古来、民衆は自分達で完結するような生活を送っていた。王様、殿様、国家を必要とすることはほとんどなかった。
民衆同士のもめごとを解決するための司法機能、罪人などを罰し、治安を守るための警察機能などがその機能であり、普段の生活は村人同士の助け合いなどの地域コミュニティで完結していた。
社会の進展とともに、国家、地域政府(local gevernment)の役割が拡大し、生活の様々な場面で関わりを有することとなった。現在では、道路、公共施設などのハード整備、教育分野から環境分野、医療・福祉分野、経済・産業分野、労働分野など様々な分野でサービスの提供や規制が行われている。
日本国憲法の施行により、国民に様々な権利が認められ、国民の意識にも徐々に変化が起こった。「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」という憲法の規定は、天皇の官僚だった明治憲法を否定し、公務員は全国民に対して職務を実行するものという基本的な考えを明確にしたものだ。
民衆は、この規程を、公務員は公僕として国民にサービスを提供するものというように捉えるようになり、納税者である国民は奉仕者である行政から相当のサービスの提供を受ける権利を有しているというように考えるようになり、次第に、行政は住民に給付を行う存在であるというように変化していき、納税は嫌だけど給付をよこせという住民、すなわちタカリ住民が生まれ、増殖していった。
タカリ住民の特徴は増税という言葉、負担増という言葉に即時に拒絶反応を示し、給付拡大、負担減という言葉に即時に賛意を示すことである。貰えるものは喜んで貰うが、支払は苦痛を伴うものという感覚が身に染みついている。
タカリ住民には、持続可能な社会を構築するため、少子化の進展を止めることが必要であるとか、国家財政の悪化を止めるために増税が必要であるとか、給付を減らさなければ財政悪化が進み持続可能性が損なわれることなどを考える能力は無い。
福島県などの原子力発電所が立地されている地域では、原発立地交付金や電力会社からの寄付金を受け取る代わりに、事故時には放射性物質をばらまく原発を受け入れるというやり方に賛成した住民がいる。これもタカリ住民と似ているが、単なるタカリ住民と異なりリスクを受け入れているので、リスク費用として補償費を受け取ってるという意識があるかもしれない。
純粋なタカリ住民は、危険なものを受け入れたりしない。自分達に関係ない場所に原発ができようが、米軍基地ができようが反対しないが、自分に関係のある場所に立地するとなると、絶対反対を訴えるのがタカリ住民である。
タカリ住民は便利な生活、安全な生活を求めるので、基本的に原発には賛成だし、米軍基地にも賛成である。ただし、自分が危険を負担するのは絶対反対なので、自分達に影響のある場所への原発立地や米軍基地移転には絶対に反対する非常に我が侭な住民である。
このタカリ住民を満足させるのがバラマキ行政である。選挙前になると、このタカリ住民から票を得ようとバラマキでタカリ住民を釣り上げようとする政党が現れる。選挙前に増税を訴えようものなら、タカリ住民からの拒絶反応により敗北が待っている。その結果、選挙前には、バラマキの公約をぶち上げ、選挙が遠ざかるとバラマキから増税に変化していくのである。
今回政権を奪還した自民党は、この手法を丁寧に使用し、バラマキでタカリ住民の票を獲得し、消費税率引き上げを行った民主党は当然のごとく敗北した。次の選挙は参議院議員選挙である。今年の7月に実施予定の参議院議員選挙が控えているため、新たな増税の話を政権党は持ち出さないだろう。
バラマキ、負担減の公約を持ち出すことでタカリ住民の票を受け取り、選挙後、公約を破ることが予想される。タカリ住民は、一方で知的レベルが低いようで、この同じパタンを何度経験しても学習能力がないため懲りることはない。タカリ住民が減れば、よりまともな政策論争が活発になるかもしれないが、今のタカリ住民は政策論争よりカネをくれという姿勢なので、政策論争が活発化することはない。
政治家の質が低いと嘆く人達もいるが、政治家の質が低いのは、タカリ住民のような知的レベルが低い人達によって政治家が選出されているからに他ならない。このようなタカリ住民が選挙権を行使することができるシステムがある限り、日本の政治の質は向上しないだろう。
民衆同士のもめごとを解決するための司法機能、罪人などを罰し、治安を守るための警察機能などがその機能であり、普段の生活は村人同士の助け合いなどの地域コミュニティで完結していた。
社会の進展とともに、国家、地域政府(local gevernment)の役割が拡大し、生活の様々な場面で関わりを有することとなった。現在では、道路、公共施設などのハード整備、教育分野から環境分野、医療・福祉分野、経済・産業分野、労働分野など様々な分野でサービスの提供や規制が行われている。
日本国憲法の施行により、国民に様々な権利が認められ、国民の意識にも徐々に変化が起こった。「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」という憲法の規定は、天皇の官僚だった明治憲法を否定し、公務員は全国民に対して職務を実行するものという基本的な考えを明確にしたものだ。
民衆は、この規程を、公務員は公僕として国民にサービスを提供するものというように捉えるようになり、納税者である国民は奉仕者である行政から相当のサービスの提供を受ける権利を有しているというように考えるようになり、次第に、行政は住民に給付を行う存在であるというように変化していき、納税は嫌だけど給付をよこせという住民、すなわちタカリ住民が生まれ、増殖していった。
タカリ住民の特徴は増税という言葉、負担増という言葉に即時に拒絶反応を示し、給付拡大、負担減という言葉に即時に賛意を示すことである。貰えるものは喜んで貰うが、支払は苦痛を伴うものという感覚が身に染みついている。
タカリ住民には、持続可能な社会を構築するため、少子化の進展を止めることが必要であるとか、国家財政の悪化を止めるために増税が必要であるとか、給付を減らさなければ財政悪化が進み持続可能性が損なわれることなどを考える能力は無い。
福島県などの原子力発電所が立地されている地域では、原発立地交付金や電力会社からの寄付金を受け取る代わりに、事故時には放射性物質をばらまく原発を受け入れるというやり方に賛成した住民がいる。これもタカリ住民と似ているが、単なるタカリ住民と異なりリスクを受け入れているので、リスク費用として補償費を受け取ってるという意識があるかもしれない。
純粋なタカリ住民は、危険なものを受け入れたりしない。自分達に関係ない場所に原発ができようが、米軍基地ができようが反対しないが、自分に関係のある場所に立地するとなると、絶対反対を訴えるのがタカリ住民である。
タカリ住民は便利な生活、安全な生活を求めるので、基本的に原発には賛成だし、米軍基地にも賛成である。ただし、自分が危険を負担するのは絶対反対なので、自分達に影響のある場所への原発立地や米軍基地移転には絶対に反対する非常に我が侭な住民である。
このタカリ住民を満足させるのがバラマキ行政である。選挙前になると、このタカリ住民から票を得ようとバラマキでタカリ住民を釣り上げようとする政党が現れる。選挙前に増税を訴えようものなら、タカリ住民からの拒絶反応により敗北が待っている。その結果、選挙前には、バラマキの公約をぶち上げ、選挙が遠ざかるとバラマキから増税に変化していくのである。
今回政権を奪還した自民党は、この手法を丁寧に使用し、バラマキでタカリ住民の票を獲得し、消費税率引き上げを行った民主党は当然のごとく敗北した。次の選挙は参議院議員選挙である。今年の7月に実施予定の参議院議員選挙が控えているため、新たな増税の話を政権党は持ち出さないだろう。
バラマキ、負担減の公約を持ち出すことでタカリ住民の票を受け取り、選挙後、公約を破ることが予想される。タカリ住民は、一方で知的レベルが低いようで、この同じパタンを何度経験しても学習能力がないため懲りることはない。タカリ住民が減れば、よりまともな政策論争が活発になるかもしれないが、今のタカリ住民は政策論争よりカネをくれという姿勢なので、政策論争が活発化することはない。
政治家の質が低いと嘆く人達もいるが、政治家の質が低いのは、タカリ住民のような知的レベルが低い人達によって政治家が選出されているからに他ならない。このようなタカリ住民が選挙権を行使することができるシステムがある限り、日本の政治の質は向上しないだろう。