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【2ちゃんねるのスピリチュアリズム】その59 地震関連

2012-03-23 00:00:55 | 高森選>2ちゃんねるのスピリチュアリズム

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814 名前:2ちゃんねるのどこか 投稿日:2009/11/01(日) 22:41:39
  残念ながら作り話じゃないです。オレが経験した実話です。

  6年前の阪神大震災のとき、ホストスナックで働いてた俺は、そのとき一緒に閉店作業を
  してたカズってやつと二人で潰れたビルに閉じ込められた。
  閉じ込められたというより二人とも気を失ってて、ふと気が付いたときには、
  カウンターにもたれかかるように倒れたボトルラックの下の隙間に二人並んで寝てた。
  例えるなら形のいびつな二人用の棺おけみたいなもんかな。

  俺はカズの「おい!起きろ!大丈夫か!?」の声で起きたんだけど、二人ともどうすることも
  できんので 「爆弾おちたんかなぁ」とか「みんな死んだんかな・・・」とか
  異常に落ち着いて話してました。 真っ暗で寒かったけど、全然怖くはなかった。
  アタマの中では「俺らが生き残った最後の人類」みたいに思ってたからかな。

  何分か何時間か、ず~っと二人で話してると、ふいに頭の上でかすかに 「誰かおるかー!」
  って声が聞こえてきた。(助かる!!)急に元気になってここに閉じ込められてることを
  知らせようと大声で叫ぶんやけど、どうやら気づいてくれない様子。

  結局気づいてくれないままどっか行ってしまったんで、どうしようかと考えてると
  横のカズが怪我をした足がひどく痛むと言い出した。最初は俺も「大丈夫か」とか
  言ってたんやけど、よっぽど痛いらしく「イタイイタイイタイ!」とか叫び始めた。

  俺は時間の感覚はなくなってるけど、少なくとも怪我してから数時間経つのに
  なんで急に痛がるんやろうとか思いながら、「大丈夫大丈夫」とか言って励ましてた。

  イタイイタイの叫び声がそのうちに「ギャア」とか「ウオォォ」とかになってきて
  冷静だった俺もイライラして「こんな狭いとこでうるさいねん!お前は!もうすぐ助かるから
  だまっとけや!」と怒鳴ると
  「んなもん痛いもんは痛いねん!お前にこの痛さがわかんのか!」
  とかいいながら、全然叫ぶことを止めない。よっぽど痛いんだろうなとか思いながらも
  俺のイライラも限界に達して
  「やかましいわ!」と言いながら、そいつの口を手でふさごうとして
  (カズは俺の胸の横ぐらいに顔があった)口に手を当てた。

  でも動いていない・・・唇が動いていない。
  声は聞こえる。全てを悟った俺はそのあと救助されるまでずっと泣きながら
  「大丈夫、大丈夫」と言い続けました。
  3日後カズの実家の滋賀県より両親が遺体を引き取りに来たときに、
  さすがにその話はできなかった。

  後日談

  カズの両親から聞いたんやけど、カズは首の骨を折っていたそうです。
  (恐らくボトルラックがあたったのかも)
  あと左足が電子レンジの下敷きになって骨が飛び出ていたそうです。

  両親曰く「警察が言うには首折って即死やったから、苦しい想いはしてないみたい。
  それが救いやわ・・・」
  何も言えませんでした・・・地震直後に即死してたというのを聞いてから
  実は全く非科学的なことは信じない俺は、カズと話してたのもカズが叫んでたのも
  俺の精神的な疲労による幻聴だろうと思っていました。

  でも俺を助けてくれた人たち(警官一人、ビルの管理人、通りすがりの兄ちゃん二人)
  によると、この下に人がいるって気づいたのは、カズの叫び声が聞こえたのだそうです。

  もう一つあとから思い出して気になったのが、叫び始める前にカズと話してた内容。
  やたらと昔話をしてました。
  そんときは「こいつこんなときになにをゆうとんねん・・・」とか思ってましたが・・・

  カズの両親が遺体を引き取りに来た晩のこと。
  その夜はかなり余震が激しく、半壊になった家にいるのは危険だという
  ことで家族4人で車の中で一晩過ごしたんだけど、そのときに夢をみたのよ。
  間違いなく夢なんやけど、あまりにも生々しくてね。

