(平和観音下の展望スペースから 左から三蔵塔・鐘楼台・納経塔・大観音)
吾野駅へと降り立つと周囲は夕暮れ頃のように薄暗い。年明け1日・2日は暖かかったこともあり、如何にも寒村といった陰鬱さに驚きを禁じえない。天気予報を見ずに出かけたのだが、白む前の空を見上げて、今日も暖かくなるだろうと楽天的に考えていた。しかし雲が掛かり、日も差さない駅前の広場に居ると、ボクの予想はすっかり外れてしまったと教えてくれる。今日は昨年の9月に歩いた大高山からの続きで、前坂から子ノ権現へと歩く。そしてそのまま竹寺へと足を運び、小殿へ下りて、鳥居観音へと向かうつもりだ。その少々長くなりそうな道のりを歩くため、今日は7時前に吾野駅へとやってきたのだ。暗いのは承知の上だったのだが、それにしても暗く、そして寒い。
(朝の吾野駅周辺)
広場を進み、西武秩父線の下を貫く低いトンネルを抜ける。短い坂を上がると目の前には霊園がある。舗装路を右に行けば岩殿観音。左は今日最初に目指す前坂への道だ。霊園事務所脇から暗い杉林を上がっていく。標高差にして100mほどの急な尾根だ。最初は九十九折に、続いて左に中腹を横切るように進む。霊園事務所裏手の伐採地の上に出ると再び九十九折になる。左手に山頂部を突き出すりゅうがい山(354)を梢越しに望むようになると傾斜が緩んでくる。広い緩斜面に出れば、ここから先きつい所はない。道は419のピークの西側斜面を横切るように付けられている。419のピークの南西にある鞍部へ向かうと西側から強い風が吹き付ける。杉林の中に居てこの風だ。尾根に出たらどんなに寒いことか。
高度を上げながら暗い道を抜けると419のピークと採石場へと通ずる尾根との鞍部に出る。自然に出来た、というよりは人工的に掘り割った鞍部のように感じる。鞍部から419のピークへは薄いながらも踏み跡が延びている。行ってみよう。踏み跡を見た瞬間、そう思った。最初こそ急な斜面であるものの、すぐに緩やかとなり、山頂部へと出る。尾根のように長い山頂だ。標石でも埋まっていないかと踏み跡を進むが何も無い。その代わり山頂部の東端へ行くと少し展望が開ける。りゅうがい山への踏み跡でもないか探してみたが、先ほどの広い緩斜面から藪を抜けていくほうが確実だろう。
(419のピークの鞍部)
(419のピーク辺り)
往路を戻り、鞍部へと再び下り立つ。越し方の向かい側には緩やかな谷が広がっている。その谷を見下ろしながら、採石場へと通じる尾根の東側斜面を横切る。この緩やかな弧を描く道が好きだ。吾野駅から前坂へは峠道という雰囲気があるのは最初だけで、緩斜面から先は緩やかな道が続く。中腹を横切りながら鞍部を一つ越えて前坂という峠へと至るという道の付け方に感心する。登山者が考える道というよりは山間に住む人たちが生活のために作った道というように感じる。道標の立つ前坂は木立の中の静かな峠だ。明瞭な道はそれぞれ大高山・子ノ権現へと通じる尾根道だ。飛村への道はやや薄いものの、すぐに里へ下りられるので、緊急の用には役に立つだろう。
(前坂)
前坂から子ノ権現へは市販の案内本によると飯能アルプスと名付けられている。ボクはこの名称には異論があるけれども、他に適当な名がある訳でもないので、今後は定着していくのかもしれない。道標にしたがい北東にある尾根を登る。最初は急な斜面だが、すぐに平たい尾根の上に出る。尾根を少し進むと杉林の脇に開けた薄原がある広い尾根となる。尾根は小さなピークを越えて採石場へと続くが、道はその小ピークを見送って南西側の斜面を横切るように下っていく。杉の多い道だが時折松の大きな木も生えていたりする。道が右に弧を描くと杉林から竹林へと変わる。低い竹林のトンネルを屈みながら進むと車道に下り立つ。ここは飛村から上がってくる車道で近くには開けた土地もある。一軒の民家が建ち、軽トラックが停まっているところを見ると人が住んでいるらしい。
(薄の生える尾根)
(竹のトンネル)
車道に下り立った所から次の山道への取り付きまで、少しの間車道を歩く。この辺りはキワダ坂と名付けられている。傍らに置かれた看板には一般車通行禁止と書かれていたが、ボクの脇を軽トラックが擦れ違っていった。おそらく地元の人が運転していたのだろう。やがて前方に開けた薄原が見えてきた。薄原は西武建材の採石場で、鉄の塀で囲いがされていた。塀の前には不法投棄されたゴミが散乱している。近くのゴミはなるべく見ぬように遠くに目をやれば、グリーンラインが走る尾根が見える。右端に見える木が疎らに生えた山はおそらく関八州見晴台であろう。
(採石場上からの眺め)
石造りの祠の脇から杉や檜の生える細い尾根を上がる。尾根の北側は木が疎らに生え、採掘場上の緩斜面を見下ろせる。日が少し高くなったせいか、足元は歩きはじめと異なり明るくなっていた。それでも普段冬枯れの時期に感じる明るい陽だまりという雰囲気は無い。晴れてはいるが、どことなく寒空なのだ。尾根が左に曲がる辺りで尾根を乗り越すように斜面が少し急になる。山側へと進路を変えた所に石仏が置かれていた。金属の屋根で覆われ、赤い布で帽子と前掛けが着けられた石仏の傍らには熊手が落ちている。掃き清めれた周囲の様子から、正月を迎えるに当たって掃除に来た人たちがいるということなのだろう。
(路傍の石仏)
北東に突き出した尾根を乗り越すと小ピークから北に張り出す尾根を巻いていく。北側の斜面が急になっているせいか、杉や檜でなく、雑木林となっている。細い尾根に乗ると最初のピークである板屋の頭は近い。まずはロープの付いた急傾斜の岩場を登る。岩場を登り切ると右手が開け、件の採石場が眼下に望める。採石場の上に見えるのは顔振峠だ。前坂から子ノ権現までのスルギ尾根の中で唯一展望が開ける所と言ってよいだろう。山頂部は北側が切り立った崖になっていて、少しだけ緊張させられる。板屋(あるいは板谷)の頭山頂(522.1)は雑木林に囲まれた小さな平場で、三角点の標石が埋められている。展望の良い所とは言い難いが、枝越しに子ノ権現と古御岳・伊豆ヶ岳などが望める。
