出張を利用し冬の奈良を散策した。古社巡りは、皇城鎮守神とされる二十二社【上七社:伊勢、岩清水、賀茂、松尾、平野、伏見、春日、中七社:大原野、大神、石上、大和、廣瀬、龍田、住吉、下八社:日吉、梅宮、吉田、廣田、八坂、北野、丹生、貴船】から選んだ三社とした。
まず石上(いそのかみ)神宮へ。祭神は三つの神剣に宿る神々だ。主祭神は布都御魂(ふつのみたま)で、タケミカヅチによる国譲りと神武東征で鍵となった剣の神霊だ。神武即位後に宇摩志麻治命(うましまじ、ニギハヤヒの子、物部氏の祖)の許に宮中で祀られていたものを、崇神7年にこの地に遷した。
布留御魂(ふるのみたま)は、ニギハヤヒが授かった十種の神宝に宿る神霊で、やはり宮中から遷された。布都斯魂(ふつしみたま)は、スサノオの天十握剣(あめのとつかのつるぎ、ヤマタノオロチを退治)に宿る霊だ。中でも主祭神は拝殿後方の禁足地(布留社)に鎮座するとされる。
次は大和(おおやまと)神社へ。祭神は倭大国魂神(大地主大神:ヤマト地方古来の神か)だ。宮中に祀られていたが、崇神6年に皇女渟名城入(ぬなきいり)姫を斎主として宮外に出し、同11年にこの地に遷した。共に奉斎されていたアマテラスも皇女豊鋤入姫命をして笠縫邑に遷し、更にその後伊勢に遷されている。
この神社には戦艦大和の碑が立つ。大和神社の分霊が艦内に祭祀されていたという。碑の隣の祖霊社はオオクニヌシを祭神とするが、伊藤整一中将以下の殉死者2736名(加えて他9艦の985名)も合祀されている。碑の高さは2736mmで、大和神社の参道の長さ(250m)は戦艦大和と同じらしい。
最後は大神(おおみわ)神社だ。元は三輪山をご神体とし、崇神7年に大物主大神としてオオクニヌシの幸魂(さきみたま)と奇魂(くしみたま)を祀った。荒魂(あらみたま)は狭井神社で祀られた。要は古来の支配者の象徴だろう。これら三社は崇神時代のヤマト王権成立に関わり、神話の世界を今に伝えている。
なお他の二十二社は、自然神(水神、風神)、国津神(オオクニヌシ、ウカノミタマ)、皇祖・皇族(アマテラス、スサノオ、筒男三神、神武、神功皇后、応神)、貴族の祖(藤原氏、橘氏他)、渡来人(秦氏、百済人)、怨霊(天神)などが関係している。この一覧から平安時代の為政者の国家観が伺える。(続く)