もともとはあった霊的能力を失い、霊的世界から離れていくのが、この2500年ほどの人類の歩みだった、という話になりました。物質世界への「下降」、「ディセンション」論です。
これが「悪の神」の奸計だという説もありましたが(まあ、巨大な陰謀論ですねw)、それは置いておいて、ともかくこの大きな「力」は、今も多くの人間に働いているように思います。
それは、超常的な現象や、霊魂の実在性に対する、人々の「無意識の反発」という形で現われています。これについては、笠原敏雄さんという超心理学研究者・心理療法家が『サイの戦場』『超常現象のとらえにくさ』などで論じておられますし、TSLホームページでも簡単に紹介しました(http://www.k5.dion.ne.jp/~spiritlb/3-6.html)。
まあ、簡単に言いますと、超常現象とか霊能力とか霊の実在とか死後存続とかの話をすると、あるいは現象を見ると、猛烈な感情で反発したり、見ないことにしたり、記憶をなくしたりする、といった態度です(始めから冗談、アミューズメントとして扱うとこの反応は減少します)。これはスピリチュアリズムやその他死後存続説に関係する立場の人は、ほとんどが体験していることでしょう。
こうした態度は、個々の人が何らかの後天的な形で(教育などによって)習得したものではなく、半ば無意識に、それぞれの心に埋め込まれたか、超常的な仕方で(時代の「集合意識」に)影響されているかのように働いているようです。
(スピリチュアリストや死後存続主張者はこうした圧力とは無縁なのか、というのは複雑な問題なので、ここでは触れません。)
要するに、人間社会という全体は、何らかの目に見えない圧力によって、人の心を「物質性」へ向けてどんどんと進めてきたし、今も進めている、ということになります。
これに対して、「その進化はもうすぐ終わる。物質への“下降”の時代は終わって、再び霊的源泉へ戻る“上昇”の時代が始まるのだ」とする主張があります。
こうした「新しい時代の予言」は遡ればフィオーレのヨアキムあたりに行き着くのかもしれませんが、スピリチュアリズムも、実は発生の時点で、高らかな宣言をしています。
それは、1848年3月31日に起こった、あの「ハイズヴィル事件」でのことです。概略はTSLホームページの用語解説(http://www.k5.dion.ne.jp/~spiritlb/yougokaisetsu.html)を参照いただきたいのですが、要するに、アメリカ・ニューヨーク州の寒村ハイズヴィルで起こったポルターガイスト事件で、「霊との交信」が始まった事件です。(ちなみに1848年はマルクス=エンゲルスの「共産党宣言」が出された年。ダーウィンの『種の起源』が刊行されたのは1859年です。)
その一連の交信の中で、霊はこう語ったと言われています。
《Dear Friends, you must proclaim this truth to the world. This is the dawning of a new era; you must not try to conceil it any longer. When you do your duty God will protect you and good spirits will watch over you.》
(友よ、この真実を世に伝えなさい。これは新しい時代の曙である。このことをもう隠そうとしてはならない。あなたがたが責務を果たそうとするのなら、神はあなたを守り、善き霊たちもあなたがたを見守るであろう。)
また、当時アメリカで霊視家・霊的哲学者として名声を博していたA・J・デイヴィスは、1848年3月31日の日記に、こう書いています。
《About daylight this morning a warm breathing passed over my face and I heard a voice, tender and strong, saying : ‘Brother, the good work has begun――behold, a living demonstration is born.' I was left wondering what could be meant by such a message.》
(今日の明け方、ひとつの暖かな息吹が私の顔をなで、優しく、力強い声が聞こえた。声はこう告げた。「兄弟よ、よき仕事が今始まった――見ていなさい、生き生きとした実演が、今生まれたのだ」。私はこのメッセージが何を意味しているのだろうといぶかるばかりだった。)
(これ、サイトの方には上げるのを忘れていました。直さなきゃ。)
霊界の側から「新しい時代になるぞ」と言っているわけです。
「新しい時代」という標語は、19世紀後半にはマルクス主義や社会進化論や科学・芸術によっても言われるようになり(どうも元をたどれば啓蒙思想、さらにヘーゲル、ヘルダー、コントあたりにもあるらしい)、そのうち猫も杓子も使うようになって有り難みが失われました(そこらへんのヘボ政治家も新時代などと言うわけでw)。
こんなことを言うのはなんですけれども、スピリチュアリズムの「新時代宣言」は、残念ながら当時のスピリチュアリストたちが思っていたような成功をもたらしはしなかった。相変わらずというか、もっと強固に「物質へ」という動きは進んだわけです。
こうした中、意外なところから新たな「新時代」宣言が起こった。それがアメリカの「ニューエイジ」運動です。まさしく「新時代」(era でなくて age ですけど)。これはベトナム戦争の敗戦を機に「西洋文化の行き詰まり」を感じた人々が、東洋思想や西洋神秘主義などを取り込んで、それまでにはない思想や実践を始めようとしたもののようですけれども、この「ニューエイジ運動」には、実に様々なものがあって、一筋縄では行かない。ここでは深入りしません。
ただ、その中には、「オカルティズム」「スピリチュアル」もあって、「霊的源泉への回帰」を標榜するものもある。そのあたりから、最近流行りの「アセンション」論も出てきたらしい。
