古事記の内容は複雑怪奇である。
高天原でアマテラスと諍いを起こしたスサノオは追放され、そこでスサノオの食事の準備をしていたオオケツヒメ(大気津比賣神)が口、鼻、尻から食べものを出している姿を見て、スサノオはオオケツヒメを殺す。スサノオに殺されたオオケツヒメは、地面に倒れこみ、その死体からいろいろな食物の芽が出てきた。頭はカイコに、二つの目は稲に、二つの耳は粟に、鼻は小豆(あずき)に、女陰(ほと)は麦に、尻は大豆になった。そして、オオケツヒメの体から生まれた五穀をカミムスヒ(神産巣日神)が拾って種にした。
その後、スサノオは出雲国(島根県)に到着し、アシナヅチ(足名椎)とテナヅチ(手名椎)の夫婦、その娘であるクシナダヒメ(櫛名田比賣)と出会い、八岐大蛇を退治することになる。
このアシナヅチとテナヅチは、オオヤマツミ(大山津見神)の子供であるが、このオオヤマツミはイザナギとイザナミから生まれた神である。
そしてスサノオの子孫がオオクニヌシ(大国主命)になるのである。しかし、一方で、オオクニヌシはスサノオが住んでいる根の国を訪れ、スサノオの様々な試練を乗り越え、根の国からスサノオの娘であるスセリビメ(須勢理昆賣)と逃げだし、スセリビメを妻にするのである。そしてスクナビコナ(少名昆古那神、父親はカミムスヒ)の協力を得て、葦原中国を作り上げていくのである。(ある程度国ができあがったときに、スクナビコナはトコヨクニ(常世国)に渡っていく。)
アマテラスはオオクニヌシが治めていた葦原中国を奪おうと様々な方策を考えるが、最終的にはタケミカヅチ(建御雷神(武甕槌神))を派遣し、オオクニヌシに国譲りを迫り、オオクニヌシは国を譲り、出雲大社に隠れたのである。
アマテラスは自分の孫であるニニギを高天原から日向の高千穂に向かわせ、葦原中国の統治をさせることになるが、その際、ニニギはコノハナサクヤヒメ(木花之佐久夜昆賣、オオヤマツミ(大山津見)の娘)と結婚することになる。
ここまでのストーリーで、スサノオの妻であるクシナダヒメは、オオヤマツミの孫であり、ニニギの妻のコノハナサクヤの姪ということになる。スサノオの子孫であるオオクニヌシはスサノオの娘を妻にし、スサノオの子孫であるオオクニヌシとスサノオの娘であるスセリビメが統治する葦原中国を奪ったのはスサノオの姉であるアマテラスの指示による。
この物語の混乱こそが、当時の土着神話を朝鮮半島から進出してきた天皇家が自分たちの神話に取り込んだ証拠でもあろう。イザナギ、イザナミよりも先に誕生するタカミムスヒが天皇家の祖神であり、イザナギ、イザナミ、アマテラス、スサノオ、オオクニヌシという土着の神を自分たちの神話に取り入れたため、話が混乱し、つじつまが合わなくなったと考えられる。物部氏の衰退・没落と藤原(中臣)氏の支配が古事記や日本書紀の神話における神々の意味合いの変化を生んでいることも考えられる。
住民を統治するためには、住民が信じている神を取り込み、自分たちの祖先であるという話を信じ込ませることが非常に有効である。絶対性・神聖性を自分たちの血統に取り込み、宗教的な信仰により絶対的な存在として君臨しうるからである。
(卑近な例:政治家の名前を使ってるのはリアリティを出すためで、全くのフィクション・作り話です。)
例えば、菅直人さんが総理に就任したときに、市民運動をしていた経歴が報道されていたが、これが、実は菅直人さんは後醍醐天皇の子孫であるという物語を作ったら、国民はどのような反応を示したであろうか。
