伊集院静さんの『ミチクサ先生』を読みました。
読書記録、実にお久しぶり。言い訳をすると、この夏の暑さが異常すぎて「ゆったり本を読む」なんてことがまったくできませんでした。読んでいたのは仕事に関するものばかり。心の栄養補給ができるはずもない夏でございました。
それでようやく読書できるようになって、積読だった本作から、となったわけです。
近代日本文学において最も重要な人物となる夏目漱石。東京・牛込の名主の家に生まれたが、すぐに里子に出された金之助。その後、いろいろと「ミチクサ」をしながら漱石となり、生涯の友となる正岡子規、寺田寅彦らとの交流などもあり、近代日本文学に多大な影響を与える存在になるまでの50年の人生を描いた作品。
夏目漱石の作品自体、高校生の時に『吾輩は猫である』とか『坊ちゃん』を読んだ記憶がある程度で、数年前に『こころ』を読んで以来、そのままになっていたように思います。誰に対してなのかも不明ですが何だか申し訳ないような……。
それでもまず、文豪の人物像から攻めてみようかと思い、加えて『ノボさん』でかなり感動しちゃったこともあり、漱石の話なら絶対に子規のエピソードもあるはずと、読み始めたのでした。
たぶん伊集院さんは正岡子規のことがとても好きなんだと思います。『ノボさん』で描かれていた子規も素晴らしかったけど、本作は漱石の話なのに描かれている子規が凄くいいんです。それと寺田寅彦。
そしてメインテーマである「ミチクサ」です。漱石はこんな風に言っています。
「ミチクサが多いほうが、人生は面白い。山の頂上までは裏から登ったって、足を滑らせてもいい。あちこちぶつかった方が道は拓ける」
ああ本当にその通りだわ。順路通りに確実にストレートに進むよりも、回り道やときには「振出しに戻る」の方がいろんなことが見えて面白いもの。人生、大いに道草すべきです。
ゆったりと、道草しながら確実に歩んできた文豪の、確実な歩みを知ることができた作品でした。漱石がいて、子規がいて、寺田寅彦がいて、なんて素敵な時代だったんでしょう。個人的に心にゆとりを持ちたかったときの読書だったから、これ、ドンピシャでした。
読書記録、実にお久しぶり。言い訳をすると、この夏の暑さが異常すぎて「ゆったり本を読む」なんてことがまったくできませんでした。読んでいたのは仕事に関するものばかり。心の栄養補給ができるはずもない夏でございました。
それでようやく読書できるようになって、積読だった本作から、となったわけです。
近代日本文学において最も重要な人物となる夏目漱石。東京・牛込の名主の家に生まれたが、すぐに里子に出された金之助。その後、いろいろと「ミチクサ」をしながら漱石となり、生涯の友となる正岡子規、寺田寅彦らとの交流などもあり、近代日本文学に多大な影響を与える存在になるまでの50年の人生を描いた作品。
夏目漱石の作品自体、高校生の時に『吾輩は猫である』とか『坊ちゃん』を読んだ記憶がある程度で、数年前に『こころ』を読んで以来、そのままになっていたように思います。誰に対してなのかも不明ですが何だか申し訳ないような……。
それでもまず、文豪の人物像から攻めてみようかと思い、加えて『ノボさん』でかなり感動しちゃったこともあり、漱石の話なら絶対に子規のエピソードもあるはずと、読み始めたのでした。
たぶん伊集院さんは正岡子規のことがとても好きなんだと思います。『ノボさん』で描かれていた子規も素晴らしかったけど、本作は漱石の話なのに描かれている子規が凄くいいんです。それと寺田寅彦。
そしてメインテーマである「ミチクサ」です。漱石はこんな風に言っています。
「ミチクサが多いほうが、人生は面白い。山の頂上までは裏から登ったって、足を滑らせてもいい。あちこちぶつかった方が道は拓ける」
ああ本当にその通りだわ。順路通りに確実にストレートに進むよりも、回り道やときには「振出しに戻る」の方がいろんなことが見えて面白いもの。人生、大いに道草すべきです。
ゆったりと、道草しながら確実に歩んできた文豪の、確実な歩みを知ることができた作品でした。漱石がいて、子規がいて、寺田寅彦がいて、なんて素敵な時代だったんでしょう。個人的に心にゆとりを持ちたかったときの読書だったから、これ、ドンピシャでした。