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NHKクローズアップ現代「延命 生と死のはざまで」――尊厳死は許されるか

2010-12-10 00:32:49 | 高森光季>その他
先天的な身体欠陥によって、長年、人工呼吸器や人工透析の常用を余儀なくされていた18歳の女性が、「延命治療(透析)の中止」を自ら決断して死を選ぶ過程を記録したドキュメントが、12月8日午後7時30分からNHK総合テレビで放映されました。衝撃的で、ある意味では悲痛で、ある意味では高潔さを感じさせる、画期的なドキュメントだったと思います(私はNHKに対しては大きな疑義を抱いていますがそれは別問題)。
当人は「死んだ後の世界は“お疲れ様”の世界」「心は残る」「もう充分頑張った」と達観していましたが、ご両親(特にお父さん)は、治療を続行するよう説得し、医者もコメンテーターも「その意見にむしろ共観する」と述べていました。現代に生きる人としてはやむを得ないにしても、どうして「死は恐くない」という人の意見を否定するのか。そういう当人に対して「死んだら終わりだよ」と訴えるお父さんの姿は、スピリチュアリストとしては、なんとも言い難いものを感じてしまいます。

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魂は死なない、死は終わりではない、というのがスピリチュアリズムの主張です。しかし、一方では、人を殺したり自殺をしたりすることを基本的には厳しくいましめています。
こういう「延命治療拒否」あるいは「尊厳死」をスピリチュアリズムはどう捉えているのか。
マイヤーズ通信から引用します。

「人間が不治の病にかかり、精神的にも肉体的にも苦痛の甚だしい場合には、医師は慈悲の心をもって患者にある薬を与え、ゆっくりと静かに肉体を離れられるようにしてやるべきである。魂はこうした死に方で傷ついたり悪影響を受けたりすることはないからである。医師が魂を病める体から余り急速に引き離したりせず、また三、四日かけてゆっくりと体から脱け出すようにする限り、国法が未だに罪としていることを犯したとしても、彼の行為は正当化される。」(『人間個性を超えて』「第三章 死後間もない時期の生活」「病気と複体」)

もちろんきわめて慎重に適用されなければなりませんけれども、尊厳死は否定されていません。苦痛を軽減させる薬物の投与(モルヒネなど)さえ肯定されています。

「死後も魂は残るなどというのは妄想だ」と反論する人が多いことはもちろん承知しています。しかし、この人が言った「心は残る」「お疲れ様の場所」を否定する証拠や権利を誰が持っているというのでしょうか。人には、科学には絶対のことはわからない。魂は「ある」も「ない」もフィフティ・フィフティではないでしょうか。
正直に言えば、スピリチュアリストとしては、「死は終わりだよ、その後には何もないんだよ」と言い立てて悲しんでいる人こそ、「自分で自分を苦しめている」と見えてしまうのです。

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