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支流からの眺め

惨禍を悼むだけでなく

 大船渡市の山火事がやっと終息した。奇しくも3月11日とも重なり、度重なる被災にこちらの心も痛む。その前日の3月10日は東京大空襲の日だ。あの米軍の市民を標的とした絨毯爆撃は虐殺以外の何ものでもない。明らかな戦争犯罪だ。いつの日か必ず歴史の審判を受ける。

 それ以外にも、9月1日の関東大震災、6月23日の沖縄戦、1月17日の阪神淡路、最近では元日の能登半島沖など、犠牲者を悼む日は多い。最たるものが、8月6日、9日、そして15日かもしれない。あの悲惨さ、それに耐えて生きる強さ、怨念を忘れた平和の祈りなどが伝えられ、国民は喪に服す。

 しかし、それだけでいいのだろうか。日本は昔から災害の多い国だ。災害や戦禍(併せて災禍)は、死と同様に避けられない運命として甘受された。発生の度に、受容と救援、希望と支援、鎮魂と救済が行われてきた。それは大切なことだ。しかし、いつまでもその繰り返しでいいのか。

 ある程度の時間が経てば、その災禍が起こった理由の分析、どうしたら防げたのかという考察、発生した場合の対応策などを深く掘り下げるべきだろう。とりわけ重要なのは、その発生の理由と防ぐための教訓だ。官僚的な文書ではなく物語として、繰り返して語り継ぐべきだろう。

 地震は防ぎようがない。それでも、福島原発の事故は、振り返れば、原子炉の冷却電源を高台に設置しておけば済んだことだ。その設計・予見性の不備から、今後も数十年の歳月と数十兆円の費用が必要となる。東京電力の経営陣に責任はないとされたが、教訓がない訳ではない。

 東日本の被害地域も、その住民には申し訳ないが、定期的に大津波が来る所なのだ。宅地は高台に限るとか、避難訓練の徹底とかがなぜされていなかったのか。責任を追及しようというのではない。しかし、「災害は忘れた頃にやってくる」などとしたり顔で解説しても始まらない。

 戦争の場合は、間違いなく人災だ。何らかの戦争回避の途はあったはずだし、被害を最小限にする手もあったはずだ。戦争犯罪人(ましてや東京裁判の)を断罪しても終わらない。8月が来るたびに、歴史を何度も反復して検証し、戦争論一般も含めて諸々議論することが必要なはずだ。

 日本人は総じて情緒的で、あるがままを受け入れ和を愛する。しかし、それは惨禍への対応には不利かもしれない。酷ではあるが、その惨禍が起こった理由を冷徹に分析することが、次の悲劇を避ける最良の道なのだ。最後に、惨禍に苦しむ方々には改めてお見舞いを申し上げる。

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