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【雑報】「私は最も祝福された人間」――無名兵士の詩

2012-05-15 17:36:30 | 高森光季>その他

 ずいぶん前に見たことがあるものですが、またあるまとめサイトに紹介されていたので、
ここにも載せておこうと思い。

804:ななしのいるせいかつ:2009/06/20(土) 21:24:28

  大きなことを成し遂げるために、力を与えてほしいと、神に求めたのに、
  謙虚を学ぶようにと、弱さを授かった。

  より偉大なことができるようにと、健康を求めたのに、
  より良きことができるようにと、病弱を与えられた。

  幸せになろうとして、富を求めたのに、
  賢明であるようにと、貧困を授かった。

  世の人々の称賛を得ようとして、成功を求めたのに、
  得意にならないようにと、失敗を授かった。

  人生を楽しもうと、たくさんのものを求めたのに、
  むしろ人生を味わうようにと、シンプルな生活を与えられた。

  求めたものは一つとして与えられなかったが、願いは全て聞き届けられた。
  神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、全て叶えられた。

  私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ。

  ニューヨークのとある壁に書かれた文

      *      *      *

 あるブログには、「原詩はアメリカの南北戦争時代に、廃疾となった無名の南軍兵士が残したものと言われます。この詩がカトリック関係者の間に伝えられ、日本には1980年代以後に、グリフィン神父の訳詞で紹介されました」とあって、出典は「加藤諦三著『無名兵士の言葉』大和書房」とありました。
 少し訳文が異なっています。原文もありましたので引用させてもらいます。

  大きなことを成し遂げるために
  強さを求めたのに
  謙虚を学ぶようにと弱さを授かった

  偉大なことができるようにと
  健康を求めたのに
  より良きことをするようにと病気を賜った

  幸せになろうとして 富を求めたのに
  賢明であるようにと
  貧困を授かった

  世の人々の称賛を得ようと
  成功を求めたのに
  得意にならないようにと
  失敗を授かった

  人生を楽しむために あらゆるものを求めたのに
  あらゆるものを慈しむために
  人生を賜った

  求めたものは一つとして与えられなかったが
  願いはすべて聞き届けられた
  私は もっとも豊かに祝福された


  I asked for strength that I might achieve;
  I was made weak that I might learn humbly to obey.

  I asked for health that I might do greater things;
  I was given infirmity that I might do better things.

  I asked for riches that I might be happy;
  I was given poverty that I might be wise.

  I asked for power that I might have the praise of men;
  I was given weakness that I might feel the need of God.

  I asked for all things that I might enjoy life;
  I was given life that I might enjoy all things.

  I got nothing that I had asked for,
  but everything that I had hoped for.
  Almost despite myself my unspoken prayers were answered;
  I am among all men, most richly blessed.


 また別のソースによると、「ニューヨークのとある壁」というのは、「ニューヨークの物理療法リハビリテーション研究所の受付の壁に掲げられている」ということのようです。

      *      *      *

 ちょっと余計なことを言えば。

 これはもちろんイエスの「幸いだ、貧しい者は。幸いだ、飢えている者は。幸いだ、泣いている者は」という言葉(この3つだけは直説の可能性が高い)に連なるものです。これについては「【霊学的イエス論(12)】現世的価値の否定」で書きましたのでご参照ください。

 現世的な果実を得られないことで、人は現世を超えたものを知ることになる。
 現世的な果実を得た者は、現世を超えたものへのまなざしを失う。

 けれども、それはある場面での真理に過ぎない。
 さらにつきつめていけば、「祝福」はすべての存在にある。
 それを知らず、意識しない者にも。罪を犯した者にも。
 「最も祝福された者」がいるとすれば、ただそのことを知っている者、
 「求めたものは一つとして与えられなかったが、それこそが神の祝福」と知る者でしょう。


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