  働いてた店のカウンターでカズと二人で飲んでる夢だけどそのときの会話
  は多分死ぬまで忘れないので、以下再現します。

  俺  「あ~お前ホンマに死んだんか?」
  カズ 「そうやねん、まぁしゃーないわ。色々ありがとな」

  俺  「なんやねん、それ。んなこと言うなやぁ(泣)」
  カズ 「もう、しゃーないねんて。死んだんやから・・・」

  俺  「そーか・・・」
  カズ 「・・・そやけどめっちゃ待たせるな、腹立ってきたわ、俺」

  俺  「なにが?」
  カズ 「ちゃうねん、今回めちゃめちゃようけ死んだやろ? そやから受付
     がごっつい混んでんねん」

  俺  「なんやそれ?死んだ人の受付とかあんのか?」
  カズ 「うん、整理券もらった」

  俺  「嘘つけ!お前アホか!!(笑)」
  カズ 「いや、ほんまやて!だから時間空いて今お前と飲んでるんやんけ」

  俺  「ふーん、なんかややこしいなぁ」
  カズ 「あぁ、そうやお前ユミちゃんておぼえてるか?去年の夏よう飲みに来てた娘」

  俺  「あ~覚えてるよ、住吉に住んでる娘やろ?」
  カズ 「そうそう、あの子もあかんかったみたいやで、受付け並んでるとき会ったわ」

  俺  「マジで!?・・・かわいそうになぁ」
  カズ 「待ち時間にお前に会いに行くって言うたら、一緒に来たがってたけど、
     なんか妹に会いに行かなあかんって言うとったわ」

  俺  「ふ~ん残念やなぁ・・・まぁよろしく言うといて」

  みたいな会話をしてたのですが、起きてからもあまりにナマナマしさが
  残ってたので(特に酒の味)気になって死亡者名簿を近所のボランティア
  の人にもらって調べると、しっかりユミちゃんの名前も載ってました。
  悲しかったけど、死んであともああやって元気(?)でいるカズに会えて
  少し気が楽になりました。

  1周忌のときに墓参りに行った晩も夢に出てきてそんときは
  「お前、線香とか、花とかいらんっちゅうねん!(笑)」と言っていました。
  それからは出てきませんが、天国でも楽しくやってるんやと思います。

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529 :名無し職人:2006/05/04(木) 13:25:54
  昔、俺がまだ神戸で雇われのバーテンダーだった頃の話。

  その店は10階建てのビルの地下にあった。
  で、地下にはうちの店しかないんだけど、階段の途中にセンサーが付いてて、人が階段を通るとカウンターの中のフラッシュが光ってお客さんが来たのがわかる仕組みになっていた。

  でもたまに、フラッシュが光っても誰も入ってこない、外を見ても誰も居ないって事があって、俺は寂しがりやの幽霊でも来たのかなって、半分冗談みたいにウイスキーをワンショットカウンターの隅の席に置いて「ごゆっくり どうぞ~」と言っていたんだ。

  それからはそれがおまじないというか、げんかつぎみたいになって
  そういうことがあると、いつもそれをしてた。
  そのうちお客さんも「おっ今日も来てるねー」みたいな感じになって
  (そうゆう日に限って店は凄く忙しくなった)
  姿は見えないけど、その頃は店の常連さんみたいに思っていた。

  ある冬の朝方、またフラッシュが光ったんで、こんな遅くにお客さんかぁと思って外を見ても誰も居ない。なんかそのまま朝の空気が心地よいので階段の上まで昇って一服してたら、突然の大地震。
  そう阪神大震災です。
  うちのビルは地下と一階部分がぺっちゃんこ。あのまま中に居たら確実に死んでました。

  あとから考えるといつもただで飲ましてあげている、あの見えない常連さんが助けてくれたのかなぁと思います。

  今も違う場所で自分でお店をやってますが、その店のスイングドアが風も無いのにギギィーって揺れたりすると、今でもウイスキーをワンショットカウンターの隅に置いてます。

  そして心の中で「いらっしゃい。あの時はありがとうございました。」と思うようにしています。

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72 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 03/05/30 22:12
  これは、俺自身がこの間の東北地震の時に体験した話です。
  オカ板に書き込みするのは始めてなので、もし板違いでしたら烈しくスマソです。

