皆さま、大変御無沙汰しております。
現在は父親だけでなく、自分自身も病気療養中となりました。
そして、再び無職の身となりました。
千葉と神奈川の往復で疲弊していたため
夏の終わりごろから、体調が思わしくありませんでした。
看護助手の仕事は、とても充実したものでした。
子ども達も愛らしくて、やりがいもありました。
普段の遠距離通勤+月曜日は千葉の実家から神奈川への早朝通勤
(土日は実家泊まり→父が元気になるにつれて再び兄との衝突が増えてきた)
時々、自分の心療内科・弟の病院へ入院費の支払いや役所への手続きなど
弟は役所での手続きが年に何度もある。
平日の休みを利用して実家に来るし役所にも行く。
兄は多忙で朝5時台には家を出て、夜8時に帰宅の毎日。
(3週に1度ぐらいのペースで土曜に休めるみたい)
背負うものが重い日々が続きました。
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そこへ職場関係の話で、看護部が推し進める
突然の看護助手「夜勤+土日祝の勤務」導入です。
これはとても強引なものに感じました。
何が何でも11月1日から始める、との前提(というよりも命令)でした。
看護助手のベテランの一人が
「人手不足の現状と導入後の業務内容」の話し合いの場を設けることにしました。
看護部の上層部の方と看護助手のメンバ-で会議がありました。
看護助手側は
人を増やさずに夜勤を行うことへの不満
給与は現状のまま固定
日中の人数が手薄になり激務になる
既に9月中旬になるのに業務内容が未決定だ
などと訴えました。
ボクもベテランの方に「とちかさん意見はありませんか?今のうち言いたい事聞きたい事を伝えて下さい」と言われて
看護部がどうしてそんなに急ぐのか理解できないボクは
「11月1日から始めることは揺るがないのでしょうか?」
「準備期間、移行期間、試行期間などを設けることや区切りの良い来春4月1日からでは不都合なのでしょうか?」と述べました。
看護部側は「開始期日は決定事項です」と即答しただけでした。
聞き流されただけでした。
そして「みなさんの意見を聞きました、忙しいのでこれで会議を終わります」
と何も決まることのない会議???は強制的に終わらされました。
それから1週間後に人事異動が発表されました。
何とその会議の中で意見を述べた全員が病棟異動の対象になっていました。
これは「看護部に意見する看護助手に制裁を加える」という報復人事そのものでした。
もちろん意見を述べたボクも異動者の一人になっており
看護部から危険分子扱いとなりました。
10月いっぱいで小児科病棟からサヨナラです。
テレビドラマなどで描かれる「報復人事」というのを初めて経験しました。
職場から信頼されていない証です。
とても残念であり、その後の体調を悪化させる火種が大きくなりました。
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丁度その頃に、息子の中学校で3者面談があり
この日は通うであろうと思っていた息子は面談を断り
親と担任の2者面談となりました。
息子に「オトーやオカーは源次郎が思っているほど長くは生きないから、心配なんだよ」そう言ったら
源次郎は「もしオトーとオカーが2人とも死んじゃったら、源次郎も死ぬからいい!」
何かフワっと力が抜けていくような...
何かがプツっと切れたような...
