■第三章 スピリチュアリズム霊学の概要
◆霊界からの情報
章題で「スピリチュアリズム霊学」という言葉を使用したが、そもそもこんな言葉はない。同語反復のようであまり美しくない。正確に言えば「(出来事としての)近代スピリチュアリズムの中で得られた霊(人間も含む)や霊界に関する情報(を整理したもの)」ということで、単に「霊学」というと大風呂敷に過ぎるため限定したわけである(「近代霊学」という表現もあるだろうが、それでもまだ大風呂敷過ぎるだろう)。
前章で見たように、スピリチュアリズムは様々な物質的現象を伴った社会的流行現象であり、霊媒や交霊会を通して「人間個性の死後存続」を証明しようとする運動であったが、単にそこに留まったわけではない。その中にはたくさんの「情報」が編み込まれていた。最も多かったのは死者から遺族へのメッセージであったが、中には「今いる世界(つまり霊界)はこういうものだ」というリポートもあった。さらには「複数の霊界」にわたる全宇宙のありようについて語るものもあったし、霊としての人間はどう生きるべきかを説くものもあった。こうした情報を総合することで、ある種の総体的な知見が生まれるはずだとするのが「スピリチュアリズム霊学」の立場である(ただし、当然のことだが、サイキカル・リサーチのような「実証的」指向を持つ人々はこうした「霊の語り」を考慮しようとはしていない)。
ところで、死後存続を認める立場は別にスピリチュアリズムだけではない。そもそもほとんどの宗教は「死後存続」を何らかの形で認めている。審判を受けて天国か地獄かへ行くというのは、個性が死後も存続しない限り成立しない。浄土や地獄へ行くというのも同様である。神道のようにスピリチュアリズムにかなり近い霊魂観を持っているものもある。「個性の死後存続」を否定する宗教は、むしろきわめて少ない(きわめて現世主義的であった古代ユダヤ教や、「空」「無我」を説く一部の仏教など)。
だが、これらの宗教の「教学」とスピリチュアリズム霊学とは、基本的に異なる。スピリチュアリズム霊学の基礎になるのは、複数のそれぞれ独立した情報源から得られた多数の情報である。そして、その発信者が「霊」である(と主張されている)ことである。宗教のように、単一の人間(たとえ啓示や霊感を受けていても発語主体はあくまで人間である)による「絶対を主張する命題」ではない。
従って、ある見方をすれば、スピリチュアリズムは宗教ではないし、スピリチュアリズム霊学は宗教教学ではない。もちろんスピリチュアリズムが問題にしたのは「現実世界を超えた世界」という宗教プロパーの主題であったし、スピリチュアリズム霊学が示す世界観や道徳は宗教のそれと一部類似するものである。だが、スピリチュアリズム及びその霊学は、基本において宗教及び宗教教学とはまったく位相が異なる。それは基本的に「あちら側の住人」による「あちら側の情報」なのである。
こちらから行けない(行けると主張する人もいるが)世界の様子を知るには、向こうからの情報に頼るしかない。文化人類学者が異国の文化を調べる際に、その文化の住人からの情報を基礎にするのと同じである。この場合問題となるのは、情報源となる住人の知識の広さ、知性の確かさ、誠実性であり、また通訳(翻訳)の正確性である。また多数の情報源から似たような知見がもたらされれば、それは単独の情報による知見よりも信憑性は高まる。スピリチュアリズム霊学でも事情は同じである。発信者の身元証明、その人格の確かさ、そしてそれを通訳する霊媒の能力、他の情報との比較検討、などが問題になる。
身元証明というのは、なかなか困難な作業である。いくら過去の有名人を名乗っていても信頼できるかどうかはわからない。むしろ有名人物であればあるほど、多くの人がその個人的情報を知っているわけだから、詐称も簡単に成立してしまう。無名の市井人であれば、遺族のみが知っている情報に照らしてある程度の身元保証はできるが、そういった人物の情報は内容の豊かさに欠けるきらいがある。スピリチュアリズム全盛期には物理的心霊現象を見せることが「霊」である証明になったが、現代人の懐疑的理性はそれでは納得しない。結局のところ身元証明の問題は「死後存続の完璧な証明」とまったく同じことであって、同様に困難だということである。
霊の側も、こうした身元の詮索やそれに伴う疑義を回避して、あえて「無名」「匿名」で語るようになった。そしてそうしたメッセージのいくつかは、情報量においても、質においても、非常にすぐれたものとなった。
スピリチュアリズムは「正統教会」など存在しないので、どの情報が真でどれが偽であるといった判断は存在しない。多くのスピリチュアリストに人気のある「メッセージ集」があるが、それは人気があるというだけのことである。どれか一つを決めたりそれを絶対化したりすることは、そもそもスピリチュアリズムの意図にはなじまない。霊信自体が、「絶対ではありませんよ」「あなたがたがそれぞれの理性で判断して、受け入れるか否かを決めなさい」と言っていて、あくまで「情報」ないし「メッセージ」であることを強調しているからである。逆に言えば、定まったスピリチュアリズム霊学というものも存在しない。あくまで試み、暫定的なものであるということにもなる。
多くのスピリチュアリストが認めている「メッセージ集」には、以下のようなものがある。
