前回、山蔭神道では、高天原をどのようなもの考えていたか
『古事記』では
高天原は「天地のはじまりより存在する根源世界」
「天地初発あめつちはじめの時、高天原に成りませる神の名みなは」
「天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神の三柱の神は、みな独神に成り坐まして隠れ身にます」(造化三神・産霊・ムスビ・結び)
山蔭神道家の伝では
天之中主神 =別名 天津渦渦志八奈藝大神 「円中の一点」 さらに、左巻き・右巻きがある
天之御中主神とは、小さな点ではなく、大きな渦巻きに発展する点を意味する
真の高天原は大宇宙の中心角をなすところという意味
縄文人の文化では
古墳の壁画、遺跡、土器に残る渦巻き模様の思考
三連の渦(縄文中期の文様)=アメノミナカヌシ・タカミムスビ・カムミムスビの三神を連想させる
では、潜象物理のカタカムナウタヒでは、「アマノミナカヌシ」とは何を意味する語なのだろうか
宇野多美恵解釈・総集編
日本の上古代文明とカタカムナウタヒ (第一巻) 潜象物理学会
より敬意を持って引用させていただく
p117 1行
第七首
◆ 楢崎皐月解読
マカタマ ノ アマノ ミナカヌシ タカミムスヒ カムミムスヒ ミスマルノタマ
p119 27行
「アマノミナカヌシ」とは、基底思念でよめば、「カム(潜象)から現象アマに変遷ノした、ミのナカに見えぬ主ヌシ」であり、それは、現象タカミのカタチ(生命体)を発生ムスし、潜象カムミのチカラ(生命力)を発生ムスする「ミスマルノタマ」である、ということである。
「ミスマルノタマ」とは、「ミが潜象のままヤまで進行スしてマにとどまりル変遷ノしたタマ、ミのスケスた潜象のマルノタマ」という思念である。(第十一号147~254頁)
要するに、生命の発生を、カタカムナ人は、カムとフアマの重合トによって、カムミ(生命のチカラ)がヒトツヒトツ発生し、(フトマニ)、現象物に変遷ノする、と観ていた。則ちフトによるカムミミの発生が繰返ミコトされると、次々と発生したカムミは、現象物の形態(タカミタカミムスヒ)を形つくり、同時に、その現象物(タカミ)の中心部に潜象のままミスマル濃密になっている状態のモノ(アマナ)に重合カムミムスヒする。つまり、フトマニによって発生したカムミイノチは、現象の生命体タカミと、その体内の潜象のままタマシヒこもっている生命力カムミになる。これが、とりも直さず「カタカムナ」(「カ」からタしたカムナ)のことであり、「アマノミナカヌシ」とよぶものである、という直観である。
言いかえれば、マカタマノアマノミナカヌシは、現象物の生命体タカミと生命力カムミを発生ムスビするヌシであり、ミスマルノタマである、というわけである。
凡そ回転する物体は、電子も原子も、地球も太陽も皆、中心部が濃く重くなり「核」の状態になっていることは、我々も知っている。カタカムナ人は、その原子核の状態のチカラを「マカタマノアマノミナカヌシ」という、その物理を「タカミ ムスヒ カムミ ムスヒ ミスマルノタマ」と直観していた、と、楢崎皐月は解読したのである。
(因みに、「アマノミナカヌシ」は、神道では天の中心の最も根本の大神とされているが、ミナカヌシとは何か、なぜ中心なのか、という物理的説明は無い。又、科学ではアマノミナカヌシは原子核に当たるが、しかし、原子核が、電子陽子のチカラを発生するという物理は考えられていない。)(第十三号 64~65頁)
☆『古事記』では、造化三神として、アマノミナカヌシの神・タカミムスビの神・カムミムスビの神として、出てくる。(江川記)
* 宇宙のあらゆる現象は、すべて「カム」から変遷したものであり、カタカムナ人は、その変遷のしかたに「タカミムスビ」と「カムミムスビ」があると直観していた。(第七首)
則ち、『現象に出るタカ「ミ」を発生ムスビするトキは、同時に潜象カムの「ミ」を発生ムスビしている』という意味で、カム・アマとカムナ・アマナ、則ち、現象の粒子タカミ(原子細胞)とその中心核カムミ、の関係を示していたのである。
因みに、最小の物質、原子・電子から、最大の地球・天体に至るまで、現実に存在する個体(生命体)には、必ず「中心核」(生命核アマナ)がある。核アマナは潜象であるが、微小なものでも巨大なものでも、核があることで、生命のバランスが保たれるのである。
現代人は、原子・分子に核があることは知識として知っているが、自分の肉体カラダ(タカミムスビ)だけが自分であると思い、自分の肉体カラダの中に「生命核アマナ」(カムミムスビ)が存在することは、知らないのである。
つまり、自分の肉体カラダのことは、科学的にも文学的にもよく知っているが、その肉体を実際に日々刻々生かしているものヌシが、自分の肉体の中に潜在(カムミムスビ)していることには、気がついていないのである。
中略
又この「アマナ」の存在は、日本人が昔から何となく「心ココロ」とか「霊魂タマシヒ」などというコトバで感じていたもので、生物脳のアマナのことであると考えられる。
「アマナ」は原子分子等の一つの「マトマリ」(ハコクニ)に一つあるもので、六十兆の細胞には、その「ハコクニ」の数だけの「アマナ」があり、胃とか腸とか心臓とか全身の器官の「アマナ」が何億何兆あろうとも、「イキツチノワ」で、ヒトツの生命の方向に向かって「ワ」して、同調し、同時進行してハタラクものである。
要するに、「アマナ」はカムの変遷ウツシであり、「アマナ」の実質は、カムの「ミ」(潜象の極微粒子)であるから、現代人の感受性や科学の認識にはかからないわけである。(第十六号130~131頁)
p275 第七図より引用
結論
高天原とは天地(=宇宙)のはじまり、隠れ身の三柱の神(造化三神・産霊・ムスビ・結び)
目に見えない・潜象存在 天之御中主神 アマノミナカヌシ 「カム(潜象)から現象アマに変遷ノした、ミのナカに見えぬ主ヌシ」は
目に見えない・潜象存在 高御産巣日神 タカミムスビ 現象の粒子タカミを発生ムスし
目に見えない・潜象存在 神産巣日神 カムミムスビ 中心核カムミにおいてチカラを発生ムスする
「アマノミナカヌシ」=「カタカムナ」(「カ(潜象のチカラ)」から発生タした潜象存在カムの核ナ)
天之御中主神 アマノミナカヌシは 大きな渦巻きに発展する点、大宇宙の中心角
山蔭神道家における別名 天津渦渦志八奈藝大神
残された遺跡から、縄文人は、これらのことを知っていたと推測される
ということで高天原は、どこかの場所ではなく、現象の始まり全て、現象の継続全て、それは、宇宙、惑星、生き物、そして人間の体など、だから、探さなくても
あなた自身も生まれてからず~っと高天原
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神様のエネルギーは渦、そして山蔭神道の鎮魂法はそのエネルギーを
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