー源であると。

 つまり、私の本質は愛なのです。私は紛れもなく愛そのものなのです。

私は神

 心臓にある神の愛の血液と、いま私の体全体の中にある愛は同じ愛の血液です。
 神から分けて頂いた愛は別れた愛ではありません。神と同じ愛です。
 愛は一つですべてを愛しています。

 愛から生まれた肉体人間の意識がそれに気付いていないだけです。私たちは肉体を持ち、潜在意識、現在意識などの多くの意識を持つことで神とは別の存在だと勘違いをしていませんか。そうではないのです。
 神になれない人間の意識がそれを認めないだけです。私たちの本質は紛れもなく愛であり、神なのです。

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優しい歌が歌えない

 話題が変わりますが、先月、槙原敬之さんが書いた「世界に一つだけの花」を紹介しましたが、「宇宙の理」の発行人からのメールで、槙原さんの作る曲は彼が覚せい剤で逮捕されてから(苦しみの中で開眼されてか)良い歌を書くようになったと褒めていました。ネット上でいろいろ調べますと逮捕当時のマスコミやタレント、芸能関係者の事件へのバッシングは酷かった痕跡が窺われます。

 しかし否定的な事件にもすべて意味があり、事を受け入れすべてを許すことでその出来事は学びとなり、正しい(進化の)方向へと向かいます。人を許すことを日本人は真剣に学ばねばならないと感じます。
私は最近、発行人に感化され槙原さんの歌を良く聞くようになりましたが、彼は本当にいい詩とメロディを書いています。「宇宙の法則」を理解する彼の新曲の詩の一部を紹介します。

優しい歌が歌えない
抱えた苦しみは誰のせいと人をひどく責め立てる的外れを
何度も何度も繰り返して苦しみは前より増えるばかり
同じページをめくりすぎた本のように日々は擦り切れて
自分の中を見る以外にもう術はなくなってしまった

そこで僕は確かに見たんだ
総てを人のせいにして
誰でも平気で傷つけるようなもう一人の自分が
こころの中で暴れながら僕をぼろぼろにするのを
はじめてのぞいたこころの中は見たこともない暗闇で
僕はとても怖くなって何度も足がすくんだ ・・・・ (略)

たとえ何かできなくたっていい
せめてこれから生きるときに
同じようなことを繰り返して
誰かをまた傷つけぬよう
心の中をどんなときも見詰められる強い自分になりたい・・・・ (略)
はじめてのぞいたこころの中があんな闇に包まれていたのは
自分をかばう僕の手が光を遮ってさえぎっていたからだ・・・・ (略)


沢尻エリカさんが覚せい剤を使用していたと報道された後の日曜日のサンデージャポンで、
(前略)これに元国会議員でタレントの杉村太蔵氏(40)が猛反発。杉村氏は、薬物で逮捕された者は一発アウトで、テレビの世界から退場すべきだと主張する。

と発言していましたが、何事にも意味があるのです。「してはいけないこと」など本来はないのです。
私たちは感情という善悪を作り出す意識を肉体に持ち込んで善悪を経験して成長していくのです。
だから杉村氏の発言も、それによって色々と考える人が大量に出てきたわけで意味のあるものなのです。

槇原敬之さんはやはり覚せい剤で逮捕されてからそれ以前よりもずっと良い詩を書くようになったようです。
槇原さんが逮捕されたのが1999年で、世界に一つだけの花を書いたのが2003年です。


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