(採石場を望む)
(板屋の頭付近の崖)
(板屋の頭山頂)
風が吹きつけて寒い山頂を後にして、次の高反山を目指す。板屋の頭から少し下ると子ノ権現の眺めが得られる。雑木林から檜林へ変わると道は急な下りとなる。曇り空も影響してか、異様に暗い。小ピークを一つ越えると左に長く張り出した尾根が壁の様になって見えてくる。おそらく高反山の尾根だろう。やや急な斜面を乗り上げると高反山の分岐である小ピークに出る。北側は雑木林で明るい。確か分岐であることを示すテープがあったはずだが、周囲を見回しても見当たらない。とりあえず下から見えた尾根を進む。薄い踏み跡を行くと木のプレートが掛けられた高反山の山頂(532)だ。檜などに覆われて展望はない。物好きでもない限り、寄る人は居ないであろう地味なピークだ。
(左が子ノ権現 右は枝越しに古御岳・伊豆ヶ岳)
(高反山の分岐である小ピークを目指す)
(高反山)
分岐に戻り、鞍部に下ると踏み跡は尾根道と巻き道とに分かれる。尾根道を上がった小ピークが堂平山への分岐だ。少々遠いが堂平山へも寄り道していこう。急な斜面を下るとその先は緩やかな尾根となる。南集落からの薄い踏み跡が横切っているので、峠のような役割も果たしているのだろう。少しきつい斜面を上がると堂平山の山頂(520)に出る。名の通り平らな山頂で檜に覆われている。以前来たときは石っころの会のプレートがあったはずだが、現在は高反山で見たのと似たようなプレートが掛けられていた。
(堂平山分岐)
(堂平山山頂部の様子)
(山頂プレート)
往路を戻るが、ここの往復は少々面倒くさい。次の六ツ石の頭との鞍部に下りると北東の展望が開ける。奥に見える集落は顔振峠近くの風影で間違いないだろうが、その手前のピークはよくわからない。おそらく板屋の頭から北へ派生する尾根上のピークであろう。雑木林が広がる細く急な尾根を登っていると前から初老の男性がやって来た。今日山で初めて会う人だ。尾根を登り切ると檜に覆われた六ツ石の頭(540)に出る。小さな岩が点在しているところから付けられた名であろう。かつては奥武蔵の地味なルートでよく見かけるプラ製のプレートがあったのだが、今日は見当たらなかった。どうやら分岐を示すテープやプレートの類を外している人がいるようだ。
(鞍部からの眺め 奥は風影の集落)
(六ツ石の頭)
六ツ石の頭からスルギの間は少し複雑な地形となっている。踏み跡がはっきりとしているので、迷うことは無い。ただ地形図を見ながら歩くと読図の勉強にちょうどよいと思う。犬と木にペイントがされた分岐を見送ると細長い鞍部に出る。南側が開け、蕨山らしき平たい山頂が見える。小さなお堂のある小ピークを越える(右から巻くことも出来る)と峠らしき所に出る。左は久久戸集落、右は538のピークの巻き道である。正面の踏み跡は538のピークを目指すものだ。まずは538のピークを目指す。峠にあったプレートによると久久戸山という山らしい。峠から山頂までは意外と距離があり、堂平山以上に苛々させられる。檜などに覆われた山頂には石っころの会のプレートがあったはず…と思っていると、木の根元にプレートが置かれていた。
(蕨山だろうか)
(お堂 このピークは巻くことが出来る)
(峠 正面が久久戸山への道)
(久久戸山のプレート)
地形図を見ると山頂から子ノ権現へ向かって山道が描かれているが、実際は藪が酷く、踏み跡は付いていない。むしろ北に小さく派生する急な尾根を下って巻き道へと出るのだが、ここは素直に往路を戻ることにした。峠から巻き道に入るとすぐに滝不動(青場戸集落)へ下る尾根が派生している。そしてするぎと書かれた古い道標がある。どうやらスルギとは538のピークではなく、峠のような所を指すのではないだろうか。538のピークを巻き終わるとあとは子ノ権現へ向かって緩やかな尾根道が延びているだけである。細い鞍部から最後の登りに差し掛かると木も疎らな緩斜面に出る。暗い植林帯ばかりだったので、ホッとする光景だ。緩斜面を横切るように登るとあとは緩やかな植林帯となる。鐘の音が大きくなり、子ノ権現は間近である。境内へと出る直前、北側が大きな伐採地となる。先月も来たばかりだが、この開放感はやはり良い。先ほど眼下に見えていた採石場がだいぶ遠くに見える。人間の脚も大したものだと思う。先月よりも少し早い時間ということもあり、遠く東京のビル群やスカイツリーも見えた。展望台で眺めを楽しんでいると小さな氷の粒のようなものが降ってきた。近くにいた中高年グループの話によると風花というらしい。寒いので、境内へ退避することにした。
(スルギの古い道標)
(明るい緩斜面)
(駐車場前の展望台からスカイツリーと東京のビル群)
(駐車場前展望台のパノラマ)
立派な屋根付きの駐車場を抜けると杉の大木が迎えてくれる。参道に沿って3軒の売店があり、小さいながらも門前街を形成している。山門を潜ると頭でっかちな二体の仁王様が待つ。顔はいかめしいが、どこか可愛らしい雰囲気もある。参道脇の杉並木の切れ間からは豆口山(629.1)辺りの尾根が手前に見え、奥は金比羅山から藤棚山辺りの尾根だろうか。更に奥の平たい山頂を持つ山は棒ノ折山に当たるらしい。左奥には大岳山らしき出っ張りを持った山も見える。参道を抜けると庫裏があり、お守りなどを売っている。ここで仏足と呼ばれるお守りを買っていくことにした。本堂で初詣を済ませ、山頂部に当たる鐘楼台へと上がる。吹きっ晒しの石段は風が冷たい。鐘楼台のすぐ側には釈迦堂があり、南東方面が切り開かれて、展望台も出来ている。スカイツリーが見られることを売りにしたいらしい。鐘楼台から本堂側を見れば、台形状の無骨な山が見える。採掘場があるところを見ると武川岳だろうか。一際高く突き出した山は武甲山らしい。
(杉の大木と門前街)
(仁王像)
(奥の山は棒ノ折山辺りであろうか)
(鐘楼)
(鐘楼台からの眺め)
(釈迦堂前から スカイツリーと同じ高さだという)