  仕事終わった後、会社の倉庫の2階で資料の整理をしていますた。
  2Fといってもロフトみたいな所です
  はしごに右足かけてるだけの不安定な状態で
  いつものように整理をしていますた。

  地震が襲われたのは、そんな時でした

  うちの地方は震度5強
  突き上げる衝撃でハシゴはどっかへ飛んでいき
  足場を失った俺は落ちる!!!と思いました。
  そんなとき、去年死んだおばあちゃんが浮かんで見えました。
  あ、俺死ぬのかな。おばあちゃんが呼んでるのかな。
  そう思いました。
  でも違いました。
  おばあちゃんが両手を突き出して、俺の尻を支えるようなポーズ取ったんです。

  気がついた時には揺れは収まってて
  細い柱みたいなのを右手でしっかり握り閉めてますた。
  今でも右手は物凄い筋肉痛で
  どこで打ったのかひじから下あたり、青あざで真っ青っす。
  辛いっす。

  でも明日は頑張って
  久しぶりにおばあちゃんの墓でも掃除に行ってこようと思います。

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11 名前: 大好き 03/05/22 23:05
  私が15歳の1月。受験を目の前にして、深夜から朝まで受験勉強を
  していたとき。机の上においてあった参考書が触ってないのに
  急に落ちた。溜息をついてそれを拾いに机の下にもぐったとき、
  それが起こった。

  1995年1月17日5時47分。
  私の住んでいた地方は戦後最大の地震に襲われた。
  ものすごい地響きといろんなものが壊れる音を机の下で聞いていた。
  しばらくして揺れが収まり、机から這い出すと
  机の向かいにあった窓ガラスが椅子の背もたれに刺さり、
  机の上はガラスと倒れてきた本棚でぐちゃぐちゃだった。
  わたしは拾った参考書をみて、驚いた。

  参考書だと思っていた本は、祖父母に前日買ってもらったばかりの
  日記帳。

12 名前: 大好き 03/05/22 23:05
  鍵付きで革張りの、ちょっと高価なものがクラスで流行っていて、
  私も例に漏れず欲しくなり
  (今となってはどうして欲しかったのかもわからないけど)
  買ってもらったものだった。
  「あれ?」とおもって中を開くと、最初のページに

  「生きていることをただ感謝し、毎日を大事にせよ」と
  僧侶だった祖父の達筆な言葉が書かれていた。

  はっと我に返ったとき、母が血相を変えて私の部屋に来た。
  机の下で丸まっている私を見て、無事な姿に大泣きしていた。

  その2時間後。祖父母が地震で亡くなったと叔父からやっと連絡があった。
  ところが、亡くなっていたのは布団の上ではなく、二人とも
  本堂の仏さまの前だったと言う。

  後から聴いた話で、祖父母は、受験前の私のために、
  毎日朝5時半ごろから仏様に読経をしてくださっていたのだ。
  あの日記帳を落としてくれたのは、祖父母だったのではないかと
  おもえてなりません。

  そのことがあって、私は受験高校を変更、現在は看護婦をしている。
  生きていることを感謝し、毎日を大事にしたい。

  日記という名の手紙を毎日日記帳につづり、祖父母に供えて手を
  あわせています。
  今年で8冊目。

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6 :おさかなくわえた名無しさん:2009/04/27(月) 11:15:31 ID:MgZB+DaE
  中越沖地震の土砂崩れで車が潰れて男の子一人だけ生還した事故もオカルトめいた話がいろいろあったな
  ・近所のおばさんが物凄い形相で助けを求めて狂走する奥さんの姿を見たと証言
  ・男の子は即死したはずのお母さんとずっと話していたから寂しくなかったと言っている
  ・なぜかシートではなくトランクの辺りに居て、そのおかげで一人だけ助かった
  ・レスキュー隊は車を発見したとき母親の声を聞き、テレビの生放送でも複数生存と報道された

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