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【霊学概論】(27)人間以外の霊的存在

2011-06-20 00:04:02 | 高森光季>霊学概論

◆人間以外の霊的存在

 上記の「魂の旅」は、人間の魂に関してのものであるが(そしてあくまでもマイヤーズ霊の報告によるものであるが)、霊的生命体は何も人間だけではない。地球上の動植物もまた霊的生命体であるし、地球以外にも霊的生命体は存在する。
 ただし、このような知見はまったく実証性がないし、動植物はともかく、自然霊や地球外生命の情報となるとあまりにもSFめいていて、霊信自体の信用を落としかねない。ここでは大枠を紹介するのみにして、深入りはしない。
 動植物にも霊的な生命体があることはもちろんである。ただ、一般的に原始的な生物になればなるほど魂は集合的なものとなるという法則がある。虫などは個体としての魂というものは存在せず、その群なり種なりで一個の霊魂として活動している。ミツバチやアリは群が一つの生物単位とも考えられるわけで、一匹一匹は臓器や細胞のように部分的役割を果たす機能存在と言える。蜘蛛を始めとする昆虫類が巣作りなどで驚異的な知性を発揮する例があるが、それはDNAや脳システムの情報ではなく、一種の霊的なコミュニケーションによって集合的霊魂から情報を得ているとも考えられよう。
 種が高度になってくると、個体魂の独立性は高まってくる。犬・猫・象・イルカなどは、かなり個性を持つようであるが、それでも一般的には、死後その個体魂は集合的霊魂に戻ると言われている。ただし、ペットとして人間と交流した犬猫などは、死後も一定期間は個性を存続し、あの世で飼い主との再会を果たすという見解もある。さらにマイヤーズ通信では、人間と深く交流して個性・知性を発達させた犬や猫の中には、人間に生まれ変わるものもあると仄めかしている[不滅への道、二二七頁]。またシルバー・バーチも「新しい霊――はじめて人間の身体に宿る霊は、動物の類魂の中の最も進化した類魂です。その動物は犬です」と述べている[バーチ⑤、一〇二頁]
 植物は、魂としての個別性はなく種として集合的な霊魂を形成する。ただし、このことは個々の植物体が知性を持っていないということを意味しない。植物が人間の思念や感情に反応するという報告は多々ある。また多数の改良品種を生み出した天才栽培家が、植物と超常的な交信をしていたという説もある。
 鉱物は生命を持っていないが、非常に精妙稀薄な生命波動を媒介しているという。日本の土着的信仰では巨大な岩を「磐坐(いわくら)」、つまり神の座と見なしており、そういう岩に手をかざすと霊的な感受性を持っている人は何らかの感覚を感じるという。
 《〔鉱物について〕化学的成分の分析はほぼ完了したと言えますが、休むことなく活動しているより精妙な要素の研究が疎かにされている。岩石の一つたりとも休止しておらず、全成分が整然と休むことなく活動しているというところまで判れば、その作用を維持し続けるためには何か目に見えざる大きなエネルギーが無ければならないこと、さらにその背後には或る個性を持った“施主”が控えているに相違ないという考えに到達するには、もうあと一歩でしかありません。》[ヴェールの彼方の生活①、二二五頁]

 こういった人間以外の霊的存在は、個別性を人間ほど強く表現していないので「低次」の存在に見えるが、それぞれなりに霊的な営為と成長をしているのであって、人間が意味もなく蹂躙してよいものではない。むしろ様々な生物が共生してこの地球環境を作り上げ、人間が存在する基盤を提供しているのであるから、われわれはそれを尊重しなければならない。
 ただ、スピリチュアリズムは西洋のものであるだけに、自然に対する愛は東洋、特に日本のように豊かで細やかなものではないと言えるかもしれない。野生の動植物にも神を見る日本の神道はこの点ではきわめて優れているように思われる。
 とはいえ、スピリチュアリズムにも「自然霊」という考え方は存在する。これは、人間や動植物とは異なる「別系列」の霊的生命体で、この地上においては物質的形態を取らず、物質や自然を管理する枠割りを果たすものだという。「精霊」という言葉で表現されることもある。地球上の諸エレメント(土、水、火、風)を統括する精霊、地域の自然や気候を統御する精霊、さらには地球全体を管理する超高度な精霊などがいるとされている。飛び抜けて美しい自然地区は、精霊によって保たれているということは、同感する人も多いのではなかろうか。こうした精霊の中には、人間と同程度ないしはより低次の存在もいるようで、「妖精」などと表現されるのはそういう存在らしい。彼らは人間に好まれる、あるいは恐れられるような姿を見せてみたり、時には人間に対して善いことや悪いことをなしたりもするようである。アイヌのコロボックルや日本の河童などはそうした妖精の表現かもしれない。

