現代へのまなざし

日本とはなにかを探求します。

複雑怪奇な古事記-作り上げられた神話-

2013-01-19 14:10:07 | 日記
 古事記の内容は複雑怪奇である。

 高天原でアマテラスと諍いを起こしたスサノオは追放され、そこでスサノオの食事の準備をしていたオオケツヒメ(大気津比賣神)が口、鼻、尻から食べものを出している姿を見て、スサノオはオオケツヒメを殺す。スサノオに殺されたオオケツヒメは、地面に倒れこみ、その死体からいろいろな食物の芽が出てきた。頭はカイコに、二つの目は稲に、二つの耳は粟に、鼻は小豆(あずき)に、女陰(ほと)は麦に、尻は大豆になった。そして、オオケツヒメの体から生まれた五穀をカミムスヒ(神産巣日神)が拾って種にした。

 その後、スサノオは出雲国(島根県)に到着し、アシナヅチ(足名椎)とテナヅチ(手名椎)の夫婦、その娘であるクシナダヒメ(櫛名田比賣)と出会い、八岐大蛇を退治することになる。
 このアシナヅチとテナヅチは、オオヤマツミ(大山津見神)の子供であるが、このオオヤマツミはイザナギとイザナミから生まれた神である。

 そしてスサノオの子孫がオオクニヌシ(大国主命)になるのである。しかし、一方で、オオクニヌシはスサノオが住んでいる根の国を訪れ、スサノオの様々な試練を乗り越え、根の国からスサノオの娘であるスセリビメ(須勢理昆賣)と逃げだし、スセリビメを妻にするのである。そしてスクナビコナ(少名昆古那神、父親はカミムスヒ)の協力を得て、葦原中国を作り上げていくのである。(ある程度国ができあがったときに、スクナビコナはトコヨクニ(常世国)に渡っていく。)
 アマテラスはオオクニヌシが治めていた葦原中国を奪おうと様々な方策を考えるが、最終的にはタケミカヅチ(建御雷神(武甕槌神))を派遣し、オオクニヌシに国譲りを迫り、オオクニヌシは国を譲り、出雲大社に隠れたのである。
 アマテラスは自分の孫であるニニギを高天原から日向の高千穂に向かわせ、葦原中国の統治をさせることになるが、その際、ニニギはコノハナサクヤヒメ(木花之佐久夜昆賣、オオヤマツミ(大山津見)の娘)と結婚することになる。


 ここまでのストーリーで、スサノオの妻であるクシナダヒメは、オオヤマツミの孫であり、ニニギの妻のコノハナサクヤの姪ということになる。スサノオの子孫であるオオクニヌシはスサノオの娘を妻にし、スサノオの子孫であるオオクニヌシとスサノオの娘であるスセリビメが統治する葦原中国を奪ったのはスサノオの姉であるアマテラスの指示による。
 この物語の混乱こそが、当時の土着神話を朝鮮半島から進出してきた天皇家が自分たちの神話に取り込んだ証拠でもあろう。イザナギ、イザナミよりも先に誕生するタカミムスヒが天皇家の祖神であり、イザナギ、イザナミ、アマテラス、スサノオ、オオクニヌシという土着の神を自分たちの神話に取り入れたため、話が混乱し、つじつまが合わなくなったと考えられる。物部氏の衰退・没落と藤原(中臣)氏の支配が古事記や日本書紀の神話における神々の意味合いの変化を生んでいることも考えられる。

 住民を統治するためには、住民が信じている神を取り込み、自分たちの祖先であるという話を信じ込ませることが非常に有効である。絶対性・神聖性を自分たちの血統に取り込み、宗教的な信仰により絶対的な存在として君臨しうるからである。


(卑近な例:政治家の名前を使ってるのはリアリティを出すためで、全くのフィクション・作り話です。)
 例えば、菅直人さんが総理に就任したときに、市民運動をしていた経歴が報道されていたが、これが、実は菅直人さんは後醍醐天皇の子孫であるという物語を作ったら、国民はどのような反応を示したであろうか。
 後醍醐天皇が隠岐の島に流されたとき、後醍醐天皇に愛されていた貴族の女性が島への旅路の途中、岡山県で体調を崩した。そのときには後醍醐天皇の息子を身ごもっていたが、岡山で無事出産することができた。
 後醍醐天皇は隠岐の島からの脱出の際、その女性と息子に会うため寄り道をし、子供の聡明な顔つきに驚いた後醍醐天皇は次期天皇にすることを決意するが、鎌倉幕府との争いの中でそれは実現できず、常に心の中で天皇に即位させることを思いながら南北朝時代を過ごす。
 後醍醐天皇はついに決心し、皇子を迎えに行こうとするが、病に倒れてしまう。その後の争いの中で、その皇子の命を狙う勢力も現れたため、皇子は身を隠し、平民として生きることを決意した。
 朝廷には皇子を慕う勢力もあり、貴族の一部が後醍醐天皇に託された本物の三種の神器を持参し皇子の周辺の世話をしていた。足利末期から戦国時代を経て、徐々に彼らのことは忘れ去れ、大政奉還により幕府から明治政府に実権が移った後も、南北朝のわだかまりなどから、その存在は無視されていた。
 しかし、その血脈は着実に受け継がれ、その正統な子孫が菅直人さんである。南北朝時代、後醍醐天皇が保有していた本物の三種の神器を受け継いだ正統な子孫である菅直人氏こそが、天照大神から万世一系である天皇の正統な継承者である。

