城主 :二神豊前守(1573年~1592年)、得居通幸、来島通総、来島長親
築城者:今岡四朗通任(1334年~1338年)に風早郡那賀郷の地頭職
築城年:定かでない
標高 :114m
形態 :海城
鹿島城は、北条港沖400mに浮かぶ鹿島に築かれている。
1336年~1392年は、南北両朝が対立した時代である。これによって
河野通盛が河野郷から本拠地を湯築城に移したときであるので、
これらの新時局に対処するため横山城、宅並城の諸城とともに築城され、
海上前衛陣をなしたと考えられる。山上からは、風早郡松山市北条(旧北条)を
一望できる要害で島全体を城郭とした。鹿島城が戦国末期における城郭として、
その立地条件、社会条件から、重要性を帯びてきたことを示す。
1585年豊臣秀吉の征伐は断行された。このとき先鋒として活躍した
来島通総(みちふさ)は、風早1万4千石を領有し、鹿島城主に任ぜられた。
しかし、その子康親は、関が原の戦いで西軍荷担した為、豊後に転封となり
恵良城と共に廃城となった。
所在地 :愛媛県松山市北条
渡船待合所
鹿島城は、待合所から見えます。渡船で約3分で鹿島に着きます。
乗船します。
船が着いた正面が城への登り口です。
登る前に公園からの、風景や、砂浜を散策します
砂浜側に登山口が、新しく出来てましたので、ここから登ることにしました。しかし、
最初は道もきれいに出来て安心して、進みましたが、途中、突然道がなくなりました。
引き返すのも、面倒だし、急な坂には、見えましたが、登る決断しました。
上の道が見えてきた、もう少しだ・('ー^*) オッケ!!
ここが、主郭であったと思われる
主郭からの遠望
夫婦岩とよばれております。その大注連縄には古来より人々の願いや
想いが多く編みこまれており神聖な場所です。
又、鹿島周辺は、瀬戸内海有数の穏やかな場所です。
城跡を後にしながら、鳥、桜を撮影しながら、今度は、安全に従来の道を下りる
この石は、違うようです。城郭の周りに崩れた岩が、当時の石らしい!
北条鹿島祭り(毎年5月3,4日)があります。今年は、行きます。
(^_^)/~~サヨナラ