 地球外の霊的生命体の話は、もっと奇妙なものとなる。
 確率論的に見れば地球以外に生命が存在する可能性は非常に高いと言われているが、現在の観測では発見されていない。これは奇妙なことだとも言える。
 ところが、スピリチュアリズムの霊信では、太陽系の諸惑星や、さらに恒星にさえも、生命体は存在すると述べるものが多々ある。
 マイヤーズ通信では、太陽系の他の惑星にも生命体が存在するが、それは地球の人類が依拠している物質とは振動率の異なる物質系に属しているため、観測できないと言い、たとえば金星には、地球よりもはるかに高度な精神を持った生命がいると述べている。さらに同通信は、太陽を始めとする恒星にも生命体は存在し、それらはいわゆる惑星系の存在に比べてはるかに高度な霊的存在(第五界の「火焔界」に属する存在)だと言っている。また、地球よりはるかに鈍重な物質世界で生命が存在する星もあるという[人間個性を超えて、一〇~一一章]。
 このあたりは猛烈な反発・反論が出るところだろう。しかしこうした情報(特に他の惑星という表現)は他の霊信やニュートンなどの報告[ニュートン、二〇〇一年]にも述べられていることなので、証明はできないにしても妄説と捨て去ることはできない。
 結局、われわれが見ている宇宙は、あくまでわれわれの物質レベルでそう見えているだけの話で、「物質の振動率」を変えるとまったく別の姿になるということのようである。そのレベルでもまだ金星とか太陽とか表現することが正しいのかどうかはわからない。そのレベルでの金星や太陽が、この物質レベルの金星や太陽とどういう関係にあるのかは、うまく説明されていない。またこの物質レベルで生命体が存在する惑星が近くにあるのかどうかも明言はされていない。
 ともあれ、全宇宙には、様々なレベルの様々な「生命界」があるということのようである。地球(この物質レベル)での生存とは、その一つの相に過ぎない。より精妙なレベルの生存もあるし、鈍重なレベルの生存もある。人間よりもはるかに高度な生命形態もあれば、低次な生命形態もある。マイヤーズ通信は、「人間型の生命は、むしろ全宇宙では特殊」とも言っている。
 ある程度似通った「生命圏」の間での「生まれ変わり」も多数ではないがあるとされている。高度な精神性を持った金星の住民が何らかの理由で地球に生まれたり、濃厚な物質性を好む魂が地球よりさらに鈍重な物質性を持つ「生命圏」に生まれたり、ということがあるらしいのである(ただし「僕は金星から来ました」と主張するニューエイジャーの言い分が真正かどうかはかなり疑問に思えるが)。
 こうした見方は、人間の位置を相対化させる。この宇宙でかくも知的に発達したのは人類だけだと主張したい人々もいるようだが、それはとんでもない傲慢で、人間はむしろ下から数えた方が早い程度のレベルでしかない(もっと下もあるということらしい)。高次の霊界には地球よりはるかに高度な惑星をいくつも転生してきた魂もいて、人間の魂もそこまで行けばそうした高度な生命体に出会えるようである。
 細部の妥当性はともかく、こうした見方は興味深い。スピリチュアリズムは「個性の死後存続」を言い立てるために、「人間中心主義」ではないかと批判されることがあるが、まったくそうではない。地球上の動植物の霊魂も認めるし、さらにはこのように、人間は多様な生命形態の一つ(それもあまり上等ではない一つ)と見ているのであるから、およそ「人間中心主義」とは言えないだろう。
 なお、地球外生命というと必ず出てくるのがUFO問題であるが、スピリチュアリズムはこの件に関しては言及しないのが通例のようである。UFOの証言にはデマや錯覚も多いだろうが、おそらくかなり信憑性の高いものもあるだろう。それらは、近似した物質世界の住人たちのものであるのかもしれないし、あるいは「いたずら霊」の所業かもしれない。しかし一番の問題は、UFO現象は、少なくとも現在のところ、何ら「有益な情報」をもたらさないということである。UFO現象は、楽しいものではあるが(中にはなぜか腹立たしいと感じる人もいるようだが)、それ以上のものではない。

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