荻原浩さんの『オイアウエ漂流記』読みました。今作でも荻原さん流のユーモアがたっぷりと込められていて、面白いままに読了です。
南太平洋上空、トンガからラウラ諸島に向けて飛行していた小型旅客機が遭難。嵐の中、海に着水したのは良いが、現地周辺の事情をいちばん知っているはずのパイロットは飛行機とともに海の底へ。救命ボートに乗っていたのは、日本人9人(リゾート開発会社社員4人、取引先の副社長、成田離婚しそうな新婚カップル、お爺ちゃんと孫の少年)、外国人1人とセントバーナード犬1匹。ボートは小さな無人島に流れ着くが、一向に捜索隊・救助隊が来る気配がない。10人と1匹は、無人島で「生きる」ための知恵と勇気を絞り出す。
スイッチひとつで電気がつき、ガスコンロが使え、小銭さえあれば、いつでも自動販売機で飲み物が買える。そんな当たり前の生活から、便利な道具が何もない無人島に漂流してしまったら…。
とりあえずこの物語の登場人物たちと同じように、飲料水となるもの、食料となるものを得ようとするでしょう。でもそれは全然簡単なことじゃない。
たとえば、ヤシの実を見つけて「ココナッツジュースが飲める!」と思っても、ヤシの実の割り方が分からない。しかもヤシの実は簡単に割れてはくれない…。
で、物語の中に登場するのが、南の島での戦争体験を持つお爺ちゃんです。こういう状況下でいちばん「お荷物」になるだろうと思われていたお爺ちゃんの、体に沁み込んだ知恵がいちばん役に立つのでした。
そして食べられるものなら何でも食べる。ウミガメ(私は以前、小笠原に行ったときに食べた経験あり!)も食べるしデカいコウモリも食べる。それもこれもみんな「生きるため」に。
テレビ番組の企画で「無人島0円生活」とか、よくやってますが、あの場合は出演するタレントさんに本気の「無人島生活」をさせるわけにはいかないし、バラエティ番組だから面白い絵がなきゃいけない。演出があっての無人島なわけです。
しかし本当の「サバイバル」とは、すっかり見慣れてしまったテレビ番組とは全然違うものなんだよ、という当たり前のことを、ちゃんと思い出させてくれた、そういう作品でもありました。
南太平洋上空、トンガからラウラ諸島に向けて飛行していた小型旅客機が遭難。嵐の中、海に着水したのは良いが、現地周辺の事情をいちばん知っているはずのパイロットは飛行機とともに海の底へ。救命ボートに乗っていたのは、日本人9人(リゾート開発会社社員4人、取引先の副社長、成田離婚しそうな新婚カップル、お爺ちゃんと孫の少年)、外国人1人とセントバーナード犬1匹。ボートは小さな無人島に流れ着くが、一向に捜索隊・救助隊が来る気配がない。10人と1匹は、無人島で「生きる」ための知恵と勇気を絞り出す。
スイッチひとつで電気がつき、ガスコンロが使え、小銭さえあれば、いつでも自動販売機で飲み物が買える。そんな当たり前の生活から、便利な道具が何もない無人島に漂流してしまったら…。
とりあえずこの物語の登場人物たちと同じように、飲料水となるもの、食料となるものを得ようとするでしょう。でもそれは全然簡単なことじゃない。
たとえば、ヤシの実を見つけて「ココナッツジュースが飲める!」と思っても、ヤシの実の割り方が分からない。しかもヤシの実は簡単に割れてはくれない…。
で、物語の中に登場するのが、南の島での戦争体験を持つお爺ちゃんです。こういう状況下でいちばん「お荷物」になるだろうと思われていたお爺ちゃんの、体に沁み込んだ知恵がいちばん役に立つのでした。
そして食べられるものなら何でも食べる。ウミガメ(私は以前、小笠原に行ったときに食べた経験あり!)も食べるしデカいコウモリも食べる。それもこれもみんな「生きるため」に。
テレビ番組の企画で「無人島0円生活」とか、よくやってますが、あの場合は出演するタレントさんに本気の「無人島生活」をさせるわけにはいかないし、バラエティ番組だから面白い絵がなきゃいけない。演出があっての無人島なわけです。
しかし本当の「サバイバル」とは、すっかり見慣れてしまったテレビ番組とは全然違うものなんだよ、という当たり前のことを、ちゃんと思い出させてくれた、そういう作品でもありました。