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【霊学概論】(38)神道とスピリチュアリズム

2011-07-26 00:36:22 | 高森光季>霊学概論


◆神道とスピリチュアリズム

 神道というものは、仏教と同様、はっきりと定義ができないものである。それは、全世界的に見られる「シャーマニズム・アニミズム型の原始信仰」を基底にし、そこに仏教・道教など様々な外来宗教の影響が加わって、時代によって異なる相貌を形成してきた。原始の精霊信仰、古代の氏族(人格神)神道、中世の神仏習合神道、近世の民俗神道、そして近代の国家神道及び啓示型神道(新宗教)といった具合である。しかし神道全体としての教祖や聖典があるわけではなく、従って定まった教義もない。崇拝対象も、ある意味でばらばらである。「神社本庁」などといういかにも国家機関めかした(つまり詐欺臭い)名称の組織があるが、民間の任意団体であって、すべての神社が所属しているわけでもないし、絶対的権威を持っているわけでもない。ついでに言えば、普通の日本人が思い描いている神道のイメージ(七五三、結婚式、みそぎ修行など)は、明治以降の国家神道、神社神道のもので、それほど古いものではない。
 神道は、シャーマニズム・アニミズム型の原始信仰がそうであるように、あらゆるものの中に霊的存在やその働きを見る。祖霊(家族・氏族の死者霊)、夭折者や非業の死者の霊、自然霊(山の神や竜神など)、土地の霊、動植物の霊など、様々な霊的存在を認める。そして、特殊能力者(シャーマン、霊媒)を通したり、特殊な祭祀を行なうことで、それらの霊的存在と交渉する。こういったあり方は、スピリチュアリズムときわめて近いものである。スピリチュアリズムも、死者霊のみならず、自然霊や動植物の霊を認め、それらとの交渉可能性を認めるからである。スピリチュアリズムから見れば、神道を始めとする「シャーマニズム・アニミズム型原始信仰」は、素朴で荒削りであるにしても、正しい霊的営為と言える。また一部の神道は「人間は神の分霊」と捉えており、これはスピリチュアリズムと共通する。
 しかし、すべての宗教と同様、神道にも「誤れる夾雑物」が蓄積している。それは、儀礼への偏執、氏族・土地・神道譜(神名・流派名)への固執、安易な現世利益主義、そして一部に見られる偏狭な民族主義などである。
 そして、神道の最も危惧される点は、形式主義や習俗に流れ、中核である「神霊(高級霊)の実在」への信仰や体験が失われていることにある。果たして現在の神官たちが、神霊への確固たる信仰を持ち、それとの交渉体験を持っているか、いささか疑わしいところである。日本のスピリチュアリズム研究の草分けである浅野和三郎は、神霊の実在への信なくして神道はありえないと述べ、その実在を否定する神道は、「砂利しか入っていない牛肉の缶詰と同じだ」と言った[浅野、一九三八年、二―三頁]。
 もう一つ言えば、神道は伝統的に「言挙げせず」を旨にしてきたためか、霊的な教えや人生哲学において豊かな内容を持ち得ていない。一部の発言には、時代錯誤の民族主義・国家主義にとらわれ、唖然とさせられるものさえある。「言挙げせず」は神道界の知的表現レベルの低さの言い訳になってしまっているのではないだろうか。

 こうした形骸化する傾向のある神道に対して、神霊との交渉を生々しく打ち出したのが、幕末期以降の啓示型新宗教である。黒住教、金光教、天理教、大本は、日本独自の「霊信仰運動」であり、神霊の啓示、憑霊・脱魂現象、霊的治療などによって、広く大衆の支持を得た。これらは通常は神道プロパーとは見なされず、「神道系新宗教」と呼ばれるが、むしろ、きわめてラディカルに基底的な神道を復活させたものと見ることもできる。
 これらの新宗教は、霊媒である教祖が特定の神霊と交渉し、その教えを告げるわけであるから、スピリチュアリズムときわめて近いものと言える。とりわけ大本は、浅野和三郎も一時幹部として活躍しており、スピリチュアリズムの影響をかなり直接に受けている。そして、大本から生まれ出た世界救世教、生長の家、真光文明教団、白光真宏会などの「新・新宗教」には、スピリチュアリズムの思想的影響が色濃く窺える(津城寛文『鎮魂行法論』参照)。
 しかしながら、こうした新宗教にも問題はある。一つは、教えの発信源となる霊が、いささか偏った見解を持っている場合があるということである。霊も個性があり、時にはあまり妥当ではない見解を述べることもある(伝達上の誤りもあろう)。教団ではその教えが絶対化されてしまうために、誤った行ないに踏み入ってしまう危険性がある。また、本来は神霊の伝達役に過ぎないはずの教祖が、崇拝され絶対視されるという問題もある。スピリチュアリズムが主張するように、霊媒はあくまで「通訳」「媒介者」に過ぎず、そこには誤訳もあることを警戒すること、また霊の教えも他と比較しつつ総合的に把握することが、必要ではないだろうか。


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