寒い鐘楼台を下り、庫裏の裏を抜けて、日の当たる裏道に出る。ここも風があるが、日は暖かい。今日はベンチが空いていたので、少々早いが昼食の菓子パンを食べることにした。一息ついたところで、次の目的地である竹寺を目指す。伊豆ヶ岳への縦走路へ入り、愛宕山への急坂の前から左に巻く道に入る。檜の生える快適な道だ。大岩のところで右に曲がり、尾根に上がる辺りで穴沢への道を分ける。日が高くなってきたこともあり、木漏れ日が明るく感じられるようになった。緩やかな道の両側は笹が生い茂る。尾根の西側は雑木林となっている所も多い。かつては笹がトンネル状だったが、最近は低くなった。
(北側展望台への分岐から)
(笹の道)
尾根が東に突き出している所は傾斜が急で、土留めの木段が続く。ここに来ての木段は本当にきつい。ここを登り切ると617のピークに出るが、特に名前などは付いていない。大木の切り株が残る広い急な斜面を下っていく。尾根が細くなってくれば、豆口峠は近い。痛みが激しい小屋掛けのある豆口峠には並沢からの峠道が延びてきている。今日は豆口山の西側を通る巻き道を進む。確りとした踏み跡があり、道も緩やかで歩きやすい。やがて尾根は右手に分かれる。正面には竹寺に直接向かう沢コースがあるので、ここを下る。
(豆口峠)
(尾根道と沢道の分岐)
この竹寺へと直接向かう沢コースは子ノ権現から竹寺へ向かう道の中で、最も気持ちの良い所だ。沢の傾斜を利用しながら、徐々に高巻くという設計思想が素晴しい。このまま下りて平気なんだろうかと思う頃、竹寺裏手にやって来る。最初に目に入るのは茅葺屋根の本殿だ。竹寺(八王寺)の本尊である牛頭天王が祀られている。ここは薬師如来を祀る寺であると同時に牛頭天王という神を祀る神社でもあるのだ。高台にある本殿からは眼下に庫裏が見え、寺の象徴とも言える竹林の向こうに東京のビル群が遥か遠くに見える。
(沢沿いの道)
(本殿前から)
(本殿)
本殿から石段を下りてくると茅の輪がある。茅の輪は災厄を祓う神事のために置かれるもので、鶴岡八幡宮で見た記憶がある。ただ通常八の字にくぐるはずなのだが、ここでは石段の途中にあるので、八の字にくぐることはできない。石段を下りきると左手に庫裏があり、何やら人が集まっているようだ。見るとみな甘酒を飲んでいる。無料で配られているもので、洒落た竹のコップに自由に汲んでよいということだ。口をつけると疲れて冷え切った体に染み渡る。美味い。お礼にお守りを一つ買っていくことにした。
(茅の輪)
(庫裏)
あとは最終目的地の鳥居観音を残すのみとなった。先ずは鐘楼台のある尾根を登り返さなくてはならない。本殿へ戻るとここからもスカイツリーを見ることが出来た。本殿裏からは鐘楼台を直登するルートと鐘楼台のピークを巻いて鞍部から小殿へと下りるルートに分かれる。子ノ権現と異なり久しぶりに竹寺へと来たので、鐘楼台に寄っていくことにした。標高差30mほどしかないのだが、気が急いてなかなか足が上がっていかない。周辺は雑木林が多く、急坂を登るには日が陰らず暑い。それでも遮二無二登り、鐘楼台(581)に出る。スカイツリーを含めた東京のビル群がここでもよく見える。しかしそれ以上に存在感を放つのが台形状に肩を怒らせる大高山だ。山頂部が突き出した天覚山は木に隠れがちだ。
(本殿前からスカイツリーを望む)
(鐘楼)
(鐘楼台からのパノラマ 左奥が大高山)
越し方から向かいの踏み跡を下ると尾根道と巻き道に分かれる。前回は尾根道を歩いたので、今回は巻き道を歩く。杉の植林の中の巻き道は踏み幅が狭く歩きにくい。竹寺からの巻き道が合流すると小殿への下りとなる。まずは南にある小ピークを横切りながら下っていく。それほど傾斜の急な道ではない。一旦快適な広めの尾根道に乗るが、すぐに岩が露出した急な九十九折となる。登る分には九十九折となっていてあまりきつくはなさそうだが、下るとなると岩が露出したザレた道が厄介だ。展望もなく、我慢の下りを続けていると送電鉄塔(42号鉄塔か?)のある小ピークに出る。鉄塔下からは小殿の集落が見下ろせる。背後に迫る山は西平山から蕨山へと続く尾根だ。右端に見えるなだらかな山は武川岳。左に行くと優美な弧を描く妻坂峠を経て大持山だ。大持山の右に見える鋭鋒は小持山だろう。そして妻坂峠の上に見えるのは武甲山だ。
(送電鉄塔)
(鉄塔下からの眺め)
鉄塔の見晴を過ぎれば、道は只管杉林の中を下っていくだけだ。眼下に車道が見えてくれば、小殿登山口はすぐそこだ。車道に下りて左に行くと明るい水色(というか緑色に近い)のJAの建物が見えてくる。小殿バス停はその先にある。しかし今日は鳥居観音を訪問しなければならない。バス停向かいの東屋で一休み。おっ、バスが通り過ぎていった。東屋脇の橋を渡り、車道を進んで左に曲がる。近くには学校があるほか、グラウンドや民家があり、賑やか。鳥居観音へと近づくにつれて、白塗りの大観音・タイやミャンマー辺りにありそうな塔・地球儀(?)などが見えてくる。
(JAの建物 そばに小殿バス停がある)
(地球儀? 何か乗っているが…)
自動販売機が立ち並ぶオートキャンプ場の向かいが白雲山鳥居観音だ。
クルマでも参拝できるよう境内を車道が延びている。子ノ権現・竹寺が千年以上の歴史を持つ古いお寺なのに対し、この鳥居観音は昭和15年(1940年)開山と比較的新しい寺だ。この寺を建てたのは旧埼玉銀行(現りそな銀行)の頭取も務めた平沼彌太郎氏である。観音信仰に熱心だった母志げの願いを叶えるために私財を投じた、と聞くと親孝行な息子さんというイメージだ。他方で先ほどチラと目に入った地球儀やら塔やら大観音やらを見ると、次第に自分の趣味に走ったのでは?と思わないでもない。
(鳥居観音入口)
まあとりあえず中に入って拝観していくとしよう。何せ金比羅神社跡のあるピークの東斜面一体が境内という広さだ。どんどん歩いていかないと日が暮れてしまう。まずは平沼氏の銅像に挨拶し、立派な本堂の脇を抜けると鳥居文庫と書かれた建物がある。平沼氏が彫った仏像のほか、各地から集めてきた仏像・書画などが収められているという。平沼氏は著名な彫刻家に師事し、境内にある多くの仏像を自身で手掛けたのだという。そういえばボクの叔父もある事件をきっかけに精巧な仏像を作り上げたことがあった。だから単なる信仰心だけで人の心を打つ仏像が作れるという訳ではないだろうと思う。
