別名 :岩の森城
城主 :不明
築城者 :村上吉継
築城年 :戦国時代(1467~1590年頃)
標高 :330m/比高60m
形態 :山城
城郭を見つけるのに、3日を要した。国道56号線の鳥坂(とさか)隋道
を抜けてすぐ西に小高い丘が見える。それが鳥坂(とさか)城である
言は、事前に知っていましたが、戦いは峠の頂上だろうから、城郭も
その辺にあるだろうと、自分ながら勝手に思い、峠の頂上の東や
西の尾根に入ってしまい、無駄な苦労をいたしました。
は数件ありますが、普段は留守であるし、やっと会えて尋ねると
今の時代の人ばかり、仕方なくこの山は間違いないので、自分で
探さねばと思い、峠の山へ入ったしだいである。やっぱり分からない
ので、ある夜、山の下にある一軒の家をたずねました。さいわい
会うことが出来、尋ねると、以外や返答がもらえました。資料を見て
標高が330mなので、私が探した峠は500mくらいあるから、多分
すぐ近くにあるでしょうと、教えていただきました。この話を聞いて
元気が出ました。日を改めて探すことにいたし、帰宅いたしました。
さて、鳥坂(とさか)城とは、1567~1568にかけて、喜多郡と
宇和郡の境を舞台に、河野・毛利の軍勢と、宇都宮・一条の軍勢が
戦いました。戦国伊予における有数の大合戦では有りましたが
河野・毛利優勢のうちに戦いは終わりました。
所在地 愛媛県西予市宇和町久保
高速道路松山ICから大洲ICまで車で走りますICをでてすぐに
宇和島方面(無料区間)へ走ります。
しばらく走ると、(無料区間終わりの)看板が見えてきます。
そこを左に下りて行き、信号を過ぎて急56線(左へ)に進みます。
しばらく走ると長いトンネル(鳥坂隧道)がみえてきます。
トンネルを過ぎて(約15~16m)すぐ左へ曲がります。
前方に小高い山が見えます。鳥坂城はその奥にあります。
登り口の道は現在遍路道となっており最高地点は標高470であります。
下の写真は、大洲藩鳥坂口留番所跡です。戦国時代鳥坂城が要衜で
あったように、江戸時代になっても重要な場所であった。
しばらく坂を歩いていくと(約15~16m)左側に大きな石がつきでています。
そこを左に登ります。
竹やぶの中を登るとまもなく鳥坂城に到達します。
遺構はないかな~
この鳥坂城の土地は、昭和時代個人の土地であった?