そしてどこかにいつも心優しき友が居る。さり気なく寄り添ってくれる温かき深き心に沢山の勇気をもらう。山に登る修行は辛くても幸せ、里で生きる修行がキツい。民のために命を差し出し、命を奪われても誰も恨まなかった、私の大好きな尊き親神様の御心に叶う人になれるよう、巫女は今夜も精進を誓う。
今日の連続ツィートを読みながら、泣いていました。大変だったんですね。だからこそ、深く心に届く言葉が発せられるんですね。私は、まだまだ、顔晴りが足りないかも…って思っちゃいました。かおりさんの言葉にいつも救われています。本当にありがとうございます。 @kaori_garden
安倍首相へ著名人からのメッセージ blog.goo.ne.jp/hanamiduki87/e…
いい流れになってきています♪
政治家や官僚達が、いつまでも古い体制を保とうとしているかもしれないけれど、市民レベルではどんどん進化しているのが、はっきりと感じることができて、とてもうれしいです。
憎しみもまた執着なのです。世界が平和であることを祈っていても、自分自身を愛することができないならば、その祈りは力を持ちえません。こころのなかを和合できないうちには、世界を和合することはできないのです。世界を想うその前に、抱えてきた憎しみと悲しみにさようならを告げましょう。
祈りとは、誰かになにかをお願いすることじゃない。こころの中に存在する大いなるもの、それに気づくことが難しいから、媒体を通じて再確認をするためのもの。場所も方法も関係ない。大いなる存在を感じる、そのことが大切なのです。
世界は奇跡で満ちあふれている。 日常の暮らしの中で奇跡を味わい尽くすには どこにだって奇跡が転がっていることを 受け入れることのできる 素直なこころの目をひらくだけでいい。
大人が、ありのままに生きることのできる環境。 いつだって素直な心で、ウソをつかなくていい社会。 それがつくれなければ、子供は自由に生きられない。 わたしはそれをつくりたいと心の底から望んでいる。
60年代の安保闘争のように、対立構造になってしまっては、いけない
あくまでもクールに、あくまでも非暴力で、ネットワークを駆使して、スマートに
一人一人の心の中が、意志が平和と愛を選択して、感情と思考と行動が一致するように
対立させて分断させて、漁夫の利を得る者に隙をみせないように
「安保改正法を憲法に抵触するのに急いだ理由はコレだと思う(永江国際問題妄想所)」
blogos.com/article/123565/
この話は、以前にも聞いたことあります。たしかに・・・なんですよね。国際司法裁判所や国連からのけん制が効けばいいけど、そういかないところが、難しい問題…。
15世紀の大航海時代の西洋諸国が行った植民地政策をまたやろうとしているのか…。大きな領土を持ちながら、さらに増やしたいという強欲はどこから来るのか…。だからといって、目には目を、歯には歯を的に、抗戦体制にシフトするので、解決するとは思えないんだけど…。悪い歴史の連鎖を止めたい…。
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