トントンのつぶやき

囲碁棋士信田成仁のブログです

早朝囲碁を始める意義

2016-05-24 06:33:50 | 気のままに

早いもので碁を始めてから50年が過ぎようとしています。僕が囲碁を始めるきっかけは、団地の集会所でした。日曜日の朝卓球をやって

いて、お昼から囲碁の時間です。ちょっと面白そうだなと見ているうち、おじさんたちが親切に教えてくれました。すぐにとりこになったので

すが、教えてくれたおじさんたちは僕にとって神様のように見えました。後でわかったのですが、僕に教えてくれた神様たちは、15級から

10級位の人達でした。その当時は級の人も有段の人も一緒に仲良く、本当に多くの人達が囲碁を楽しんでいました。そのころは学校にも

宿直室があり、そこに何面かの碁盤も置いてあり、僕も先生とよく碁を打ってもらいました。今思えば当時はお医者さんも、お坊さんも、政

治家も、市役所の人も、モウレツ社員といわれたサラリーマンも、強さに関係なく、たくさんの人達が囲碁を楽しんでくれていた、囲碁界に

とってよき時代だったように思います。囲碁ファンは1000万人などといわれていました(実質はわかりません)ですが、僕がプロになった頃

周りに、囲碁を楽しんでいる級の人達がみかけなくなるようになりました。実際に強くなる人達が偉く、有段者ばかりが碁を楽しむという環

境が育ったように感じました。囲碁の他のゲームにはない楽しさは、ハンディにあると思います。10級くらいの人でも、星目(9子)置けば上

手も下手も関係なく楽しむことが出来る。そこには分け隔てない楽しさがある、僕はそう思っています。「琴棋書画」という言葉を知っていま

すか。琴は音楽、棋は囲碁、書は読み書き、画は絵画ですね。君子の楽しみとして知られている言葉ですが、僕は勝手に人が楽しいと感

じる代表的なものとして捉えています。その中に囲碁が入っていることボードゲームの代表として昔から親しまれている、それがなぜか強く

なる人達だけが楽しむゲームに替わってしまっている。そこに危機感をかんじていました。            続き

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 早朝囲碁 | トップ | 早朝囲碁を始める意義2 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

気のままに」カテゴリの最新記事