(この方が平沼氏)
(鳥居文庫)
鳥居文庫を過ぎるといよいよハイキングコースの始まりだ。拝観料を徴収する小屋があるが、人は居ない。下界に戻ってきたら払うことにして、一先ず先に進む。歩き始めは結構本格的な山道だ。地形図に付けられている山道がそのまま巡拝路となっているらしい。葉を落とした椛の生える山道を上がると立派な山門が見えてきた。案内板によると仁王門であるとのこと。石段を登ると山門の中に二体の仁王像が迎えてくれる。子ノ権現のものと比べるととても均整の取れた体付きだ。
(仁王門と仁王像)
仁王門を過ぎると道は斜面を斜めに横切るように上がっていく。途中懸造りの堂宇があり、創建当時の本堂だという。現在の鳥居観音のスケールの大きさを考えると随分こじんまりとした建物である。これを見ると当初は山の斜面を利用した落ち着いた寺院にする予定だったのでは…などと考えてしまう。ここを過ぎると尾根の上に出る。ちょうど地形図だと北東に細い尾根を延ばした辺りだ。そしてここには麓から見たあの地球儀がある。正確には地球儀の上に白い観音様が乗っかっている。案内板によると地球愛護平和観音というそうだ。昭和54年開基とあり、環境破壊を危惧して創ったものらしい。デザインは奇抜だが、そのスケールの大きな思想を表したものだとすると、必ずしもおかしなものとは言えない。地球儀の下はちょっとした展望スペースとなっていて、これから訪れる塔や観音様などを見渡せる。
(当初の本堂)
(平和観音)
平和観音から下り、比較的緩やかな明るい道を行く。西日の割に暑く感じる。尾根から斜面を横切る道へと変わるところで、金比羅山への道が分かれる。ただしロープが張ってあるので、この道は使ってくれるなという意味かもしれない。意外に広い道を行くと、三蔵塔へ行く急な山道(近道)と鐘楼台へと向かう緩やかな道が分かれる。道標に書かれた近道という字に惹かれて三蔵塔へ先に行くことにした。急な道に汗が噴出してくる。登り切ると巨大な三階建ての塔の前に出る。自販機と案内所らしき建物があるものの、どちらも利用されていない。三蔵塔の前までは麓から登ってくる車道が来ていて、北側の展望が大きく開けている。三体の白い観音様が大きい。
(三蔵塔)
(白亜の大観音像)
三蔵塔から大観音までは舗装された車道を進む。微妙なアップダウンがあるので、地味に脚にくる。鞍部に当たる所までくると納経塔が建っている。日本の慣習だと木造の塔を建てるか、お経を埋めた塚にする程度だろう。ところがこの塔はコンクリで造られ、細工やカラフルな彩色がされている。タイやミャンマー辺りにありそうな塔だ。そしてすぐ先の小ピークの上に三蔵塔の前で見た三体の大観音が鎮座している。台座の上に立っているので、ちょっとお顔が遠く感じる。大観音の下には展望台があり、南側の眺めが良い。あまり見慣れない風景だが、展望台に置かれた案内板によると左から周助山の尾根があり、伐採地のあるいかつい山が楢抜山。平和観音の地球儀の上に見える辺りは大仁田山だという。右から下りてくる金比羅山の尾根の向こうには棒ノ折山や黒山が見えているらしいが、どれのことかははっきりとしない。
(納経塔)
(観音像を見上げる)
(展望台から平和観音と鐘楼台 奥の山が大仁田山らしい)
(楢抜山)
(展望台からのパノラマ)
石段を登ると台座部分は建物となっていて、平沼氏の彫った仏像などが安置されているとのことだ。夏季の土日祭日は中に入って拝観できるらしいが、今日は扉の鍵が固く閉ざされていた。台座の上には観音像だけでなく、青銅色の四天王像(あるいは十二神将像だったかもしれない)が置かれている。また仏教説話と思われるレリーフで周囲が飾られ、実にお金の掛かった施設であることが窺える。一通り見るべき所も回ったので、そろそろ下山するとしよう。車道を戻り、先ほど見た三蔵塔までやって来た。案内板を読んでみると正式には玄奘三蔵塔といい、高さは33mあるとのこと。そしてなんと西遊記に出てくる三蔵法師の骨が納められているのだという。まあ日本にある五重塔などの仏塔の多くは、お釈迦様の骨を納めているという建前ではある。三蔵塔前の展望台から再び大観音像の眺めを楽しむ。よく見たら、伊豆ヶ岳から子ノ権現への尾根が一望できるではないか。これも観音様を拝んだ功徳であろうか。
(仏教説話のレリーフ ほかにもある)
(台座の部分から見下ろしたところ)
(三蔵塔前から 左奥が古御岳・伊豆ヶ岳)
三蔵塔から麓までは車道を下りていく。途中カラフルな鐘楼台があったが、子ノ権現などのように自由に撞くことはできない。中国風の門などを過ぎ、鳥居文庫まで戻ってきた。庫裏に行き、破魔矢などを買おうとしたが誰も出てこない。已む無く入山料を賽銭箱に入れて、連慶橋バス停へと向かう。境内の駐車場には結構クルマが停まっている。そういえば観音像の辺りでは家族連れなどが多かった。それなりの観光地として成り立っているのだなぁ。橋を渡るとバス停はすぐそこだ。西日を浴びてシルエットとして浮かび上がる古御岳の鋭鋒が印象的であった。
(鐘楼台)
(中華風の門 玉華門というらしい)
DATA:
吾野駅6:59~7:45前坂~8:20板屋の頭~8:34高反山~8:49堂平山~9:05六ツ石の頭~9:27久久戸山~9:36スルギ~
9:57子ノ権現10:26~10:54豆口峠~11:11竹寺11:28~11:34竹寺鐘楼台~12:01小殿バス停~12:14鳥居観音入口~
12:48大観音像~13:14鳥居観音入口~13:22連慶橋バス停(国際興業バス)飯能駅
国際興業バス 連慶橋~飯能駅 660円
地形図 原市場
歩数 30,642歩
鳥居観音 入山料 大人200円 クルマなどで入山する場合は料金が異なります
