スピリチュアリズム・ブログ

東京スピリチュアリズム・ラボラトリー会員によるブログ

入門者

2010-06-27 22:01:10 | m.taizo>日常から
「スピリチュアリズムと聖典」については一休みします。

一昨日、大人数の宴会であまりヨロシクない酔い方をしてしまいました。失態です。何か大きな粗相をしでかした、ということではないのですけれども、二次会以降はだいたいにおいて傍若無人なクソ野郎であり続けたなと。

軽薄、軽率な言動の数々、我ながら浅ましい酔態で、自己救済のための告白みたいになるので具体的な供述はしませんけれども、シラフになって思い返すと、穴があったら・・・というアレですね。まあ、悪酔いです。酔わなければ起きていないけれども、酒を通して表面化してしまう自分ということなので、酒のせいにはできません。

本来、お気楽な仕事なのですけれども、十年も長居すると人間関係もいくらか複雑になります。仕事に限った付き合いに収めている賢い同僚達には無い悩みなのですけれども。蒔いた種は自ら刈り取らねばならないという話でして、悪意を包み隠さず、その時その時の感情をストレートに垂れ流していた約8年間ぐらいの所業が蓄積されておりまして、対人的なこじれが頂点に達した約三年前、集中的に遭遇した不可思議な現象の数々をキッカケにスピリチュアリズムを知り、徐々に学びながら対人スタンスを改めつつあったわけですけれど、十年近く前のくっだらないことが原因で未だ挨拶すらままならない同僚が居たりもします。いい歳になって、今更どちらが悪いとかどうでもいい話で、ただひたすら恥ずかしいし情けない。とはいえ相手のあることであり、過去をヘタに蒸し返さずにうまくリセットするというのは案外と難しいものです。

長年に渡り攻撃的だったニンゲンが、ある時期から一転して滅多に怒らない、時にはエセ人格者ふうな言動に終始すれとなれば、それはそれで怪しいし、もしかしたら余計に怖いでしょう。腹に一物を抱えたニンゲンとして警戒されて当然です。そうした経緯があるので、酒の席での振る舞いには注意が特に必要なんですけれども、酔うに連れて妙な方向にスイッチが入ってしまい、あたかも「本性が出た」的にやらかしちゃいました。

シルバー・バーチは言います。
「 私たちが望んでいるのは、まずそうした霊的真理のメッセンジャーみずからがそれを日常生活において体現し、その誠実さと公明正大さに貫かれた生活を通して、見る人の目になるほど神のメッセンジャーであることを認識させることです。それから今度は積極的に世に出て社会生活のすべての面にそれを応用していってほしいのです。つまり、まずみずからが身を修め、それから他人のために自分を役立てる仕事に着手するということです。」

読むのがツライですね。スピリチュアリストたらんとしていることを身近な周囲に対しては特に隠してもおりませんが、あえて表明もしてないのは、つまり未だこういうヘマをやらかす自分だからです。「そーゆーのの影響を受けてて、それ(その程度)なんだ」などと思われてしまうようでは、スピリチュアリズムの普及どころではなく、むしろマイナスです。私の愚行とスピリチュアリズムとは関係ありません。あるいは、スピリチュアリズムが身についていない結果としての愚行です。入門者たる所以です。

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2 コメント

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Unknown (m.taizo)
2010-07-05 00:47:11
コメントありがとうございます。

こちらこそGlass Ageさんのブログを楽しみにしています。

おっしゃる通り、日常生活こそヤッカイで恐るべし、ですね。

私にはそのような意識が欠けているのですけれども、いわばテストが連続しているようなものかもしれませんね。
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恐るべきは日常生活 (Glass Age)
2010-07-03 22:02:16
こんにちは。いつも楽しみに読んでいます。

他人事とは思えません(笑)。
つくづく思うのは、最も厄介で恐るべきものは日常生活だなあということです。

でも、スピリチュアリストとしては、そこを忘れてはいけませんよね。
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