ブログを始めて1年になりました。
ご訪問くださっている皆様、ありがとうございます。
なんかあっという間で。まあ年を取ると時間の流れが速くなるようで、そのせいかも。
いったいこの1年、お前はちゃんと成長したのか、と自問してみると、どうも……(;´д`)
まあ、始めた以上、1年くらいは何とか、という思いもあったので、一息。ただ「共同ブログ」ではなくなってしまっているけど(´・ω・`)
ちょっとこのところ更新中毒みたいになっていますwww(なぜこんな2ちゃん文体なのか)
とはいえ「在庫」が切れると(そろそろ)、そうも行かなくなりそうでやばい。
時事ブログではないので、そんな折りには、ぜひ過去ログもご覧いただければと存じます。
まあ、何人かの方でも、「む?」と思っていただけると、ありがたいです。
* * *
「む?」って大事だと思います。疑問符がぴこーんと出ることが。
「こんなことがあるんだろうか」「こういう考え方ってありなの?」といった疑問符を持つことというのは、とても大切なことだと思います。
「んなもんあるわけねーだろ」とか「妄想乙w」とシャットアウトしたら、見ている世界は広くならない。どういう結論を出してもいいから、「むむ?」と好奇心を持ち、探検してみる。そうすればそれだけ豊かになるのではないでしょうか。決まった世界、明証的なものだけに閉じこもってしまったら、成長もしないでしょう。科学を自分の基底にして、それ以外を認めない人もいますけれども、科学は人間の経験の一部に過ぎません。そこに閉じこもったら、生も限定的になってしまうのではないでしょうか。サイキカル・リサーチ(心霊研究)や超心理学の逸話などは、霊の実在云々を別にしてもけっこう面白い事例がたくさんあるんですけどね。
と同時に、霊的なこと、宗教的なことに、あまりに「決めつけ」をしない、疑問符の部分はそれで残しておく、ということも、とても大事なことだと思います。そもそもそういったことは、人間の知性ではうまく理解できないことも含まれている。だから、よっぽど確かだと思われるもの以外は、大まかに捉えておく、疑問の余地を残しておく、ということが必要だと思います。
スピリチュアリズムの霊的情報は、確かに既成宗教がうまく説明できていなかったものをクリアに説明している部分が多くあります。知としてはかなり広い。でもそれを知ったからといって、疑問がすべて解決するわけではない。いや、むしろ知れば知るほど疑問符は増えていく。しかもたぶん生きているうちは解けそうもない疑問符が。その疑問符は疑問符のまま置いておきましょう、と。
あまり「こうだ」と決めつけてしまうと、向こうに行ってからもよろしくないようです。「彼岸というのはこういうものだ」「神の法とはこうだ」と決め込んでいると、そういう思いに囚われてしまい、自由な成長が阻害されることもあると霊信は言っています。
スピリチュアリズムもそれは同じでしょう。あまり細かいことを「固定的に」捉えるのは害になるに違いありません。確信するのは「私たちの魂は死後も活動を続ける」「生まれ変わりもあるし、もっと上の世界もある」くらいのことに留めておいて、あとの細かいことは、ある程度漠然と、大まかに捉えておいた方が、変な踏み間違いをしないのではないでしょうか。いろいろな情報を知っていれば、問題はここにあるという見当がついてくる。でも、決めつけるわけにはいかない。
そんなこともあって、ここでは断定的な言い方や「~べきです」みたいな指示的表現は、できるだけ避けてきたつもりです(単純化するためにやむを得ず使ってしまったこともあったかもしれませんけれども)。これはこうであるとか、何をすべきかすべきでないかは、個々の魂が判断すべきことです。物質の世界では「これはこうである」は成立するでしょうけれども、心や魂の領域ではそんなことはありえません。
「理性を持って、しっかり吟味しなさい。そして納得できないなら、捨てなさい」とシルバー・バーチ大師は言います。
いろいろ知って、自分で吟味すること、自分の身に引き寄せてしっかりと考えることを、私たちは課せられているのだと思います。
ご訪問くださっている皆様、ありがとうございます。
なんかあっという間で。まあ年を取ると時間の流れが速くなるようで、そのせいかも。
いったいこの1年、お前はちゃんと成長したのか、と自問してみると、どうも……(;´д`)
まあ、始めた以上、1年くらいは何とか、という思いもあったので、一息。ただ「共同ブログ」ではなくなってしまっているけど(´・ω・`)
ちょっとこのところ更新中毒みたいになっていますwww(なぜこんな2ちゃん文体なのか)
とはいえ「在庫」が切れると(そろそろ)、そうも行かなくなりそうでやばい。
時事ブログではないので、そんな折りには、ぜひ過去ログもご覧いただければと存じます。
まあ、何人かの方でも、「む?」と思っていただけると、ありがたいです。