吾野駅へと降り立つと周囲は夕暮れ頃のように薄暗い。年明け1日・2日は暖かかったこともあり、如何にも寒村といった陰鬱さに驚きを禁じえない。天気予報を見ずに出かけたのだが、白む前の空を見上げて、今日も暖かくなるだろうと楽天的に考えていた。しかし雲が掛かり、日も差さない駅前の広場に居ると、ボクの予想はすっかり外れてしまったと教えてくれる。今日は昨年の9月に歩いた大高山からの続きで、前坂から子ノ権現へと歩く。そしてそのまま竹寺へと足を運び、小殿へ下りて、鳥居観音へと向かうつもりだ。その少々長くなりそうな道のりを歩くため、今日は7時前に吾野駅へとやってきたのだ。暗いのは承知の上だったのだが、それにしても暗く、そして寒い。
(朝の吾野駅周辺)
広場を進み、西武秩父線の下を貫く低いトンネルを抜ける。短い坂を上がると目の前には霊園がある。舗装路を右に行けば岩殿観音。左は今日最初に目指す前坂への道だ。霊園事務所脇から暗い杉林を上がっていく。標高差にして100mほどの急な尾根だ。最初は九十九折に、続いて左に中腹を横切るように進む。霊園事務所裏手の伐採地の上に出ると再び九十九折になる。左手に山頂部を突き出すりゅうがい山(354)を梢越しに望むようになると傾斜が緩んでくる。広い緩斜面に出れば、ここから先きつい所はない。道は419のピークの西側斜面を横切るように付けられている。419のピークの南西にある鞍部へ向かうと西側から強い風が吹き付ける。杉林の中に居てこの風だ。尾根に出たらどんなに寒いことか。
高度を上げながら暗い道を抜けると419のピークと採石場へと通ずる尾根との鞍部に出る。自然に出来た、というよりは人工的に掘り割った鞍部のように感じる。鞍部から419のピークへは薄いながらも踏み跡が延びている。行ってみよう。踏み跡を見た瞬間、そう思った。最初こそ急な斜面であるものの、すぐに緩やかとなり、山頂部へと出る。尾根のように長い山頂だ。標石でも埋まっていないかと踏み跡を進むが何も無い。その代わり山頂部の東端へ行くと少し展望が開ける。りゅうがい山への踏み跡でもないか探してみたが、先ほどの広い緩斜面から藪を抜けていくほうが確実だろう。
(419のピークの鞍部)
(419のピーク辺り)
往路を戻り、鞍部へと再び下り立つ。越し方の向かい側には緩やかな谷が広がっている。その谷を見下ろしながら、採石場へと通じる尾根の東側斜面を横切る。この緩やかな弧を描く道が好きだ。吾野駅から前坂へは峠道という雰囲気があるのは最初だけで、緩斜面から先は緩やかな道が続く。中腹を横切りながら鞍部を一つ越えて前坂という峠へと至るという道の付け方に感心する。登山者が考える道というよりは山間に住む人たちが生活のために作った道というように感じる。道標の立つ前坂は木立の中の静かな峠だ。明瞭な道はそれぞれ大高山・子ノ権現へと通じる尾根道だ。飛村への道はやや薄いものの、すぐに里へ下りられるので、緊急の用には役に立つだろう。
(前坂)
前坂から子ノ権現へは市販の案内本によると飯能アルプスと名付けられている。ボクはこの名称には異論があるけれども、他に適当な名がある訳でもないので、今後は定着していくのかもしれない。道標にしたがい北東にある尾根を登る。最初は急な斜面だが、すぐに平たい尾根の上に出る。尾根を少し進むと杉林の脇に開けた薄原がある広い尾根となる。尾根は小さなピークを越えて採石場へと続くが、道はその小ピークを見送って南西側の斜面を横切るように下っていく。杉の多い道だが時折松の大きな木も生えていたりする。道が右に弧を描くと杉林から竹林へと変わる。低い竹林のトンネルを屈みながら進むと車道に下り立つ。ここは飛村から上がってくる車道で近くには開けた土地もある。一軒の民家が建ち、軽トラックが停まっているところを見ると人が住んでいるらしい。
(薄の生える尾根)
(竹のトンネル)
車道に下り立った所から次の山道への取り付きまで、少しの間車道を歩く。この辺りはキワダ坂と名付けられている。傍らに置かれた看板には一般車通行禁止と書かれていたが、ボクの脇を軽トラックが擦れ違っていった。おそらく地元の人が運転していたのだろう。やがて前方に開けた薄原が見えてきた。薄原は西武建材の採石場で、鉄の塀で囲いがされていた。塀の前には不法投棄されたゴミが散乱している。近くのゴミはなるべく見ぬように遠くに目をやれば、グリーンラインが走る尾根が見える。右端に見える木が疎らに生えた山はおそらく関八州見晴台であろう。
(採石場上からの眺め)
石造りの祠の脇から杉や檜の生える細い尾根を上がる。尾根の北側は木が疎らに生え、採掘場上の緩斜面を見下ろせる。日が少し高くなったせいか、足元は歩きはじめと異なり明るくなっていた。それでも普段冬枯れの時期に感じる明るい陽だまりという雰囲気は無い。晴れてはいるが、どことなく寒空なのだ。尾根が左に曲がる辺りで尾根を乗り越すように斜面が少し急になる。山側へと進路を変えた所に石仏が置かれていた。金属の屋根で覆われ、赤い布で帽子と前掛けが着けられた石仏の傍らには熊手が落ちている。掃き清めれた周囲の様子から、正月を迎えるに当たって掃除に来た人たちがいるということなのだろう。
(路傍の石仏)
北東に突き出した尾根を乗り越すと小ピークから北に張り出す尾根を巻いていく。北側の斜面が急になっているせいか、杉や檜でなく、雑木林となっている。細い尾根に乗ると最初のピークである板屋の頭は近い。まずはロープの付いた急傾斜の岩場を登る。岩場を登り切ると右手が開け、件の採石場が眼下に望める。採石場の上に見えるのは顔振峠だ。前坂から子ノ権現までのスルギ尾根の中で唯一展望が開ける所と言ってよいだろう。山頂部は北側が切り立った崖になっていて、少しだけ緊張させられる。板屋(あるいは板谷)の頭山頂(522.1)は雑木林に囲まれた小さな平場で、三角点の標石が埋められている。展望の良い所とは言い難いが、枝越しに子ノ権現と古御岳・伊豆ヶ岳などが望める。
