安芸城跡を中心にして、いくつかの武家屋敷が並んでいる地域です。
”安芸城跡”
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山内一豊の土佐入国といっしょにこの地に入った五藤氏が築いた屋敷が今も城内に残されています。
”野村家住宅”
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土居廓中でただひとつの公開されている武家屋敷で、1830年ごろの建築と推定されています。
”武家屋敷の町並み”
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”野良時計”
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この地を全国的に有名にした建物です。
家ごとに時計がなかった明治の中頃に、地主であった畠中弦馬氏が独力で時計組み立ての技
術を身に付け、歯車から分銅まで手作りで作り上げた時計台で、nhkの番組で取り上げられ
有名になりました。