忘れられた日本 100年前の名前もわからない日本人の写真 生まれた場所は違えけど 仲良し 唱歌 ふるさと
若林稲荷神社
松陰神社と太子堂八幡神社の間に鎮座する、神社。
偶然見つけて参拝した時に、お稲荷様にしては静かな雰囲気で「なんでかな?」と調べてみると、元はお寺に鎮座していた「天祖神社」を合祀していたお稲荷様なのでした。
お寺育ちの天祖神社さまの影響でしょうか?
静謐、そして穏やかな空気。
忘れられた日本 100年前の名前もわからない日本人の写真 生まれた場所は違えけど 仲良し 唱歌 ふるさと
若林稲荷神社
松陰神社と太子堂八幡神社の間に鎮座する、神社。
偶然見つけて参拝した時に、お稲荷様にしては静かな雰囲気で「なんでかな?」と調べてみると、元はお寺に鎮座していた「天祖神社」を合祀していたお稲荷様なのでした。
お寺育ちの天祖神社さまの影響でしょうか?
静謐、そして穏やかな空気。
忘れられた日本 100年前の名前もわからない日本人の写真 戦の果て 猿を名に持つ男は 英雄になった
猿江神社
猿藤太(さるのとうた)。
歴史書にはないけれど、地域の伝承として残る武将の名前。
本人はお経を身につけて戦にのぞんだということは、なにかしらお守りがわりとして持っていたと思います。
が、その守りも虚しく、命を戦場で落として・・・。
せめて、遺骸は丁寧に葬ってほしいと、ご神仏が情けをかけられたような伝承です。
毎晩遺体が光を放っていたということは、結構多くのご遺体が、この浜辺には戦のときには
流れ着いていて、葬る時はまとめて葬っていたのでしょうか。
村人の、死をいたわる気落ちが聖域となった神社。
忘れられた日本 三途の川 亡者の衣服を剥ぎ取る婆へ 美を乞う
100年前の日本人の写真とともに
川崎大師
いつも通っていながら、こちらの端に鎮座する「しょうづかの婆さん」を知りませんでした。
ということで、今回は西から参拝。
とても小さな仏様ですが、昔から日本人の願いを受けてくれていた仏様。
本堂の護摩行はすごい迫力です。
何人もの僧侶が大声でお経をとなえ、鐘を鳴らし、太鼓を打つ。
ほんとうに悪いものがすかっと取れる気がします。
川崎大師駅から数分で着く聖域。
忘れられた日本 100年前の名前もわからない日本人の写真 鴎、それは吉兆
鷗稲荷神社
羽田の神様巡り。
かもめ(鴎)の名前がついた神様です。
魚群探知機がない昔、鴎や鳥たちは魚の群れの存在を教えてくれるありがたい吉兆鳥。
昔の日本人が感じていた心持ちを思い出させてくれる聖域。
忘れられた日本 100年前の名前もわからない日本人の写真 石に願いを
100年前の日本人の写真とともに 東京神社
牡丹住吉神社
とてもとても小さな聖域。
言葉にするのは難しいですが、こういう神様こそを人々に知ってもらいたい。
たくさんの日本人が願いを捧げ、感謝を捧げ、信じ、苦しみを吐露してきた場所。
こんなに狭くても色々な思いを受け入れてくださってきた神様だと思うと、本当に感無量です。