まずは時代的に最も古い、アラン・カルデックによってまとめられたメッセージ(『霊の書』一八五七年刊、『霊媒の書』一八六一年刊、その他)がある。これは前にも触れたように、情報の発信者や得られた経緯が不明であるという欠点がある。いち早く再生を説いたところも英米のスピリチュアリズムとは異なる。だが、その内容は充実しており、物語的な面白さはまったくないが、包括的・体系的である。霊学という観点から見ればスピリチュアリズムとスピリティスムとの区別は無用のものであり、基本文献とすべきものであろう。
イギリスで最初の包括的なメッセージ集は、ステイントン・モーゼズの自動書記による『霊訓』(一八八三年刊)である。発信者はインペレーターと名乗る高級霊を長とした四十九人の霊団とされている。インペレーターを始めとする主要人物の身元については、当初は明かさないという方針であったが、後に秘密裏にある人名が出された。インペレーター自身が述べているように、その身元は証明のしようもないし、逆に懐疑心を強める働きしかしないだろうから、それについてはここでも述べない。内容的には、国教会牧師でもあったモーゼズが、霊の身元や、キリスト教と衝突するその主張について執拗に疑義を提出し、それに対して霊の側が滔々たる反論を展開するという、いわば「論戦」の書である。キリスト教を始めとする既成宗教を糾弾するインペレーターの口調は苛烈で、しばしば高圧的とすら感じられるほどのものであるが、そこで説かれる霊的哲学はきわめて深遠である。
数あるメッセージ集の中で、発信者の身元がはっきりしていて、内容的にも壮大・深遠なものが、「マイヤーズ通信」として知られる『不滅への道』(一九三二年刊)『人間個性を超えて』(一九三五年刊)である。発信者はSPRの創立者の一人で、その後も中心的人物として活躍し『人間個性とその死後存続』をまとめた(ただし遺稿)、フレデリック・マイヤーズとされている。マイヤーズは死後もパイパー夫人らを通じてSPRの知友たちにメッセージを送り、オリヴァー・ロッジらがその信憑性を認めているが、この二書は「自動書記による霊媒女性作家」ジェラルディーン・カミンズによる自動書記で、ロッジらも主題・文体・引用典拠などからマイヤーズ本人のものと認定したものである。内容的には非常に哲学的・論理的で、難解でもあるが、死後の魂の霊界移行プロセス、霊界の階層構造とそれに伴う霊的身体問題、「類魂(group souls)」の構造、「部分再生」説、人間以外の霊的存在(諸惑星・恒星の存在や「自然霊」)の様態などなど、きわめて多くの重要情報が含まれている。(なお、発信者であるマイヤーズが、死後わずか三十年ほどで「通常の死者が赴く世界」をもう一つ超えた境域にまで到達したということは、注目すべき点である。)
マイヤーズ通信とほぼ同時代に広く世に出されることになったのが、シルバー・バーチのメッセージである。多くの人が、量においても質においても、スピリチュアリズムの情報・メッセージとして最高峰のものであると認めている。発信者はシルバー・バーチ(白樺)と名乗る「名もないアメリカ・インディアン(先住民)」で、霊媒モーリス・バーバネルの「入神談話」によって「話された」ものである。
モーリス・バーバネル(一九〇二-一九八一)は、十八歳の時、好奇心から交霊会に参加し、最初は嘲笑したが、二回目の交霊会で意識を失い「インディアンの霊」の語りを媒介するようになった。その後、当時のジャーナリズム界の大立て者で「フリート街の法王」とも呼ばれたハネン・スワッファー(一八七九-一九六二)がこれに興味を寄せ、自らホームサークル(自宅交霊会)を開いて霊言を記録するとともに、一九三二年には週刊誌『サイキック・ニューズ』を創刊し、バーバネルを主筆として、シルバー・バーチの霊言を掲載していった。この霊言は内容の深さと優しさあふれる語り口で多くの人を惹きつけ、三八年には最初の語録集『シルバー・バーチの教え』が刊行された。以後も霊言はバーバネルの死まで継続し、多数の編纂語録集が刊行され、様々な言語に翻訳されている(日本でも十数種類の翻訳本が刊行され、いずれも多くの読者に読まれているようである【18】)。なおバーバネルは個人としても二冊の本を著わしている。
入神談話という形式ではあるが、半世紀に及ぶ長期間にわたるものであるだけに、その内容は多岐にわたっており、スピリチュアリズムの主要な論点はほぼこの中に尽くされているとさえ言えるかもしれない。しかしながら、スピリチュアリズム霊学をあくまで複数の情報源からもたらされた情報の総合として捉える立場からすれば、「シルバー・バーチのみでよし」とするわけにはいかない。そこで詳しく述べられていないことが他の情報によって補足されることも多々あるからである。
その他にも、死者から送られてきた「死後にまず赴く世界」の有力な情報はいくつかあるし(オーウェンの『ヴェールの彼方の生活』など)、シルバー・バーチと同様に「霊的な教え」を説くメッセージ集もある(やはりインディアンを名乗る「ホワイト・イーグル」のメッセージ[クック、一九八六年]など)。しかしすべてを網羅することはできないし、上記の四つに主要な論点は網羅されていると思われるので、以下の記述ではそれらを一応基礎とし、場合に応じて他の情報源(直接スピリチュアリズムと関係を持たない二十世紀の研究報告からのものも含めて)を参照することにする。なお、諸般の事情から、以下での霊信の引用は書名で表記する。
【18】――本稿での引用は近藤千雄『シルバー・バーチの霊訓』全一二巻に準拠した。このシリーズは著者名がなく、編者はばらばらで、訳者のみ同一なので、引用に際しては「バーチ①」のように表記した。
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