後醍醐天皇が隠岐の島に流されたとき、後醍醐天皇に愛されていた貴族の女性が島への旅路の途中、岡山県で体調を崩した。そのときには後醍醐天皇の息子を身ごもっていたが、岡山で無事出産することができた。
後醍醐天皇は隠岐の島からの脱出の際、その女性と息子に会うため寄り道をし、子供の聡明な顔つきに驚いた後醍醐天皇は次期天皇にすることを決意するが、鎌倉幕府との争いの中でそれは実現できず、常に心の中で天皇に即位させることを思いながら南北朝時代を過ごす。
後醍醐天皇はついに決心し、皇子を迎えに行こうとするが、病に倒れてしまう。その後の争いの中で、その皇子の命を狙う勢力も現れたため、皇子は身を隠し、平民として生きることを決意した。
朝廷には皇子を慕う勢力もあり、貴族の一部が後醍醐天皇に託された本物の三種の神器を持参し皇子の周辺の世話をしていた。足利末期から戦国時代を経て、徐々に彼らのことは忘れ去れ、大政奉還により幕府から明治政府に実権が移った後も、南北朝のわだかまりなどから、その存在は無視されていた。
しかし、その血脈は着実に受け継がれ、その正統な子孫が菅直人さんである。南北朝時代、後醍醐天皇が保有していた本物の三種の神器を受け継いだ正統な子孫である菅直人氏こそが、天照大神から万世一系である天皇の正統な継承者である。
というような話を作り上げると、その話を聞いた庶民は菅直人氏に皇統を見いだし、批判することすらできなくなるのではないか。でっち上げの話なので、追求されるとつじつまが合わなくなってしまう。それが日本書紀・古事記に見られる不整合であり、複雑怪奇さにつながっている。
上記の例は、天皇の子孫ということにした話だが、科学的な知識がなかった時代に、民衆が信じていた神の子孫とすることは、より神聖性を高め、民衆から崇められる存在になる。このように、神話を作り上げることで、権力は神聖性を帯び、絶対的なものとなるのである。
高天原でアマテラスと諍いを起こしたスサノオは追放され、そこでスサノオの食事の準備をしていたオオケツヒメ(大気津比賣神)が口、鼻、尻から食べものを出している姿を見て、スサノオはオオケツヒメを殺す。スサノオに殺されたオオケツヒメは、地面に倒れこみ、その死体からいろいろな食物の芽が出てきた。頭はカイコに、二つの目は稲に、二つの耳は粟に、鼻は小豆(あずき)に、女陰(ほと)は麦に、尻は大豆になった。そして、オオケツヒメの体から生まれた五穀をカミムスヒ(神産巣日神)が拾って種にした。
その後、スサノオは出雲国(島根県)に到着し、アシナヅチ(足名椎)とテナヅチ(手名椎)の夫婦、その娘であるクシナダヒメ(櫛名田比賣)と出会い、八岐大蛇を退治することになる。
このアシナヅチとテナヅチは、オオヤマツミ(大山津見神)の子供であるが、このオオヤマツミはイザナギとイザナミから生まれた神である。
そしてスサノオの子孫がオオクニヌシ(大国主命)になるのである。しかし、一方で、オオクニヌシはスサノオが住んでいる根の国を訪れ、スサノオの様々な試練を乗り越え、根の国からスサノオの娘であるスセリビメ(須勢理昆賣)と逃げだし、スセリビメを妻にするのである。そしてスクナビコナ(少名昆古那神、父親はカミムスヒ)の協力を得て、葦原中国を作り上げていくのである。(ある程度国ができあがったときに、スクナビコナはトコヨクニ(常世国)に渡っていく。)
アマテラスはオオクニヌシが治めていた葦原中国を奪おうと様々な方策を考えるが、最終的にはタケミカヅチ(建御雷神(武甕槌神))を派遣し、オオクニヌシに国譲りを迫り、オオクニヌシは国を譲り、出雲大社に隠れたのである。
