快読日記

日々の読書記録

読書中『言葉を離れる』横尾忠則

2016年10月08日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
10月7日(金)

『小学二年生』がなくなるんだそうですね。
もう『小学一年生』だけしか残っていないという。

うちは両親ともに全然本を読まない家だけど、とりあえず欲しがれば買ってくれた。
中でも『小学○年生』と『○年生の学習』(『科学』は買ったことがなかった。今思えばあれが運命の岐路だったか…。)は定期購読してくれて、毎月本屋のおじさんが持ってきてくれた。
『小学○年生』の別冊ふろくのおかげで、ホームズの『まだらのひも』や『赤毛連盟』を読めたし『カゲマン』も大好きだった。
今でもミステリが好きなのはこういうきっかけがあったからかも。
本を読むことが楽しいのはもちろんだが、「あと少しで届く!」というときの待ち遠しさといったらない。

本読みにとって、そういう幼少期の読書体験は、何にも増して語りたいネタ。需要がないので語れないだけで。
今日読み始めた『言葉を離れる』(横尾忠則/青土社)はいきなり、自分はいかに本を読まなかったかという話から始まって、むしろ、それがよかったんだ、という展開だ。
なんだかちょっとうらやましいなあ。

わたしにとって本を読むことは知力の筋トレだし、モノを考えるときのガイド(補助線)でもあるから、読書なしの人生というのは全く想像ができない。
ところが一方で、本なんか読まねえよ〜!と叫んで木に登ったり歌ったりする子供に憧れを抱くこともある。

わたしが「本を読む自分である」ということは、自負でもあり劣等感のもとでもある、ということだ。