(採石場を望む)
(板屋の頭付近の崖)
(板屋の頭山頂)
風が吹きつけて寒い山頂を後にして、次の高反山を目指す。板屋の頭から少し下ると子ノ権現の眺めが得られる。雑木林から檜林へ変わると道は急な下りとなる。曇り空も影響してか、異様に暗い。小ピークを一つ越えると左に長く張り出した尾根が壁の様になって見えてくる。おそらく高反山の尾根だろう。やや急な斜面を乗り上げると高反山の分岐である小ピークに出る。北側は雑木林で明るい。確か分岐であることを示すテープがあったはずだが、周囲を見回しても見当たらない。とりあえず下から見えた尾根を進む。薄い踏み跡を行くと木のプレートが掛けられた高反山の山頂(532)だ。檜などに覆われて展望はない。物好きでもない限り、寄る人は居ないであろう地味なピークだ。
(左が子ノ権現 右は枝越しに古御岳・伊豆ヶ岳)
(高反山の分岐である小ピークを目指す)
(高反山)
分岐に戻り、鞍部に下ると踏み跡は尾根道と巻き道とに分かれる。尾根道を上がった小ピークが堂平山への分岐だ。少々遠いが堂平山へも寄り道していこう。急な斜面を下るとその先は緩やかな尾根となる。南集落からの薄い踏み跡が横切っているので、峠のような役割も果たしているのだろう。少しきつい斜面を上がると堂平山の山頂(520)に出る。名の通り平らな山頂で檜に覆われている。以前来たときは石っころの会のプレートがあったはずだが、現在は高反山で見たのと似たようなプレートが掛けられていた。
(堂平山分岐)
(堂平山山頂部の様子)
(山頂プレート)
往路を戻るが、ここの往復は少々面倒くさい。次の六ツ石の頭との鞍部に下りると北東の展望が開ける。奥に見える集落は顔振峠近くの風影で間違いないだろうが、その手前のピークはよくわからない。おそらく板屋の頭から北へ派生する尾根上のピークであろう。雑木林が広がる細く急な尾根を登っていると前から初老の男性がやって来た。今日山で初めて会う人だ。尾根を登り切ると檜に覆われた六ツ石の頭(540)に出る。小さな岩が点在しているところから付けられた名であろう。かつては奥武蔵の地味なルートでよく見かけるプラ製のプレートがあったのだが、今日は見当たらなかった。どうやら分岐を示すテープやプレートの類を外している人がいるようだ。
(鞍部からの眺め 奥は風影の集落)
(六ツ石の頭)
六ツ石の頭からスルギの間は少し複雑な地形となっている。踏み跡がはっきりとしているので、迷うことは無い。ただ地形図を見ながら歩くと読図の勉強にちょうどよいと思う。犬と木にペイントがされた分岐を見送ると細長い鞍部に出る。南側が開け、蕨山らしき平たい山頂が見える。小さなお堂のある小ピークを越える(右から巻くことも出来る)と峠らしき所に出る。左は久久戸集落、右は538のピークの巻き道である。正面の踏み跡は538のピークを目指すものだ。まずは538のピークを目指す。峠にあったプレートによると久久戸山という山らしい。峠から山頂までは意外と距離があり、堂平山以上に苛々させられる。檜などに覆われた山頂には石っころの会のプレートがあったはず…と思っていると、木の根元にプレートが置かれていた。
(蕨山だろうか)
(お堂 このピークは巻くことが出来る)
(峠 正面が久久戸山への道)
(久久戸山のプレート)
地形図を見ると山頂から子ノ権現へ向かって山道が描かれているが、実際は藪が酷く、踏み跡は付いていない。むしろ北に小さく派生する急な尾根を下って巻き道へと出るのだが、ここは素直に往路を戻ることにした。峠から巻き道に入るとすぐに滝不動(青場戸集落)へ下る尾根が派生している。そしてするぎと書かれた古い道標がある。どうやらスルギとは538のピークではなく、峠のような所を指すのではないだろうか。538のピークを巻き終わるとあとは子ノ権現へ向かって緩やかな尾根道が延びているだけである。細い鞍部から最後の登りに差し掛かると木も疎らな緩斜面に出る。暗い植林帯ばかりだったので、ホッとする光景だ。緩斜面を横切るように登るとあとは緩やかな植林帯となる。鐘の音が大きくなり、子ノ権現は間近である。境内へと出る直前、北側が大きな伐採地となる。先月も来たばかりだが、この開放感はやはり良い。先ほど眼下に見えていた採石場がだいぶ遠くに見える。人間の脚も大したものだと思う。先月よりも少し早い時間ということもあり、遠く東京のビル群やスカイツリーも見えた。展望台で眺めを楽しんでいると小さな氷の粒のようなものが降ってきた。近くにいた中高年グループの話によると風花というらしい。寒いので、境内へ退避することにした。
(スルギの古い道標)
(明るい緩斜面)
(駐車場前の展望台からスカイツリーと東京のビル群)
(駐車場前展望台のパノラマ)
立派な屋根付きの駐車場を抜けると杉の大木が迎えてくれる。参道に沿って3軒の売店があり、小さいながらも門前街を形成している。山門を潜ると頭でっかちな二体の仁王様が待つ。顔はいかめしいが、どこか可愛らしい雰囲気もある。参道脇の杉並木の切れ間からは豆口山(629.1)辺りの尾根が手前に見え、奥は金比羅山から藤棚山辺りの尾根だろうか。更に奥の平たい山頂を持つ山は棒ノ折山に当たるらしい。左奥には大岳山らしき出っ張りを持った山も見える。参道を抜けると庫裏があり、お守りなどを売っている。ここで仏足と呼ばれるお守りを買っていくことにした。本堂で初詣を済ませ、山頂部に当たる鐘楼台へと上がる。吹きっ晒しの石段は風が冷たい。鐘楼台のすぐ側には釈迦堂があり、南東方面が切り開かれて、展望台も出来ている。スカイツリーが見られることを売りにしたいらしい。鐘楼台から本堂側を見れば、台形状の無骨な山が見える。採掘場があるところを見ると武川岳だろうか。一際高く突き出した山は武甲山らしい。
(杉の大木と門前街)
(仁王像)
(奥の山は棒ノ折山辺りであろうか)
(鐘楼)
(鐘楼台からの眺め)
(釈迦堂前から スカイツリーと同じ高さだという)