アマテラスは自分の孫であるニニギを高天原から日向の高千穂に向かわせ、葦原中国の統治をさせることになるが、その際、ニニギはコノハナサクヤヒメ(木花之佐久夜昆賣、オオヤマツミ(大山津見)の娘)と結婚することになる。
ここまでのストーリーで、スサノオの妻であるクシナダヒメは、オオヤマツミの孫であり、ニニギの妻のコノハナサクヤの姪ということになる。スサノオの子孫であるオオクニヌシはスサノオの娘を妻にし、スサノオの子孫であるオオクニヌシとスサノオの娘であるスセリビメが統治する葦原中国を奪ったのはスサノオの姉であるアマテラスの指示による。
この物語の混乱こそが、当時の土着神話を朝鮮半島から進出してきた天皇家が自分たちの神話に取り込んだ証拠でもあろう。イザナギ、イザナミよりも先に誕生するタカミムスヒが天皇家の祖神であり、イザナギ、イザナミ、アマテラス、スサノオ、オオクニヌシという土着の神を自分たちの神話に取り入れたため、話が混乱し、つじつまが合わなくなったと考えられる。物部氏の衰退・没落と藤原(中臣)氏の支配が古事記や日本書紀の神話における神々の意味合いの変化を生んでいることも考えられる。
住民を統治するためには、住民が信じている神を取り込み、自分たちの祖先であるという話を信じ込ませることが非常に有効である。絶対性・神聖性を自分たちの血統に取り込み、宗教的な信仰により絶対的な存在として君臨しうるからである。
(卑近な例:政治家の名前を使ってるのはリアリティを出すためで、全くのフィクション・作り話です。)
例えば、菅直人さんが総理に就任したときに、市民運動をしていた経歴が報道されていたが、これが、実は菅直人さんは後醍醐天皇の子孫であるという物語を作ったら、国民はどのような反応を示したであろうか。
後醍醐天皇が隠岐の島に流されたとき、後醍醐天皇に愛されていた貴族の女性が島への旅路の途中、岡山県で体調を崩した。そのときには後醍醐天皇の息子を身ごもっていたが、岡山で無事出産することができた。
後醍醐天皇は隠岐の島からの脱出の際、その女性と息子に会うため寄り道をし、子供の聡明な顔つきに驚いた後醍醐天皇は次期天皇にすることを決意するが、鎌倉幕府との争いの中でそれは実現できず、常に心の中で天皇に即位させることを思いながら南北朝時代を過ごす。
後醍醐天皇はついに決心し、皇子を迎えに行こうとするが、病に倒れてしまう。その後の争いの中で、その皇子の命を狙う勢力も現れたため、皇子は身を隠し、平民として生きることを決意した。
朝廷には皇子を慕う勢力もあり、貴族の一部が後醍醐天皇に託された本物の三種の神器を持参し皇子の周辺の世話をしていた。足利末期から戦国時代を経て、徐々に彼らのことは忘れ去れ、大政奉還により幕府から明治政府に実権が移った後も、南北朝のわだかまりなどから、その存在は無視されていた。
しかし、その血脈は着実に受け継がれ、その正統な子孫が菅直人さんである。南北朝時代、後醍醐天皇が保有していた本物の三種の神器を受け継いだ正統な子孫である菅直人氏こそが、天照大神から万世一系である天皇の正統な継承者である。
というような話を作り上げると、その話を聞いた庶民は菅直人氏に皇統を見いだし、批判することすらできなくなるのではないか。でっち上げの話なので、追求されるとつじつまが合わなくなってしまう。それが日本書紀・古事記に見られる不整合であり、複雑怪奇さにつながっている。
上記の例は、天皇の子孫ということにした話だが、科学的な知識がなかった時代に、民衆が信じていた神の子孫とすることは、より神聖性を高め、民衆から崇められる存在になる。このように、神話を作り上げることで、権力は神聖性を帯び、絶対的なものとなるのである。