岸上大作は昭和14年、兵庫県福崎に生まれる。高校までをふる里で過ごし国学院大学に入学して東京で下宿生活をはじめる。ときは60年安保の時代。昭和35年に21歳で自死。
当時、寺山修司や藤井常世らとの交流もあり、感化しあいながら、短歌をつくり、当時は注目されるがその後の短歌会ではひっそりとした存在であったといえよう。
然し30年以上たったいまごろに改めて注目されはじめたのは、近年三省堂が教科書に、岸上の短歌を載せるようになったことがきっかけであるらしい。
短歌を趣味としている友人と、この歌碑を訪ねたのは、2013年、3月26日。
ちらほらと桜がさきはじめたころ、兵庫県立福崎高校の校舎のなかへ入らせていただいた。表に
最も有名な「かがまりてこんろに赤き火をおこす母とふたりの夢つくるため」が校舎の中庭に、表には「初恋の君とはじめて語らいしかの家なくて夏草茂りぬ」があった。
《豊子作、短歌》
君と会う朝(あした)マニキュアつけており小指の爪は椎の実のよう
花冷えの加古川駅に出迎えのブルーのBM光りつつ来る
夭折の歌人岸上大作が育ちし村の上(え)雲ひとつなし
桜(はな)まだき校舎、校庭案内(あない)され夭折歌人岸上偲ぶ
岸上の歌碑を訪ねて来し高校幟大きく百周年とあり
かがまりてタンポポ愛でるわれの背に「日本種ですよ」と君の声する
背にうける声の優しもたんぽぽをしゃがんでみてます時を伸ばして
たんぽぽの説明してる君の声われの背中は耳となり聴く
庭隅に黄色く咲けるたんぽぽに岸上大作のまぼろしを見る
おのが街見下ろし立てる黒き墓碑 夭折歌人岸上眠る
大作の墓に仏花は似合わぬと明るいブーケを友は挿しいる
夭折の歌人の生家今はなく 掲げられいる「売地」の看板
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