うわ~、10月が迫っていますね。
ちょっと無理やりな更新です。
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今年のGWに断捨離をした。
その際に『場所をとるアルバム』を廃棄しするために
アナログ写真のアルバムを全てデジタル化することにした。
(息子の写真は産まれた時からデジタル)
業者にアルバムを数十冊
段ボールに詰めて送っておいたのだが
すっかり忘れていた。
ホント、忘れた頃...つい先日『一枚のDVD』になって届いた。
4月下旬に送って9月中旬完成だから、5ヶ月ほどもかかった。
PCで観られるので便利。
懐かしすぎて止まらなくなってしまった。
生まれた頃からの写真もあるけど
特に学生の頃や社会人なり立ての頃の写真を観ていると
自分がエネルギーに満ち溢れていたのだなぁ...と感じる。
※初めて乗ったバイク...中古のYAMAHA:MR50
宮城県仙台市西部、大東岳の登山口:二口温泉にて(梅が咲いている頃?)
1986年の夏休みに大学病院でバイトして
その年の秋に格安の2万円で購入。(当時としても安い)
空冷単気筒、2ストロークのエンジン→今となっては化石と呼べそう。
まだ速度規制が無い時代の古いモデルで
スピードメーターは時速100キロまで表示してあった気がする。
通常の原付のスピードメーターは時速60キロまで。
規制により、60キロ以上速度が出ないようになっている。
(原付の法定速度は30キロ)
MR50は最高速度はメーターを振り切って
100キロを上回ったのを覚えている。実感では時速110キロぐらい
(車の全く通らない農道で試してみた→アブナイ奴?)
90キロを超える辺りから、ハンドルが上下に波打つように揺れていた。
(限界を体感→アホですね)
このMR50は、長距離をツーリングすると
100キロメートルぐらいでエンジンが止まってしまう。
(かなりボロイ)
止まって10分ぐらい休ませると
もう30キロメートルは走れる。
(一晩おけば再び100キロメートル可能)
休み&走り...その繰り返しで長距離を走らせていた。
ロングツーリングは結構ヤバい(^_^;)
当時、このバイクで仙台→山形→新潟まで行った事がある。
山中の道路ではドキドキのツーリングだった。
MR50の末路...
翌年...1997年の夏に、飲み会帰りの深夜のこと
酒酔い運転をして電柱に激突!!大破してしまった((+_+))
(廃車処分)
全身血まみれになったけど、大した怪我もなく
警察のお世話にもならずに済んだ。
時効ということで...許して...(/o\)
現在でも右肘に傷跡が残っている。
※山岳部に入っていた...福島県磐梯山頂上付近にて
会津若松の田園地帯や猪苗代湖を眺める(右がとちか)
日帰り登山に70リットルのマイザックを持って行ったので
荷物が少なくブカブカ。
左の相棒は検査科のOくん。
※2台目のバイクは兄にもらったSUZUKI:RG-γ(ガンマ)50、仙台港にて。
当時、兄は中型バイク(250cc)に乗っていたので原付をもらった。
学生時代は太っていたのがよく分かる。
→太ももがパンパンだ!!今よりずっと重たそう??
千葉から仙台まで乗って持って行った。
朝6時に実家出発で、夕方6時に仙台のアパートに到着。
原付で1日12時間、350キロのロングツーリング。
尻が痛くなるけど、若さがあるから大丈夫。(だったみたい??)
今では12時間なんて当然無理(>_<)
3時間ぶっ続けで走ってもツライ(T_T)
ちなみに、このバイクの末路は
社会人1年目に盗難に遭い、お別れ。
病院寮の駐輪場に停めていたが
朝起きたら、バイクが消えていた...という事件(涙)
ハンドルロックはしておいたけど
窃盗のプロだったら簡単に持って行ってしまうことでしょう。
※学生時代、仙台市内でアパート独り暮らし。~1989年3月まで
過密な部屋。
過去の自分に『断捨離しなさい!』と言いたくなる。
夏山合宿の写真をカレンダーにしていた。
ポーズからすると『手乗りメンバー?』のつもりだと思う(ダサッ!)
6畳、キッチン、トイレ風呂(ユニット)あり...
昭和末期、月に3万5000円の家賃。
新築だったので当時としては高め。
ちなみに、学生の頃...最終年度の途中で
元号が『昭和から平成』になった。
社会人生活は平成元年4月から...
※社会人になって2年目、1990年GWの北アルプス・槍ヶ岳登山。
登山ブームの遥か前、背後に人影が無いのは現在では信じられないほど。
山では髭を剃らないので無精ひげが汚くてゴメンナサイm(_ _)m
サングラスがデカくて身元不明だと思うのでモザイク無し。
※社会人3年目、1991年GWの北アルプス・奥穂高岳登山。
快晴の空、背景の前穂高岳北尾根の鋸歯状の岩峰群が美しい。
サングラス&顔が小さめに映してあるのでモザイク無し。
※1991年の秋、南アルプス・白峰三山(北岳、間ノ岳、農鳥岳 ) 縦走。
背景左の独立峰は甲斐駒ヶ岳、右のピークは北岳。
9月下旬の稜線上では霜が降りていた。見た目以上に寒い。
エネルギーに満ちている?若いって素晴らしい(#^.^#)
アナログ写真をデジタル化してもらっても
やはり元の写真が劣化しているので古さを感じる。
(その古さがいいのかな?)
数十冊あったアルバムが1枚のDVDに収まる程度の容量だから
低画質感は否めない。
で、最後は...
※若き技師だった頃1990年代初期、社会人2~3年目??
学生時代とは違い、最初の2年で10キロ以上痩せた。
右のデスクにパン→夜食??
それと漫画雑誌(少年ジャンプ、マガジン、サンデーの3冊)
脳外科医の一人が漫画好きで、毎週買ってきてくれる。
放射線科が雑誌置き場になっていた。
ヘビ、ネズミ、コウモリ、おまけに幽霊も出るという古い病院の放射線科内。
背後の水道なんて、苔が生えているのか(?)という危うさ。
いかにも...出そうでしょ(^^♪
時刻を観ると夜8時近く。窓の外は真っ暗。
もしかすると、当直だったのかもしれないです~♪
この写真の記憶はありませんでした。
ということで
『昭和末期~平成初期』のレトロ写真でした(#^.^#)
※見出しは、令和4年の写真→息子のゲームに付き合う眠りネコです。