早いもので碁を始めてから50年が過ぎようとしています。僕が囲碁を始めるきっかけは、団地の集会所でした。日曜日の朝卓球をやって
いて、お昼から囲碁の時間です。ちょっと面白そうだなと見ているうち、おじさんたちが親切に教えてくれました。すぐにとりこになったので
すが、教えてくれたおじさんたちは僕にとって神様のように見えました。後でわかったのですが、僕に教えてくれた神様たちは、15級から
10級位の人達でした。その当時は級の人も有段の人も一緒に仲良く、本当に多くの人達が囲碁を楽しんでいました。そのころは学校にも
宿直室があり、そこに何面かの碁盤も置いてあり、僕も先生とよく碁を打ってもらいました。今思えば当時はお医者さんも、お坊さんも、政
治家も、市役所の人も、モウレツ社員といわれたサラリーマンも、強さに関係なく、たくさんの人達が囲碁を楽しんでくれていた、囲碁界に
とってよき時代だったように思います。囲碁ファンは1000万人などといわれていました(実質はわかりません)ですが、僕がプロになった頃
周りに、囲碁を楽しんでいる級の人達がみかけなくなるようになりました。実際に強くなる人達が偉く、有段者ばかりが碁を楽しむという環
境が育ったように感じました。囲碁の他のゲームにはない楽しさは、ハンディにあると思います。10級くらいの人でも、星目(9子)置けば上
手も下手も関係なく楽しむことが出来る。そこには分け隔てない楽しさがある、僕はそう思っています。「琴棋書画」という言葉を知っていま
すか。琴は音楽、棋は囲碁、書は読み書き、画は絵画ですね。君子の楽しみとして知られている言葉ですが、僕は勝手に人が楽しいと感
じる代表的なものとして捉えています。その中に囲碁が入っていることボードゲームの代表として昔から親しまれている、それがなぜか強く
なる人達だけが楽しむゲームに替わってしまっている。そこに危機感をかんじていました。 続き
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます