2015年の作品だ。
ついこの間の新しい作品と思った。
私には8年前は「この間」の感覚だか若者なら違うだろう。
感覚は理屈ではないから。
ショーウィンドーのガラスを叩き壊して帽子を取り出し被るシーンがあった。
ショーウィンドーを壊す場面など映画の中で何回見たかわからない。
なのに突然、私は気がついた。
どこの国でいつの時代にどんな身分に生まれようも私は破天荒な人間にはなれないと。
教育も躾も無関係だ。
破天荒さは天性。
全ての芸術、あるいは戦いでもいい。
普通の人間は普通なのだ。
別に破天荒な生き方がしたいわけではない。
なんでだろう?
この映画で自分を知った気がしたのだ。
思い出したことも一つある。
娘の友人がニューヨークのゲイパレードに行きたいから一緒に行ってと頼んできた。
「自分の主義主張は自分でしろ。
私はアメリカに行くならディズニーランドにお金を使いたいんだ。
一人で参加する勇気がないなら主張するな」
娘らしい答えだ。
別にゲイにもパレードにも反対なわけではない。
ディズニーランドが大好きなだけ。
私なら?
歩きたくない。
動きたくない。
これは主義主張と言えるのだろうか。
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