* * *
「む?」って大事だと思います。疑問符がぴこーんと出ることが。
「こんなことがあるんだろうか」「こういう考え方ってありなの?」といった疑問符を持つことというのは、とても大切なことだと思います。
「んなもんあるわけねーだろ」とか「妄想乙w」とシャットアウトしたら、見ている世界は広くならない。どういう結論を出してもいいから、「むむ?」と好奇心を持ち、探検してみる。そうすればそれだけ豊かになるのではないでしょうか。決まった世界、明証的なものだけに閉じこもってしまったら、成長もしないでしょう。科学を自分の基底にして、それ以外を認めない人もいますけれども、科学は人間の経験の一部に過ぎません。そこに閉じこもったら、生も限定的になってしまうのではないでしょうか。サイキカル・リサーチ(心霊研究)や超心理学の逸話などは、霊の実在云々を別にしてもけっこう面白い事例がたくさんあるんですけどね。
と同時に、霊的なこと、宗教的なことに、あまりに「決めつけ」をしない、疑問符の部分はそれで残しておく、ということも、とても大事なことだと思います。そもそもそういったことは、人間の知性ではうまく理解できないことも含まれている。だから、よっぽど確かだと思われるもの以外は、大まかに捉えておく、疑問の余地を残しておく、ということが必要だと思います。
スピリチュアリズムの霊的情報は、確かに既成宗教がうまく説明できていなかったものをクリアに説明している部分が多くあります。知としてはかなり広い。でもそれを知ったからといって、疑問がすべて解決するわけではない。いや、むしろ知れば知るほど疑問符は増えていく。しかもたぶん生きているうちは解けそうもない疑問符が。その疑問符は疑問符のまま置いておきましょう、と。
あまり「こうだ」と決めつけてしまうと、向こうに行ってからもよろしくないようです。「彼岸というのはこういうものだ」「神の法とはこうだ」と決め込んでいると、そういう思いに囚われてしまい、自由な成長が阻害されることもあると霊信は言っています。
スピリチュアリズムもそれは同じでしょう。あまり細かいことを「固定的に」捉えるのは害になるに違いありません。確信するのは「私たちの魂は死後も活動を続ける」「生まれ変わりもあるし、もっと上の世界もある」くらいのことに留めておいて、あとの細かいことは、ある程度漠然と、大まかに捉えておいた方が、変な踏み間違いをしないのではないでしょうか。いろいろな情報を知っていれば、問題はここにあるという見当がついてくる。でも、決めつけるわけにはいかない。
そんなこともあって、ここでは断定的な言い方や「~べきです」みたいな指示的表現は、できるだけ避けてきたつもりです(単純化するためにやむを得ず使ってしまったこともあったかもしれませんけれども)。これはこうであるとか、何をすべきかすべきでないかは、個々の魂が判断すべきことです。物質の世界では「これはこうである」は成立するでしょうけれども、心や魂の領域ではそんなことはありえません。
「理性を持って、しっかり吟味しなさい。そして納得できないなら、捨てなさい」とシルバー・バーチ大師は言います。
いろいろ知って、自分で吟味すること、自分の身に引き寄せてしっかりと考えることを、私たちは課せられているのだと思います。
私は霊的真理を知るということは、その人の今後の人生に対して自分で責任を持つ事につながると考えております。
信頼できる霊訓が実践を推奨しているのは、何も難しいことではなく(もちろん完璧を期すのは別問題として)私ごとき凡人にもできる、極々常識的な日常生活への心構えであるし、それを多くの先達や仲間達が応援していてくれさえもするのです。
最近では、私はすぐ近くにいてくれるそういった人?たちと心のなかで相談しながら、(たとえそれが表面的にはどんなにつらそうな事態であっても)起きてくる日常の出来事にポジティブに対応していくことが楽しい状況になってきました。
霊的真理に出会えて本当によかったと思っています。その後押しをしてくださっている高森様やスタッフの皆様、心の道場などの良心的なスピリチュアリストの皆様に、いい機会ですので改めて感謝の念を捧げたいと思います。
後は、一人でも多くの方に霊的真理を知っていただけるように努力はするつもりですが、結局はつとめて個人的な問題に収束してしまうので、なかなか難しいことではあると思っています。
これからもどんな文が織られて行くのか楽しみにしています。
様々な試練の渦中にありまして(苦笑)、自分のブログの更新もままならない状況ですが、高森さんが積極果敢に更新されているのをうれしく思っています。
ただ、そのスピードに追い付けず、すべてを読めていません(笑)。がんばって読みます!
Glass Ageさん、お久しぶりです。ホームページがお休みされているようで、ちょっと心配していました。落ち着かれたらまたご活躍されることを期待しています。