寒い鐘楼台を下り、庫裏の裏を抜けて、日の当たる裏道に出る。ここも風があるが、日は暖かい。今日はベンチが空いていたので、少々早いが昼食の菓子パンを食べることにした。一息ついたところで、次の目的地である竹寺を目指す。伊豆ヶ岳への縦走路へ入り、愛宕山への急坂の前から左に巻く道に入る。檜の生える快適な道だ。大岩のところで右に曲がり、尾根に上がる辺りで穴沢への道を分ける。日が高くなってきたこともあり、木漏れ日が明るく感じられるようになった。緩やかな道の両側は笹が生い茂る。尾根の西側は雑木林となっている所も多い。かつては笹がトンネル状だったが、最近は低くなった。
(北側展望台への分岐から)
(笹の道)
尾根が東に突き出している所は傾斜が急で、土留めの木段が続く。ここに来ての木段は本当にきつい。ここを登り切ると617のピークに出るが、特に名前などは付いていない。大木の切り株が残る広い急な斜面を下っていく。尾根が細くなってくれば、豆口峠は近い。痛みが激しい小屋掛けのある豆口峠には並沢からの峠道が延びてきている。今日は豆口山の西側を通る巻き道を進む。確りとした踏み跡があり、道も緩やかで歩きやすい。やがて尾根は右手に分かれる。正面には竹寺に直接向かう沢コースがあるので、ここを下る。
(豆口峠)
(尾根道と沢道の分岐)
この竹寺へと直接向かう沢コースは子ノ権現から竹寺へ向かう道の中で、最も気持ちの良い所だ。沢の傾斜を利用しながら、徐々に高巻くという設計思想が素晴しい。このまま下りて平気なんだろうかと思う頃、竹寺裏手にやって来る。最初に目に入るのは茅葺屋根の本殿だ。竹寺(八王寺)の本尊である牛頭天王が祀られている。ここは薬師如来を祀る寺であると同時に牛頭天王という神を祀る神社でもあるのだ。高台にある本殿からは眼下に庫裏が見え、寺の象徴とも言える竹林の向こうに東京のビル群が遥か遠くに見える。
(沢沿いの道)
(本殿前から)
(本殿)
本殿から石段を下りてくると茅の輪がある。茅の輪は災厄を祓う神事のために置かれるもので、鶴岡八幡宮で見た記憶がある。ただ通常八の字にくぐるはずなのだが、ここでは石段の途中にあるので、八の字にくぐることはできない。石段を下りきると左手に庫裏があり、何やら人が集まっているようだ。見るとみな甘酒を飲んでいる。無料で配られているもので、洒落た竹のコップに自由に汲んでよいということだ。口をつけると疲れて冷え切った体に染み渡る。美味い。お礼にお守りを一つ買っていくことにした。
(茅の輪)
(庫裏)
あとは最終目的地の鳥居観音を残すのみとなった。先ずは鐘楼台のある尾根を登り返さなくてはならない。本殿へ戻るとここからもスカイツリーを見ることが出来た。本殿裏からは鐘楼台を直登するルートと鐘楼台のピークを巻いて鞍部から小殿へと下りるルートに分かれる。子ノ権現と異なり久しぶりに竹寺へと来たので、鐘楼台に寄っていくことにした。標高差30mほどしかないのだが、気が急いてなかなか足が上がっていかない。周辺は雑木林が多く、急坂を登るには日が陰らず暑い。それでも遮二無二登り、鐘楼台(581)に出る。スカイツリーを含めた東京のビル群がここでもよく見える。しかしそれ以上に存在感を放つのが台形状に肩を怒らせる大高山だ。山頂部が突き出した天覚山は木に隠れがちだ。
(本殿前からスカイツリーを望む)
(鐘楼)
(鐘楼台からのパノラマ 左奥が大高山)
越し方から向かいの踏み跡を下ると尾根道と巻き道に分かれる。前回は尾根道を歩いたので、今回は巻き道を歩く。杉の植林の中の巻き道は踏み幅が狭く歩きにくい。竹寺からの巻き道が合流すると小殿への下りとなる。まずは南にある小ピークを横切りながら下っていく。それほど傾斜の急な道ではない。一旦快適な広めの尾根道に乗るが、すぐに岩が露出した急な九十九折となる。登る分には九十九折となっていてあまりきつくはなさそうだが、下るとなると岩が露出したザレた道が厄介だ。展望もなく、我慢の下りを続けていると送電鉄塔(42号鉄塔か?)のある小ピークに出る。鉄塔下からは小殿の集落が見下ろせる。背後に迫る山は西平山から蕨山へと続く尾根だ。右端に見えるなだらかな山は武川岳。左に行くと優美な弧を描く妻坂峠を経て大持山だ。大持山の右に見える鋭鋒は小持山だろう。そして妻坂峠の上に見えるのは武甲山だ。
(送電鉄塔)
(鉄塔下からの眺め)
鉄塔の見晴を過ぎれば、道は只管杉林の中を下っていくだけだ。眼下に車道が見えてくれば、小殿登山口はすぐそこだ。車道に下りて左に行くと明るい水色(というか緑色に近い)のJAの建物が見えてくる。小殿バス停はその先にある。しかし今日は鳥居観音を訪問しなければならない。バス停向かいの東屋で一休み。おっ、バスが通り過ぎていった。東屋脇の橋を渡り、車道を進んで左に曲がる。近くには学校があるほか、グラウンドや民家があり、賑やか。鳥居観音へと近づくにつれて、白塗りの大観音・タイやミャンマー辺りにありそうな塔・地球儀(?)などが見えてくる。
(JAの建物 そばに小殿バス停がある)
(地球儀? 何か乗っているが…)
自動販売機が立ち並ぶオートキャンプ場の向かいが白雲山鳥居観音だ。
クルマでも参拝できるよう境内を車道が延びている。子ノ権現・竹寺が千年以上の歴史を持つ古いお寺なのに対し、この鳥居観音は昭和15年(1940年)開山と比較的新しい寺だ。この寺を建てたのは旧埼玉銀行(現りそな銀行)の頭取も務めた平沼彌太郎氏である。観音信仰に熱心だった母志げの願いを叶えるために私財を投じた、と聞くと親孝行な息子さんというイメージだ。他方で先ほどチラと目に入った地球儀やら塔やら大観音やらを見ると、次第に自分の趣味に走ったのでは?と思わないでもない。
(鳥居観音入口)
まあとりあえず中に入って拝観していくとしよう。何せ金比羅神社跡のあるピークの東斜面一体が境内という広さだ。どんどん歩いていかないと日が暮れてしまう。まずは平沼氏の銅像に挨拶し、立派な本堂の脇を抜けると鳥居文庫と書かれた建物がある。平沼氏が彫った仏像のほか、各地から集めてきた仏像・書画などが収められているという。平沼氏は著名な彫刻家に師事し、境内にある多くの仏像を自身で手掛けたのだという。そういえばボクの叔父もある事件をきっかけに精巧な仏像を作り上げたことがあった。だから単なる信仰心だけで人の心を打つ仏像が作れるという訳ではないだろうと思う。
