「報道とは・・・」 2022-06-27 00:00:00 | 日記 2022年6月27日、2016年熊本地震について、熊本市出身、NHKの武田真一アナウンサー(当時48)は、発生直後から被害や復旧・復興の状況を日々のニュースで伝える一方、特集番組で故郷への思いもにじませてきた。〈武田アナは本震のあった2016年4月16日夜の「NHKスペシャル」で、「熊本県は私のふるさとです。ふるさとを思うと、胸が締め付けられます」と心情を吐露。番組終盤では「この災害を乗り越えましょう」と現地に呼びかけた〉私たちはあの番組を放送するにあたり、「被災した方々の状況を代弁し、日本全国にその声を届けたい」というメッセージを込めた方がいいと考えました。番組・キャスターとしての立ち位置を鮮明にするために、ああしたことを申し上げました。NHKでは東日本大震災以降、災害時、視聴者にどのような呼びかけをしたらいいか、検討を続けてきました。ただ単に情報を伝えるだけではなく、私たちが被災した方々の立場に立ち、時に励ますことも必要なのではないか。「皆さんに寄り添う放送」ということを鮮明にすることで、災害を乗り越える力に、少しでもなれば。そういう考えに至りました。また、私は5人兄弟なのですが、みな地元を離れて暮らしています。発生直後、互いに連絡を取り合っていたのですが、うまく家族や親族と連絡が取れず、不安の声が募っていました。故郷を離れた私のような人たちも、全国にいらっしゃるのではないか。そういう思いも共有したいと思いました。〈武田アナは地震発生から10日ほど後、休暇で熊本に帰郷。親族の自宅の片付けなどを通じて、自身の仕事も見つめ直したという〉阿蘇に母が住んでおり、妻の実家が熊本市の、益城町の近くにありまして、そこの片付けに行きました。幸い、母の方は無事でしたが、妻の実家では、家の壁が壊れたり、建物にひびが入ったりしていました。帰郷前の話ですが、妻の実家では2回目の地震で、アルミサッシの大きな窓が外れてしまったと聞きました。その日の予報が雨で、雨が降り込んだら家の中がめちゃくちゃになってしまう。たかだか窓一枚なのに、私も家族も、絶望的な気持ちになりました。ましてや、大切な方を亡くされたり、家が全壊された方々はどんな思いを抱かれているのか。そう思うと、胸が締め付けられるようでした。帰郷した際、妻の実家で壊れた家具を運び出したり、床に散らばった砂壁などを片付けながら、改めて感じたことがあります。復旧・復興の第一歩とは、こうして壊れたものを一つ一つ、地道に片付けていく作業だということです。私たちはいつも、「命を救いたい」「復興を早めたい」という思いで放送をしています。ただ、情報や言葉だけではどうしようもない部分がある。だからこそ、現場で汗を流し、泥にまみれて復旧に当たっている方々、被災した方々の苦労を思いながら、取材、放送に当たらないといけない。それを忘れた報道や取材は厳に慎むべきだと、改めて感じました。〈武田アナは東日本大震災時も連日のように、被害の様子を伝えていた〉私の個人的な経験ですが、東日本大震災で、津波が田畑や家を襲う空撮映像を見たとき、大きな無力感に襲われました。言葉でそれを描写しても、現地の方々に何もしてあげられない。私たちは放送で、一体何ができるのか。そう落ち込みました。1カ月くらい後、(岩手県)大船渡市を訪れたとき、壊れた時計を見つけました。時計は、午後3時25分を指していました。地震発生が午後2時46分ですから、津波の到来まで30分余り、時間があったわけです。その間、命を助けられるのは何か。命を救う前提となるのは、正しい情報がきちんと伝わるということではないか、と思いました。私たちが、どんな危険が迫っているのかということを伝え、呼びかける。私たちは、災害時に行動をうながすトリガーのような役割をしなければいけないのではないか。現地を訪れ、そう思い直したのです。〈NHKは東日本大震災以降、視聴者に避難の必要性などを訴える「呼びかけ型アナウンス」を大幅に見直してきた〉呼びかけのあり方を見直す中で、一番大切にしたことは、被災した方々の心に響くかどうか、ということでした。心に響き、実際に身を守る行動を取っていただくところまで考えなければ、被害を減らす「減災報道」にはつながらないからです。では、どんな表現をすればいいか。地震の場合でも、自宅、ビル内、街中・・・。それに、時間帯や季節など、被災される状況はさまざまです。時間の経過や段階に応じて、注意点も変化します。あらゆる場面を想定し、それぞれの状況に置かれた方々に届くような呼びかけを整理してきました。加えて、視聴者を励まし、心に訴える表現についても検討してきました。これには一つのきっかけがあります。東日本大震災時、仙台放送局の先輩アナウンサーが、「今夜は助け合いの夜です。もうすぐ夜が明けます。力を合わせて、この夜を乗り越えましょう」といった言葉を挟みながら、ラジオで一晩中、状況を伝えたという事例がありました。これに「力になった」というリスナーからの反応があり、呼びかけの文案に盛り込むようになったのです。〈熊本地震でも、発生直後は励まし型のアナウンスが採用され、「避難所で怖がっているお子さんを抱きしめてあげて」などの呼びかけが行われた〉現地の職員からは、「おおむね好評だったのではないか」という声を聞きましたが、一方で、仲間内からは、時間がたつにつれて、呼びかけに「違和感がある」という声も聞かれました。時間が経つにつれて、現場の状況と、東京など離れた場所の状況に、だんだんと齟齬が生じてくるんですね。例えば、私たちは余震が起きる度に「壊れた建物、傾いた建物には近づかないでください」と、繰り返し申し上げていました。しかし、現地には「壊れた自宅に物を取りに帰らないと生活できない」という方がいたり、「避難所そのものにひびが入っているのに、そう言われてもどうしようもない」「そもそも壊れていない建物はない」ということを思われている方もいたりしました。また、「お互いに声を掛け合ってください」という呼びかけも行いましたが、「何度も言われると『押しつけがましい』『疲れる』と思う方もいるのではないか」という声も内部ではありました。エコノミークラス症候群に関しても、「時折手足を伸ばしてください」「可能であれば水分補給をしっかりおこなってください」と申し上げました。ただ、「水なんてない」「そもそも水分をどれくらいとればいいのか」といった指摘もありました。そうしたことを追加で取材し、より具体的な情報を伝えるべきだったと感じています。現場の最新の状況はどうなのか。放送がどう受け止められているのか。そうしたことをリアルタイムでフィードバックしながら、アナウンスをしていかないといけない、と感じています。〈武田アナの現在の肩書は「シニアアナウンサー」。NHKでは、若手アナの指導にも当たっている〉これは若いアナウンサーにいつも言っていることなのですが、「本気で命を救いたい」という心構えが大切だと思っています。私たちの仕事は、声で情報をお伝えすることだけです。だからといって、声で命を救おうということに懐疑心を持ってはいけないと思うのです。情報をお伝えするだけの立場であるからこそ、その情報で「本当に命を救うんだ」という決意がないと、実感のこもった声、伝わる放送にはならないと思っています。アナウンサーは、マイクに、放送に、そして視聴者に一番近いところにいる存在です。災害が起きたときには、一瞬の判断が必要になってきます。東日本大震災では、最初の揺れから津波が来るまで、数十分の時間がありました。普段は記者やディレクターと相談しながら放送を行っていますが、緊急報道では、指示を待っているだけでは命が救えません。アナウンサー自身が常に備え、自らの判断で最善の情報をお届けできるようにしておかないといけないと思っていたが、2022年現在は・・・(井森隆)