3匹の子豚との日々 =DIAS CON MIS TRES CERDITOS=

スペインSpainのサラマンカSalamancaのラ・アルベルカLa Albercaから不定期につづります。

ムルムーロ・デ・トロ(トロのつぶやき)

2010-09-06 05:45:43 | Opinion de Toro
丑年生まれの、トロです。

ちょっと、今日は趣向を変えて・・・。

人間、相手が何を考えているか、なかなか解らないものですよね。
例えば、ご隠居さんが長屋の八つぁん、熊さん、与太さん三人をお茶会に
呼んだとします。
3人は入れられたお茶を美味そうに飲み、上等なお茶菓子をボリボリ食べ、
楽しそうに雑談をして帰っていきました。


三人は帰りながら、
八つぁん、「もう一杯お茶が欲しかったが、注いでくれなかったなぁ。」と
文句を言います。
もう一人の熊さんもそれに同調して、「そうだね、気が利かないね、ご隠居は。」
最後の一人与太さんは、「私は一杯でよかったけれど、お替りを勧めない
ご隠居はケチだね。」
と美味いお茶とお茶菓子をご馳走になったのはそっちのけで、ご隠居が二杯目の
お茶を勧めなかった事に三人三様、それぞれが文句を言っていました。

翌日、ご隠居は、三人の話を井戸端会議で小耳に挟んで、憤慨。
「あの野郎たち、ご隠居もう一杯くれと言えば、たっぷり注いでやったのに、
後から気が利かないの、ケチだのと言われてもどうしようもねやな・・・・。
こっちは、お茶菓子を食べ、雑談をして、楽しく、喜んで帰って行ったとばかり
思っていたのに...。よし、そんなに文句があるなら、もう一回呼んで、
お茶を飲ましてやろう。」
とまた数日して、三人を呼び、ご隠居は気を利かせて、お茶を勧め、たっぷり
飲ませてやりました。
果たして、帰り道、三人三様、またもや文句たらたらで、今度は「飲みたくも
ないのに、勧められて無理やり飲まされた、お腹がたぷたぷだ。」と、勝手な
ことを言い、留まる所を知らないようです。

このような話は、日常茶飯事、其の辺にゴロゴロ転がっているではないでしょうか。
日本ではその場で、イエス、ノーをハッキリ言わないのが奥ゆかしいとか
言いますが、これが曲者で、結構諍いの元凶になっていることが多いですね。
みんなが、根性曲りの様に思えて、人と接するのが怖くなるのではないでしょうか。

外国人と接する時には、イエス、ノーをはっきり言わないと、何も始まりません。
これからの世の中は日本人同士であっても、何も言わないのが奥ゆかしい云々と
言っていたら、何も出来ないでしょう。

スペインではこんな格言が有ります。
エル・ニニョ・ノ・ジョラ・ノ・ダ・ママ
El nino(2つめのnの上に~)no llora, no da mama.
(泣かない子にはオッパイは与えない)

乳飲み子相手の格言で、もし子供が泣かず、オッパイがもらえなかったら、
餓死してしまいますね。
スペインの格言は結構表現が厳しいですね。
赤ちゃんの時から自己主張をするのが、当然な世界なのです。

日本では、昔は狭い社会で生活していて、環境がよく似ていたので、以心伝心の
意思の疎通がそれなりに取れたのだと思います。
現代はグローバル化とか、インターネットなどで、交流の範囲が広がり、顔の
見えない付き合いが多く、また情報化の波の中で、素早い判断と適切な対応が
求められ、意思表示をハッキリしないと、前に進むことができません。

今の情報化時代の中で、昔風の奥ゆかしい考えでは、意思の表現が欠落し、
やり取りをしていても、問題が多々発生するので、その場その場できちんと
解決しないと、喧嘩別れになったり、後悔することが多いのではないでしょうか。

どうしてこのような話を書くことにしたかというと、女房がブログで出会った
人達とのやり取りの中で、親切心がどうのこうの、配慮が足りないとか、
抽象的な話ばかりで、上げ足取りの応酬が続き、何も結論が見えない、時間が
もったいく感じるような話をしていたので、ネット上での意思の疎通の難しさを
痛感したからです。

相手の育った環境、生活環境、職業、生き方、思想など、相手が書いた字面のみを
観て理解するしかなく、手探り状態の中で、相互理解を深めるのは至難の技では
ないでしょうか。

お互い理解しようと言う気持ちと伝えたいと言う気持ちを表すには、言わなくても
解ってくれるだろう、とか、後でまとめて言ったらいいや、とかではなくて、
その時その時にはっきりと言わなければいけないのではないでしょうか。

トロ拝

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