昨日はタバコの喫煙問題も出て、コメントでも応えましたが、何でも同じですが、ストレスの問題は心がそれを越えていないから。
お金に対する執着、煙草に対する執着、お酒に対する執着、賭け事に対する執着…などなど。。
私には越えられないものがたくさんあります。
解き放されたい、解放されたい、超越したい… 人生はそれとの闘いでもありますね。
結局は、人間の本質は愛であり善なのですけど、その愛が深まって勇気をもって動きだせるように、暗黒の意識が関与しているところがあるのです。
タバコとかお酒というのは、霊的な意識がよって来てそれを楽しむように仕向けている部分があります。
嗜好品というのは、初めは断つのに苦労しますが、何日か経つと楽になって行きます。
根負けするまで頑張らないといけないということです。
以前、ワーナー映画の「マトリックス」を解説したところで嗜好に取り憑く霊的意識体のことを書いていますので、興味ある方はお読みください。
http://blog.goo.ne.jp/tobira2002/c/c5c668fd9ff7629c63437f02cf259a7a
マトリックスでは書きませんでしたけれど、自分を操る意識が根負けして他の人に行くと、もう自分はそれを超越したと思ってしまう訳です。
それでちょっとぐらいなら良いだろうと思ってまたタバコ、酒、麻薬などに手を出す。
でも、以前のように欲求が深まらないので、もういつでも止められると勘違いします。
それでまた1週間経ったらちよっとだけと手を出す。
それが段々短くなって元に戻ってしまうのです。
また寄って来るんですよ。意識体が。
私の経験を書いているようなものですが。
だから私も25年ぐらい前に止めたタバコには絶対に手を出しません。
超越するといっても嗜好品の場合には飲みながら超越して簡単に止められるとは行かないので、人が酒を飲んでいても気にならない。タバコが目の前にあっても気にならない、ということで超越したと言って良いと思います。
アミもこの意識体に言及した箇所があります。
ちょっと長いですが、「アミ 3度目の約束」P90から転載します(読みやすくするために一部、ひらがなを漢字に直してあります)。
【 「ヤツは暗闇の中から、君たちの世界を操っているんだよ。ヤツはまず、人々の中の一番暗いところから 蝕んで行くんだ。特に権力をもつ人たちは狙われやすい。そうと解からないうちに、ヤツにコントロールされてしまうんだ」
「つまり、私たちの世界の人たちは皆、彼に支配されているってことなの? 」
「とんでもないよ、ビンカ(=アミと双子の魂の女の子)。そんなことはない。たくさんの人々がよいことをしようとしている。人類や世の中に対する責任感から、権力あるポストを目指す人たちだっているんだ。本当の真実は何かって教えたり、不正を食い止めようとしたりして、物事を良い方向に向けようと頑張る。でもそんなとき、暴君が彼らをメチャクチャにしようとするんだよ・・・」
「ウー、なんていう悪党だ・・・・」
「だから誠実な人の仕事は楽じゃないんだ。いずれにしても、暴君の邪魔になるような、本当の変化を求める人は、ほんの少ししかいないんだけれど、でも (誠実な) 彼らがいなかったとしたら、ずっと昔に人類は滅びていただろうね。だって悪に対する歯止めや障害が何もなかったことになるんだから」
「ああ…想像つくよ…でも、どうして悪に支配されたままにしておく人もいるの?」
「そういう人は、自分の考えや野望がヤツによってそそのかされたものだということを知らないでいるからさ。それはちょうど、?悪魔つき?みたいなものだって考えたらいい。ヤツは戦争やテロ行為や狂信的行為に走らせたり、よその国を支配させようとしたり、はたまた賄賂のやり取りをさせたりなんかもするんだよ」
「どうしてそんなことするの? アミ」
「暴君の目的はただひとつ。世界の平和をさまたげることだからだよ」 (後略) 】
その後もビンカとペトリーとの会話は続きますが、何故ヤツと言われる人たちは平和を望まないのか? と聞かれたアミは波動の違いを説明します。
悪い意識体は平和な波動になったら生きていけない。だから世の中に不幸をばらまき、波動を重いものにしておきたい。そうしないとヤツは生きていけない、いうことです。
でも善悪の共存というのも、もう終わりです。
地球は間もなくユートピアへの変化の時代に本格的に入って行きます。
地震だけでなく大津波が来て、アメリカで南部では160もの竜巻が起きて300人以上が命を落としています。
アミは誠実な人がいなかったらとっくに地球は滅んでいたと言いますが、国で言えば今後日本が出来るだけ多くの意識を「超越」して行かなかったら、変わらなかったら、地球は間違いなく滅びます。
日本の良さを日本人が知りません。
自国を愛さない人の多いことで日本は群を抜いています。
外国人の方が日本の良さを分かっていて、愛してくれているのではないかと思うこともあります。
(「私は日本という女性と結婚」 ドナルド・キーン氏、永住へ帰化手続き)
テレビニュースの画像
最終的な超越は自我意識を越えるということですけれど、それは愛の心の広がりを意味します。
愛が深まれば自他が一体になって行くので自分と他人の垣根がなくなり自我を越えたことになります。
マザーテレサは愛の反対は「無関心」だと言いました。
私は愛の反対は「恐怖」だと言います。
で、恐怖心とは自我への執着なのです。
超越の反対が執着。
人ごとと思えたすべては、自分の反映、敵と思えたものですら映しだされた自分の姿として受け入れれば怖いものはない筈(イエスとかマザーテレサはそうだったんでしょうね)。
でも、自我を超越して受け入れていないと、反発してしまう。それが恐怖心の元。
無関心も恐怖心も自他の一体からの乖離、同じことですね。
マザーテレサの言う無関心とは人へ意識が及ばないことで、意識が自我から抜けられず考えることは常に自分中心。
愛とは単純でありながら、奥深く永遠の命題なのですね。
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