現代へのまなざし

日本とはなにかを探求します。

愛国心とは

2013-01-14 17:47:27 | 日記
 因幡の白ウサギという有名な話が古事記に記述されている。

 要約すると次のような話である。

 オオクニヌシには、多くの兄「八十神」がいた。
 八十神たちは、ヤカミヒメに求婚するため、オオクニヌシに大きな袋を背負わせて、イナバに出かけた。

 八十神がは、途中で出会った、倒れていた赤裸のウサギに
 「海水を浴びて、吹く風に当たって、高い山の頂に伏せていなさい。」と言って、去って行った。

 ウサギは八十神の教えのとおりにしたら皮膚が傷だらけになった。
 ウサギがあまりの痛みに耐えかねて泣いているところへオオクニヌシがやって来た。

 どうして泣いているのか、オオクニヌシがウサギに尋ねると、
 ウサギは、隠岐の島からこの地に渡るため、海に住むワニをだましたが、
 だましたことをワニに言ったところ、ワニに捕まって毛をはがされた。
 そのときに通りかかった八十神の教えのとおりにしたら、体が傷だらけになった。と答えた。

 それを聞いたオオクニヌシは、
 「すぐに河口に行って、真水で身体を洗い、蒲黄を摘んで来て、その上に寝ころべばおまえの身体は治るだろう。」と言った。

 ウサギがオオクニヌシの教えのとおりにすると、ウサギの身体は元通りに治った。

 これは小学生の時によく聞いた話であるが、今の教育で教えているのかどうかはよく知らない。

 さて、愛国心とはどのようなものであるか。
 愛国心とは、自分が帰属する共同体、地域社会に対して抱く愛着や忠誠心、それらに基づく行動である。愛国心は、その土地、風習などの生活様式に対する愛着であり、それは地域の固有の生活様式の中ではぐくまれた内面であり、その生活様式に反する者があらわれた場合には、防御的は行動をとるようなものである。

 日本では、各地域によってその生活様式は異なるが、日本的と言われるものが総体的な特徴である。因幡の白ウサギを引用したが、これを学ぶ場合には、オオクニヌシのように優しい人間となりなさい、八十神のように困った人に塩を塗り込むような卑しい人間になってはならないという教えがあった。
 地域における慣習を守り、一方でその慣習を破るような者がいれば村八分のような制裁が行われていた。地域でお互いに助け合い、思いやりを持って生きるのが日本人の美徳である。

 一方で、最近では、自分がよければ周囲の人間が迷惑を被っても知らんぷりをし、あるいは弱者を叩いて溜飲を下げるような人たちが増えたように思える。グローバルスタンダードという日本固有の文化と異なるものが侵入し、その中で不満を抱き、その不満を晴らすために弱者を叩く。あるいは周辺国や周辺国の人たちに対し、差別的な発言を繰り返す。
 この人たちは、八十神に見られるような態度をその行動原理としているようにも見えるが、この人たちこそが、自分たちは愛国者であり、弱者や周辺国の人たちに優しさ、思いやりを示す人たちは売国奴である、というような発言を繰り返している。
 これは愛国心とは異なるものであり、単なる暴力的な排外主義であり、自己中心的な人間というべきものである。

 失われつつある日本人の良さを取り戻して欲しいと感じる。
コメント
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