詳しく調べたわけではありませんから間違っているかもしれませんけど、「アセンション」論は、もともとシュタイナー的な「霊的源泉への回帰」を主張していたのが、近年は「マヤ暦」とか各種の予言とか、「フォトン・ベルト」説(宇宙のどこかに光子の帯があって、そこを地球が通過すると何かが起こるということらしい)を抱き込んで、ずいぶん信者(失礼)を増やしているようです。
こういうニューエイジャーやオカルティストたちの主張が、どこまで真実なのかは私にはわかりません。ただ、これまで「物質へ」と突き進み、科学を猛烈に発達させてきた人類の歩みが、多少変わるのかなと思わせる兆候はあるような気がしないでもありません(なんか頼りないw。でも私は予言者じゃないので)。
というのも、科学は、明らかに「新発見」が少なくなっています。この150年あまり、物理法則とか素粒子の発見は、めざましいものがありました(エックス線の発見は1895年、電子の発見は1897年。何と最近のことか)。しかし、今は、量子力学もかなり研究し尽くされて、新しい発見をするにはとてつもないお金を投じた実験機械が必要になっていて、しかもそれによって得られる知見は非常に専門的で、応用範囲が狭い。以前のようにぱかぱかと新発見が生まれ、便利な機械が作り出される状況ではなくなっているのです。
科学が生み出した「怪物」も問題になっています。物理学の精華である原子力の負の側面は、今回の大震災で世界を震撼させています。遺伝子操作やクローン技術も、へたをするととんでもないことになりそうです。そもそも物質(素粒子)や生命を改変したり新たに作り出すという、「神の領域」まで、人間は叡智をいまだ備えぬまま無謀に足を踏み入れてしまった?……
一方、日本を見ていると、気になる現象があります。それは、けっこう多くの若者が、物欲にあまり囚われていないという感じがあることです。一時「インディゴ・チルドレン」などという言い方もあり、今は「草食系」などとも言われていますが、物欲、所有欲、出世欲、消費欲、さらには性欲すらも、あまり強くない若者が増えているようなのです。これは一時的なものなのか、それともひょっとすると新人類?(笑い)。まあ、彼らが「霊的傾向」を持っているかというと、それは疑問なのですけれども。
また、今回の東北関東大震災と原発事故は、一つの区切りの出来事になるかもしれません。
私たちは、エネルギーを使いたい放題使い、外国から食料を輸入しつつ大量の「食べ残し」を廃棄し、言い古された言葉ですが母なる地球を痛めつけてきました。この歩みはそろそろ変えなくてはいけないのではないでしょうか。
* * *
「物質へ進むこと」が人類進歩の趨勢ならば、放っておくしかないか。そこでことさら「霊」を説いているわれわれは何なのか。
行き過ぎを修正するバランサー? 時代に先んじそれを導く預言者(笑い)? 単なる「反体制好き」?……さあ、われわれはただ事実と真実(に近いと思われる情報)を伝えようとしているだけなんですけれどもね。
スピリチュアリストも他の死後存続説主張者も、ほとんどは、これまでの人類の進歩を否定しているわけではないでしょう。科学を全部捨てて原始に帰れなどと言っているわけでもありません。
「物質への下降」は、悪神の奸計である可能性はないわけではないけれども、スピリチュアリズムもほかの霊的先達も、それは意味があることだったと捉えています。
われわれは、神のイデアを、より神から遠い物質世界とぶつけることで、その実現プロセスに参加している。ちょうど、画家が、顔料や溶剤などもともとは散在していた物質を集め洗練させ、それと格闘してイデアを現出させるように、われわれはこの荒々しい世界に、なにがしか神のイデアの延長にあるものを、現出させようとしている。われわれは霊と物質とがぶつかる、いわば最前線で戦っているのだ、ということです。最底辺こそが最先端かも?(笑い)。まあ苛酷な世界ですが。
また、われわれ人間は、自意識を持ち、我欲をもって生きるがゆえの過ちを犯す。しかしそうした経験を積むことで、逆に広い知見と叡智を獲得し、成長・進化していく。
これについては以前、「放蕩息子の物語」として書きました(【人生の苦悩】(9) http://blog.goo.ne.jp/tslabo/e/b00ad2ff0169f3c76a76a72642945b96)。
人間は、父のもとを遠く離れ、放蕩を尽くして戻っていく存在なのかもしれません。
それが個々の歩みだけの話なのか、人間社会(人類)がそうなっていくのか、私には今のところわかりません。
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宗教プロパーの方がこういった類のものに目を向けてくださるというのは、稀有なことだと、とても嬉しく思っています。
当然霊的世界を信用するですよ。
>多くの若者が、物欲にあまり囚われていないという感じがあることです。
そうですね、20世紀最後の10年前ぐらいからでしょうか。物欲に囚われずに精神性を重視するなら良いのですが、彼らは飽食の時代で単に”やる気がない”だけなのが問題な気がします。高次霊も言ってますが”deed”が大事。やはり人間は物理的な世界で苦労をして精神も鍛えてゆくのだと思います。
私の尊敬する友人が”この国(日本)は静かに滅びていくのでしょう”と言ってましたが、私もそう思います。もちろんすぐにではありませんが、若者は覇気がなさすぎるし、大人は良識がなさすぎます。私はもう、ほとほと愛想が尽きました。もちろん素晴らしい人たちもいるのですが、多勢に無勢で数が少なすぎます。もう既に米国の属国ですし、中国人や韓国人のエネルギーには到底かないません。
”人類の進化”。物質主義も行き着くところまで行き着いて変化するのではないでしょうか。実際、(おそらく天上から与えられたのであろう)インターネットという方法を通じて、情報の洪水の中、石に混じって宝の情報も見つけ出すことができるチャンスが与えられています(こうして高森様のお話を拝読することが出来るのですから有難いことです)。
人々の意識が分化してゆく、というのはもしかしたら本当かもしれない、と思うことが最近あります。ざっくり言えば、TVを観る人と観ない人、というだけでも精神の乖離は激しいです。