スピリチュアリズム・ブログ

東京スピリチュアリズム・ラボラトリー会員によるブログ

ミゾを深めるスピリチュアル7 ~さよなら陰謀論2~

2010-09-26 23:58:54 | m.taizo>スピリチュアリズム周囲
色んな人が似たようなことを言っているだろうと思うのですが、「今にして思えば」、物心ついてから現在に至るまでピンチや転機には不可思議な出来事が高頻度で起きていたように思います。「助けられた」とか「導かれた」とか、あえてそういう言い方はいたしません。長年、霊的生命の実在を鼻で笑って否定するような人間であり続けていたわけですが、そのくせ自らの身辺に生じた不可思議な現象のあれやこれやについては、それはそれとして受け入れていて折に触れては思い返しており、なんだかよくわからないけれどもそこにリアルな何かがある、そうした確信が、唯物的なスタンスとは表立って対立することもなく、心のどこかでノンキに同居しておりました。

矛盾を突き詰めずに放置していられたのは、そもそも唯物主義そのものを信じていたというより、身近なスピリチュアル人種への反感によって唯物主義的なスタンスを決め込んでいたというところが大きかったからでしょう。当時はアレルギー反応の必然として、そうした人たちの主張の細部にほとんど踏み込まなかったわけですけれども、霊魂の死後存続を基調とするスピリチュアリズムを受け入れるようになってからは否が応にもスピリチュアル言説をしょっちゅう目の当たりにするようになり、そこで改めて気付いたのは、霊的生命の実在について受け容れられなかったのは確かに自分の頭の固さのせいもあったのかもしれないけれども、霊に対する長年のアレルギー反応にはしょうがない部分もあったんだなということです。

何でもありのスピリチュアル界隈での非常識をいちいち取り上げていたらキリがないけわけですけれども、せめて近代スピリチュアリズムの知見を生き方の指針にしていると標榜している人間とは最低限度の認識を共有したいものです。もちろん、スピリチュアリズムを信じているからといって、たとえばシルバー・バーチを信奉する人間はこうでなければいけない、といったものはありません。とはいえ、スピリチュアリズムの代表的な霊信とされるものが大枠としてほぼ共通する内容であるということを踏まえれば、おのずと「それはないでしょう」というラインはあるはずです。陰謀論なんぞは、完全にアウトだと私は思っています。別にわざわざスピリチュアリズムを参照しなくても多くの陰謀論はアウトでしょうけれど。

インペレーターやシルバー・バーチは、イエスの教えそのものとはおそらく異なるであろう“後世の人間によって付加された夾雑物”――しかも理性においても納得しにくい教義――について鋭い批判を加えておりました。二千年も前の古文書で、しかもイエスが死んでだいぶ経った後に複数の人間によって寄せ集められた言葉を編纂したものですから政治的な背景も相まって色んなものが付け加わってしまうのは当然ありうることです。一方、スピリチュアリズムの霊信の成立年代は19世紀以降、バーチに至ってはベトナム戦争のあった70年代までで、つまり現代の産物であり、一次資料としての文献そのものは原則的に書き加えそのものはほとんど無いものだと見做して良いでしょう。日本においては翻訳なのでいったん翻訳を信用するとして(微妙な問題をはらみますけれどもそれは別問題)、引用者が捏造でもしない限りインペレーターやバーチやマイヤーズの言葉そのものに混ざり物はないはずです。とすると、問題にされるとすれば、どのような文脈でスピリチュアリズム霊信が使われているかでしょう。

何らかの霊的生命の実在への確信を余儀なくされた時に、ネット検索で、唯物主義視線への客観的な配慮のある東京スピリチュアリズム・ラボラトリーHPの記述によってスピリチュアリズムのアウトラインを学び、スピリチュアリズム・ブックスHPで代表的なスピリチュアリズム霊信そのものを読んでそのエネルギーみたいなものを直接感じることが出来たのは、私にとって本当に幸運でした。心の道場さんの貢献を最大限に評価し感謝もしている人間ではありますけれども、スピリチュアリズム・ブックスHP主宰者の心の道場さんの言葉より先にカルデックやバーチやインペレーターの言葉そのものを先に読めたことは、私にとっては重要でした。

そうした自分の体験があるので、陰謀論みたいな余計なモノをスピリチュアリズム霊信と混ぜて紹介しているひとたちに対しては、それだけはカンベンしてくださいという気持があります。

『ミゾを深めるスピリチュアル3』で書いたところを改めて引用します。

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とはいえ、スピリチュアリストを自称する人間が、現時点で確定もされておらず、しっかりとした裏も取れていない陰謀論にいちいち拘泥することについては、疑問を覚えますね。

ここが肝心なところなのですけれども、「裏も取れていない」し「存在が確定もされていない」というのは、これって、スピリチュアリズムが基盤としている「霊的生命」や「霊魂の死後存続」が社会において置かれている状況と、とても紛らわしい。実際には、安易に全否定したがる一部の懐疑主義者が思い込んでいる以上に、霊媒現象や再生事例についてはまともな科学的なアプローチによる調査や注目すべき事例があるわけですけれども、一般的には霊魂は証明されていない不確かなものだと言っても差し支えないでしょう。

信じない側にとってみれば霊魂説も陰謀論も同じようないかがわしさであり、いや、陰謀論よりも霊魂のほうがいかがわしいかな、ともあれ、であればこそ、ただでさえうさんくさがられる霊実在主義者は、より慎重さをもって陰謀論を精査し、よっぽど確かな証がない限りは安易に信用すべきでは無い(以下略)
http://blog.goo.ne.jp/tslabo/e/ea88e92e45df6c3589ccb9afa1edd8f1
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客観的な証明が未だなされていなくても、陰謀論の側に信じるに足るそれなりの根拠があるというのであれば、それがいかに霊魂説の置かれている状況と紛らわしくてもしょうがないのですけれども、例えばあるブログで紹介されていた「爬虫類人」「イルミナティ」支配のデーヴィッド・アイクなる陰謀論者が居て、文章そのものもネット検索すれば出てきますが、どういう読者が居るのか興味が湧いたのでアマゾンのレビューを読んでみたところ、イエスの実在すら架空としているという指摘がありまして、これがもし本当だとしたら、こうした著者による陰謀論をスピリチュアリズム霊信と同時に信用しうる感性というのは、ちょっと俄かには信じがたいです。キリスト教批判をしているインペレーターやシルバー・バーチをはじめ、キリスト教を批判しないカルデックの霊団も、マイヤーズやホワイト・イーグルも多分そうですね、スピリチュアリズム霊信のほとんどがイエスその人には大変な敬意を払っております。唯物社会においてもキリスト教文献ほど多方面において長年月に渡り研究されている対象もそれほど世に無いと小耳に挟んだことがありますが、キリスト教へのスタンスの如何に関わらずイエスが架空の存在であるという有力な説が存在しているという話は寡聞にして知りません。「爬虫類人」の時点でぶっ飛んでいるので、イエスが居ようが居まいがもはや瑣末なことなのかもしれませんけれども。

イエスのことは置いておいて、仮に爬虫類人が実在するとしても、こんな陰謀論はスピリチュアリスズムの知見とはおよそ相容れない、というところまで話を進めて終わりたかったのですが、前置きが長すぎて今週も終われませんでした。もうちょっと続けます。

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1 コメント

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新幹線男。 (電車男。)
2013-01-07 15:02:27
当然スピリチュアルを否定してるだけで死後の世界を肯定していると言う意味ですね。
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