(この方が平沼氏)
(鳥居文庫)
鳥居文庫を過ぎるといよいよハイキングコースの始まりだ。拝観料を徴収する小屋があるが、人は居ない。下界に戻ってきたら払うことにして、一先ず先に進む。歩き始めは結構本格的な山道だ。地形図に付けられている山道がそのまま巡拝路となっているらしい。葉を落とした椛の生える山道を上がると立派な山門が見えてきた。案内板によると仁王門であるとのこと。石段を登ると山門の中に二体の仁王像が迎えてくれる。子ノ権現のものと比べるととても均整の取れた体付きだ。
(仁王門と仁王像)
仁王門を過ぎると道は斜面を斜めに横切るように上がっていく。途中懸造りの堂宇があり、創建当時の本堂だという。現在の鳥居観音のスケールの大きさを考えると随分こじんまりとした建物である。これを見ると当初は山の斜面を利用した落ち着いた寺院にする予定だったのでは…などと考えてしまう。ここを過ぎると尾根の上に出る。ちょうど地形図だと北東に細い尾根を延ばした辺りだ。そしてここには麓から見たあの地球儀がある。正確には地球儀の上に白い観音様が乗っかっている。案内板によると地球愛護平和観音というそうだ。昭和54年開基とあり、環境破壊を危惧して創ったものらしい。デザインは奇抜だが、そのスケールの大きな思想を表したものだとすると、必ずしもおかしなものとは言えない。地球儀の下はちょっとした展望スペースとなっていて、これから訪れる塔や観音様などを見渡せる。
(当初の本堂)
(平和観音)
平和観音から下り、比較的緩やかな明るい道を行く。西日の割に暑く感じる。尾根から斜面を横切る道へと変わるところで、金比羅山への道が分かれる。ただしロープが張ってあるので、この道は使ってくれるなという意味かもしれない。意外に広い道を行くと、三蔵塔へ行く急な山道(近道)と鐘楼台へと向かう緩やかな道が分かれる。道標に書かれた近道という字に惹かれて三蔵塔へ先に行くことにした。急な道に汗が噴出してくる。登り切ると巨大な三階建ての塔の前に出る。自販機と案内所らしき建物があるものの、どちらも利用されていない。三蔵塔の前までは麓から登ってくる車道が来ていて、北側の展望が大きく開けている。三体の白い観音様が大きい。
(三蔵塔)
(白亜の大観音像)
三蔵塔から大観音までは舗装された車道を進む。微妙なアップダウンがあるので、地味に脚にくる。鞍部に当たる所までくると納経塔が建っている。日本の慣習だと木造の塔を建てるか、お経を埋めた塚にする程度だろう。ところがこの塔はコンクリで造られ、細工やカラフルな彩色がされている。タイやミャンマー辺りにありそうな塔だ。そしてすぐ先の小ピークの上に三蔵塔の前で見た三体の大観音が鎮座している。台座の上に立っているので、ちょっとお顔が遠く感じる。大観音の下には展望台があり、南側の眺めが良い。あまり見慣れない風景だが、展望台に置かれた案内板によると左から周助山の尾根があり、伐採地のあるいかつい山が楢抜山。平和観音の地球儀の上に見える辺りは大仁田山だという。右から下りてくる金比羅山の尾根の向こうには棒ノ折山や黒山が見えているらしいが、どれのことかははっきりとしない。
(納経塔)
(観音像を見上げる)
(展望台から平和観音と鐘楼台 奥の山が大仁田山らしい)
(楢抜山)
(展望台からのパノラマ)
石段を登ると台座部分は建物となっていて、平沼氏の彫った仏像などが安置されているとのことだ。夏季の土日祭日は中に入って拝観できるらしいが、今日は扉の鍵が固く閉ざされていた。台座の上には観音像だけでなく、青銅色の四天王像(あるいは十二神将像だったかもしれない)が置かれている。また仏教説話と思われるレリーフで周囲が飾られ、実にお金の掛かった施設であることが窺える。一通り見るべき所も回ったので、そろそろ下山するとしよう。車道を戻り、先ほど見た三蔵塔までやって来た。案内板を読んでみると正式には玄奘三蔵塔といい、高さは33mあるとのこと。そしてなんと西遊記に出てくる三蔵法師の骨が納められているのだという。まあ日本にある五重塔などの仏塔の多くは、お釈迦様の骨を納めているという建前ではある。三蔵塔前の展望台から再び大観音像の眺めを楽しむ。よく見たら、伊豆ヶ岳から子ノ権現への尾根が一望できるではないか。これも観音様を拝んだ功徳であろうか。
(仏教説話のレリーフ ほかにもある)
(台座の部分から見下ろしたところ)
(三蔵塔前から 左奥が古御岳・伊豆ヶ岳)
三蔵塔から麓までは車道を下りていく。途中カラフルな鐘楼台があったが、子ノ権現などのように自由に撞くことはできない。中国風の門などを過ぎ、鳥居文庫まで戻ってきた。庫裏に行き、破魔矢などを買おうとしたが誰も出てこない。已む無く入山料を賽銭箱に入れて、連慶橋バス停へと向かう。境内の駐車場には結構クルマが停まっている。そういえば観音像の辺りでは家族連れなどが多かった。それなりの観光地として成り立っているのだなぁ。橋を渡るとバス停はすぐそこだ。西日を浴びてシルエットとして浮かび上がる古御岳の鋭鋒が印象的であった。
(鐘楼台)
(中華風の門 玉華門というらしい)
DATA:
吾野駅6:59~7:45前坂~8:20板屋の頭~8:34高反山~8:49堂平山~9:05六ツ石の頭~9:27久久戸山~9:36スルギ~
9:57子ノ権現10:26~10:54豆口峠~11:11竹寺11:28~11:34竹寺鐘楼台~12:01小殿バス停~12:14鳥居観音入口~
12:48大観音像~13:14鳥居観音入口~13:22連慶橋バス停(国際興業バス)飯能駅
国際興業バス 連慶橋~飯能駅 660円
地形図 原市場
歩数 30,642歩
鳥居観音 入山料 大人200円 クルマなどで入山する場合は料金が異なります