人生、最初の挿し木です。(たぶん)^^
とほママが友人からもらったいろいろな種類の「あじさい」です。
その友人が挿し木の仕方を教えてくれました。
とほママは、数年前にも挿し木にチャレンジしていましたが、全滅しました。
今回との違いは少なくとも
1.土が違う(前回は肥料入りの土を混ぜていた)
2.置き場が違う(前回は半日は陽が当たる場所に置いていた)
そして、挿す前にどれくらい水につけてたか、とか切り口の断面をどのように処理したかとか、見ていない部分の違いもありそうです。
実は、私は「ひいらぎ」を挿し木で増やしたくて、自分で調べて「メネデール」とか買っていました。
挿し木の時期は6月が良いとのことでしたので、6月を待っていました。
「ひいらぎ」は、トホ家の生垣の一部として幼少の頃からあったのですが、現在は何本か枯れて、歯抜けのようになってしまっています。
昔のように、ピシッとした生垣に戻したく、親が挿し木していた株を植えました。
でも、まだ足りないし、なかなか大きくなりません。
次世代のために、自分も「ひいらぎ」の挿し木にチャレンジです。
数本は、成功して欲しいものです。
とほママが友人からもらったいろいろな種類の「あじさい」です。
その友人が挿し木の仕方を教えてくれました。
とほママは、数年前にも挿し木にチャレンジしていましたが、全滅しました。
今回との違いは少なくとも
1.土が違う(前回は肥料入りの土を混ぜていた)
2.置き場が違う(前回は半日は陽が当たる場所に置いていた)
そして、挿す前にどれくらい水につけてたか、とか切り口の断面をどのように処理したかとか、見ていない部分の違いもありそうです。
実は、私は「ひいらぎ」を挿し木で増やしたくて、自分で調べて「メネデール」とか買っていました。
挿し木の時期は6月が良いとのことでしたので、6月を待っていました。
「ひいらぎ」は、トホ家の生垣の一部として幼少の頃からあったのですが、現在は何本か枯れて、歯抜けのようになってしまっています。
昔のように、ピシッとした生垣に戻したく、親が挿し木していた株を植えました。
でも、まだ足りないし、なかなか大きくなりません。
次世代のために、自分も「ひいらぎ」の挿し木にチャレンジです。
数本は、成功して欲しいものです。
20代後半の若かりし頃、、博多区の造成地に小さいながらも一戸建ての分譲住宅を得ました。
しかし、敷地の周りはスッポンポン。最低限のブロック塀で囲いましたが、なんとか緑が欲しい。
先輩のうちの生垣の珊瑚樹をトリミングするというので、その切り取った枝を貰い受けました。
近くの川に行って川砂を集め、トロ箱に敷いて日陰に置いて挿し木をしました。
結果は上々で数十本が根付いてくれて、数年後には見事な生垣になりました。
とほさんのお陰で遠い日の記憶が蘇りました。
転勤がマレな職場だったのでしょうか・・・
庭木は、なんと挿し木の土までご自分で調達!!
川砂でいけるんですね。そして、先輩ちの剪定分で数年後に見事な生垣が!!
先輩も喜んでくれたことでしょう。
花おじ様のエコな深イイ話、もっと拝聴したいものです。^^
この時は日本中が高度成長時代、サラリーマンの給与も毎年10%以上アップしていましたから。
「勤労者住宅生協」なるものが分譲した団地で、この数年は先輩たちが次々と購入していました。
後輩の私にも勧めてくれて、「ローンは3年我慢すれば乗り越えられるよ!」と。
そのとおりになりました。ボーナスが残るようになりました。
高度成長、恐るべき時代でした。
>転勤がマレな職場だったのでしょうか・・・
面白いもので、住宅獲得すると数年で転勤が慣例?
4年間住んだところで沖縄へ転勤となりました。
復帰7年目でした。
幼少期に迎えたのでしょうね。よく覚えていませんが、家の前の水たまりだらけの土の道が舗装された頃かな。
ローン3年我慢で乗り越えた。すごいです。
自分は、バブル期ですら恩恵なしの職場でした。TT
でも社内預金の利率が年7%ありました。^^
>4年間住んだところで沖縄へ転勤となりました。
自分が居た会社は、「家を買ったらその年に転勤」が多かったです。家を人質にとられたようなものです。
家買う前に辞めちゃいましたが。^^A