最初に出会ったのは某予備校の教室。
国公立文系合格を目指すクラスだった。
全部で10人程度の小さなクラスだったけれども、打ち解けて話せるようになるまでには、ずいぶんと時間がかかった。
今でも予備校時代の友人たちとは交流が続いている。
これは、結構珍しいケースなのではないかと思う。
たぶん勉強もしていたはずなのだけれども、今でも思い出せる風景は「階段脇のロビーにたむろして、楽しく喋り合ってる僕ら」なのだ。
結局、僕も「られたた」も国公立には進学しなかった…というか、僕の場合はセンター試験でこけてしまった。
第3志望で受かった大学で素敵な仲間たちと出逢えたから、それはそれで構わないのだけれど。
当時の「られたた」の印象は「おとなしい人だなぁ」というもの。
いわゆる天然系のキャラではあったけれども、グループの輪から常に半歩下がって微笑んでいるような人だった。
「られたた」は、かつて僕のことを「母さま」(かあさま)と呼んでいた。
話せば長くなるので端折るけれども、僕が母親で、もうひとりの女友達が父親で、「られたた」が娘で……みたいな家族ごっこをやっていたわけだ。
実に牧歌的な人間関係であったと言える。
あぁ、それなのに…
年月は人を良くも悪くも変えてしまう。
今の「られたた」は、ボケもツッコミも冴え渡る芸人体質の女性になってしまった。
ついでに言うと、お酒も相当に強くなった。
ザルの上を枠と言うらしいけれど、「られたた」には四次元ポケットの称号を与えよう。
本人は「私はきわめて地味な人間だ」と言い張っているようだけれども、冗談は4月1日だけにしてほしい。
ちょっぴりお堅い仕事についているのだが、逆の意味で「こういう人がこういう仕事についていられる日本は、実に平和でよい国だ」と思えてならない。
いちおう僕としては全力で褒めているつもりなのだが、なにせお互いが常に「下克上」を胸に秘めて接しているような関係。
気を抜くと、不穏当な表現になりかねない。
本当に「いいやつ」なのだが、人の「肉体的特徴」をことのほかあげつらうところは早急に改善していただきたい。
もしくは、早いところ弱点を作ってほしい。
もうちょっとダメ人間になってもらえるとツッコミがいがあるのだが、そういうところだけは相変わらず優等生なのだ。
困ったものだわい。
ともあれ、こういう女友達を持てたということは、僕の人生もまんざら間違った方向には進んでいないってことだろう。
それだけは、胸を張って言える。
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