過去にも辛い時に経験した事がある...そんな感覚がありました。
父親、兄、弟、息子、仕事
自分の中で歯車が壊れていきました。
うつが酷くなり、声を出すのが難しくなってきました。
頭の回転も弱くなってきました。
悪いことしか考えられなくなってしまいました。
昨年末、やっとの思いで掴んだ職場でしたが
10月末で退職しました。
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退職翌日(土曜日)の朝、高熱があり近所の内科クリニックへかかりました。
このご時世なのでPCR検査(結果は翌日電話連絡)を行い、解熱剤を処方されました。
診察の帰りに、これまでに感じたことのない激しい尿意がありました。
(今にも漏らしてしまいそうな緊迫した尿意です)
帰宅後、解熱剤を内服するも熱はさらに上がり続け40度に達しました。
水分を摂取し、おかゆを食べて過ごしました。
とても頻尿になりましたが、量は出ずに残尿感が残ったままです。
翌日(日曜日)、発熱の他に頭痛も酷くなりました。
やはり40度の熱が続いています。
あらゆる動作が辛かったです。
夕方、PCR検査結果は陰性であるとの連絡がクリニックからきました。
この日も前日同様汗が出ずに、凍えるほどの寒気が体を襲いました。
安静にしていることも楽ではありませんでした。
月曜日、朝にお風呂を43度と熱めに沸かして入りました。
すると、これまでに全く出ていなかった汗が大量に吹き出しました。
汗をかいたおかげか、熱が37度台に下がりました。だいぶ楽になりました。
夕方にもう一度43度の湯船に浸かりました。
再び汗をかいて熱も落ち着きだしました。
頻尿は収まりましたが、排尿前後に違和感があります。
火曜日、熱はありません。36.5度。解熱剤は不要となりました。
朝、42度のお風呂に入りました。だいぶスッキリしました。
やっと外出できそうなので再度近所の内科クリニックへかかりました。
最初の診察の時は排尿時の違和感が無かったのでそれを医師に伝えたところ
血液検査と尿検査をすることに。
炎症反応のCRP値が15.3(基準値0.3以下)ということが判明しました。
「高熱を出す場合、急性前立腺炎の疑いが考えられます」とのことで
1週間分の抗生剤が処方されました。
「この日の血液検査は簡易検査です。より詳しく調べるので1週間後に再診してください」と言われました。それと、次回泌尿器科に紹介状を書いてもらう予定となっています。
抗生剤で細菌に対処し、頻尿になってでも水分を摂取して膀胱から尿道内を尿で洗い流すそうです。頻尿が嫌だからと我慢して脱水になる患者も多いと言われました。
来週の火曜日の再受診までは家で安静に過ごします。
急性前立腺炎の治療は今年いっぱいかかる見込みです。
尿の出が悪い...前立腺肥大症も診断されそう...治療はさらに長くなりそうです。
発熱=風邪?コロナ?インフルエンザ?と普通は考えてしまいますが
まさか急性前立腺炎とは。入院で治療する場合が多いらしいです。
我が家はコロナを恐れて、ボクだけ土日2日間は和室に籠って生活しました。
息子の友達にも土日遊べないことをLINEで伝えてもらいました。
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小児科病棟での勤務は素晴らしいものでした。
子ども達に癒されながらの仕事はいい経験をさせて頂きました。
誰も恨んでいません。
だけど、退職してよかったのだとも考えています。
ボクは心身ともに病気になって、通勤も出来なくなったのだから。
まさか勤務最終日の翌日に発熱するとは。
それから何日も動けなくなるとは。
最終日まで何事も無く働けて、身体の限界ギリギリ間に合った。
ラッキーだった、そう思っています。
夜勤が始まって、突然1週間以上も休むことは
他の看護助手たちに多大な迷惑をかけてしまった事でしょう。
しかも異動したばかりの環境で。
睡眠障害もあるし、不規則な勤務には耐えられなかったであろうと思います。
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楓の彩り 2013年10月中旬、北海道中標津町にて(亡き義母の実家付近)
今、源次郎はスマホゲームをして遊んでいます。
9月の期末試験以降、完全不登校。
ボクは、いつ頃安静から自由に動けるようになるのだろう。
今週は排尿に難があるため出来るだけ外出は控えています。
内科クリニック、役所、ハローワークは徒歩圏内です。
心療内科だけは都内なので遠いです。
また仕事を探さなくてはいけないし...
あ~写真撮りに行きたい...
あと、もう一つラッキーなこと
皆さまのブログをゆっくり訪問できることですね(#^.^#)
長文にお付き合い頂きありがとうございました。