百ヵ日以内に
行者は自分が本当は何者であったかをサトル
百ヵ日以内に
行者は自分が生まれてから今までずっと眠っていたことをサトル
「神道の生き方」は絶版、古本は高価となっており入手困難と思われる
故山蔭基央氏は戦後の日本を憂慮しておられた
僭越ながら一助となるべく
山蔭神道家第79代故山蔭基央氏の著書「神道の生き方」学研パブリッシングp120~
心より哀悼の意を表し、敬意を持って引用させていただく
一瞬の純粋無を会得せよ
われわれ一般人には一瞬の長さなど、どうでもよいことだが、修行者にとっては一瞬(一秒)は重要な時間である。その一瞬の谷間は、永遠につながる絶対の空間であるからだ。そればかりではない。タテの広がり、ヨコの広がりをもつ。
一瞬(またたき)は無窮の時間に近い。その瞬きの間に認識したことは無限の量に比敵する。そのときに認識したことは忘れることなく、さらなる刺激によって、多くの答のヒントを与えてくれる。
それゆえ、太古神道の修行者で、この一瞬(一秒)の谷間に落ちた体験を一回でももつ者は、天才と見ゆる知能を発揮できる。
では、どうすれば一瞬の谷間に入れるのであろうか?これはきわめて難しいようだが、一心不乱に百ヵ日も修行していると経験できる。
同書p126~
わが中山家や山蔭家に伝えられている鎮魂法は、「眠る」と「醒める(さめる)」の谷間(瞬の間=一秒間)に入るための技術である。
人間の心というものは、ゴミ箱のように雑多な紙クズを押し込んでグシャグシャとなっているので、百ヵ日くらいの時間をかけて、心のゴミ(雑念)を整理浄化し、瞬の間に入る技術を会得するのである。
瞬の間に入ることは、そんなに難しい問題ではない。恐れることなく前に向かって精神を進めるべきである。
次回に続く
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