城主 :戒能通運・戒能通森
築城者 :不明
築城年 :不明
標高 :906m/比高約700m
形態 :山城
今回の大熊城探索には、大変苦労しました。下見では、大きな目印看板があるので
安心していましたが、尾根が多数あり道路からの、登り口がわかりません。
迷うこと2日、下見を含めて、計4日、費やしました。山の環境はそれぞれちがいますので
今回は良い教訓になりました。
では、大熊城について、簡単に説明いたします。大熊城は重信川支流と井内川に
囲まれた山塊の最長部、標高906m/比高約700mの地点に位置する。
中予地区の山城でも最も高い部類に属し、それだけ要害堅固な城となってるそうです。
遺構は1と2の郭があり、堀切が数個ありましたが、井戸とか、石ずみなどは
見つかりませんでした。戦国期の城主としては、戒能通運や、戒能通森が知られています。
戒能通運は、1533年支城の小手ヶ滝城を居城としていた時、久万の大除(おおよけ)城主
大野利直に攻められて大熊城にのがれ、ここで、大野軍を撃退したと言います。また
戒能通森は戦国末期の河野通直(牛福丸)の側近にあっておおくの合戦に軍功が
あったと言われています。
所在地 愛媛県東温市川内町大字則之内
松山市内~11号線を高松方面へ~川内町則之内交差点を右に(210号線)へ
道なりにしばらく走ります。
左に西谷小学校をすぎて井内地区に入ります。しばらく走ると右に西谷公民館
その先の210号線に入ります。(少し注意しながら)
しばらく走ると次を左(惣田谷へ)へはしります。
しばらく走ると左下に一軒民家があります.
この家の了解ヲ得て、お墓に駐車します。ここから見上げた奥の山
ここから、下がったところに大熊山の標識あり
ここからしばらく、コンクリート道をあるきます。コンクリートの道は、ここまで、ここから30分~40分歩くと 大熊城の山に入ります。
標識も立てましたが、目印は、大きな石が右側にあります。
薄暗い山中を尾根に向かって登ります。
城郭からの下は急峻出会うので注意して降ります。
(^-^)//""ぱちぱち 無事に下山そして大熊城攻略\(^o^)/