 というような話を作り上げると、その話を聞いた庶民は菅直人氏に皇統を見いだし、批判することすらできなくなるのではないか。でっち上げの話なので、追求されるとつじつまが合わなくなってしまう。それが日本書紀・古事記に見られる不整合であり、複雑怪奇さにつながっている。
 上記の例は、天皇の子孫ということにした話だが、科学的な知識がなかった時代に、民衆が信じていた神の子孫とすることは、より神聖性を高め、民衆から崇められる存在になる。このように、神話を作り上げることで、権力は神聖性を帯び、絶対的なものとなるのである。
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橋下市長の権力による暴力、現代の八十神か

2013-01-19 10:40:40 | 日記
先日、因幡の白ウサギの話を書いたが、これには続きがある。

オオクニヌシの兄達(八十神)がヤガミヒメに求婚するが、ヤガミヒメはそれを断りオオクニヌシと結婚すると答えた。
八十神は怒って、オオクニヌシを殺そうと相談し、伯耆国(鳥取県)の手間の山の麓にやって来て、オオクニヌシに言った。

「赤いイノシシ(猪)がこの山に居る。我々(八十神)が追い立てるので、お前は待ち伏せして捕らえろ。もし待ち伏せして捕まえないなら、必ずお前(オオクニヌシ)を殺す」

八十神はイノシシに似た大きな石を焼いて、オオクニヌシに向かって転がし落とし、オオクニヌシは落ちてきた石に焼かれて死んだ。

オオクニヌシが死んだことを知った母(サシクニワカヒメ)は泣き悲しんで、カミムスヒ(神産巣日神)に救いを請い、カミムスヒはサキガイヒメとウムギヒメを派遣して、オオクニヌシを治療・蘇生させた。

※カミムスヒ(神産巣日神)は、アメノミナカヌシ(天之御中主神)、タカミムスヒ(高御産巣日神)とともに、古事記の最初に出てくる神で、この三柱は全員が独神(性別がなく単独の神)で、身を隠された。

オオクニヌシが殺され、その後蘇生する話は、あまり聞かない話だと思う。


ところで、大阪市の橋下市長は、1月17日の記者会見で、教師の体罰による生徒の自殺に関して、桜宮高校の体育系2科の募集中止、さらに校長をはじめ教員の総入れ替え、校長、教頭とクラブ活動の顧問は最低限全員入れ替え、予算の執行権は市長に属していることから、現在、桜宮高校に在籍する体育教師が来年度も在籍していればその職員に係る人件費を執行停止を教育委員会に伝えたと発言した。

橋下市長が予算執行権を振りかざし、教育委員会の人事に介入し、思い通りの人事異動がなければ予算を執行しないと、半ば脅迫まがいの発言をしている。バスケットボール部の顧問の教師は物理的暴力により部員を自殺に至らしめたが、橋下市長がやっているのは自分の権限による暴力、強力なパワーハラスメントと言うべきものである。
自分の思い通りにならなければ、邪魔になったオオクニヌシを謀議によって殺した兄達である八十神と同じような思考形態をしているのかも知れない。

日本の首長は大統領と同じような存在で、直接選挙により選ばれているため権限も強いが、地方自治では同じ住民代表である議会がチェックすることで首長の暴走を止めるシステムを採用している。しかし、議会と首長が蜜月であれば首長は大きな権限を行使できるようになっている。

以前、鹿児島県の阿久根市長が暴走し、市政が混乱したことがある。当時阿久根市長だった竹原氏も市職員を敵にすることで市民から支持を受け、市長に当選していたが、その構図は橋下市長の手法に似通ってるような気がする。

市長は市民の福祉(public welfare)向上のための市政を担うものであり、幅広い視野から市民が健康で文化的に生活ができ、日々の暮らしの中で幸福を実感できるように市政運営をする必要があるにも関わらず、ある一点を殊更大きく捉え、そのために不幸をまき散らすのは本末転倒であり、日本の伝統とは異なるものであると感じる問題である。
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