「最先端の科学技術で解明できないものを科学者は無視し続ける・答えを拒み続ける真の理由とは」単なる偶然とかとただそれだけで片付けます。
長文になります
私は芸術特にバッハを聴きこみました。(主に宗教音楽)廃盤になり、、そう聞くととお金がなくてもレコードを買い込みました。ご存知の通りバッハは音楽の父ですね。バッハ自身の生き方とか考え方、行動の仕方、発言の記録などにも興味がワクワク、、なんだかんだしているうちに全部聴いちゃいました^^そのレコード盤から得たものは①噓やごまかしでは今日まで持たない。②神様のためなら より良く、より素晴らしく尚且つ完璧な音楽以外を残さない③自分に噓はつかない、言ってみれば馬鹿正直、正直者であったと言える。
人間が作ったスチールメジャー これが今の科学の最先端というとすれば(世界人類みな同じ尺度を採用するという考え方や捉え方・計算上或は理論上という概念・結果の後付けを理論に適っているかの計算・・メカニズムの難解な方程式を解いたことだけで、これこそ真理であるが如くと結論付ける。奇跡や偶然がすごい数起きようがそれを無視し続ける)(私たちの分野以外であると言い切る)
神様の・・大変失礼とはおもいますが、神様の作ったスチールメジャーは何だと思いますか?推測ですけども、、、
私なりにですが、、それは世界人口分の個々のメジャーがあり 一つ一つメ・モ・リの大きさ(幅や長さ)が違う(一つ一つ尺度が違うメジャー) 尚且つその個々人の考えたこと思った事成したこと感情などをまるでHD記録物(ビデオ)としてあの世に帰った時 個々その人の今回の生まれてから今日までの記録を観させられる。
いい行いが多いものは天国へと・・こんな私でもいいんですかといいながら向かう
悪い行いが多いものは、、申し開きが出来ず自ら進んで地獄へと赴く
宗教にも様々な・・・古代からの宗教や信者が多い宗教また新興宗教様々です。また宗教間で争いも多いので私は・・自分なりに計算をして一歩置く・・或は自分では判断がつかないので・・、などを理由にして宗教から一歩置く そんな考え方が今の日本では主流です
果たしてどうでしょうか。現に なまえは申しませんが、ある種の新興宗教があり得ないような事件を起こしました。あれは何故かと申しますと日本人が宗教に再び目を覚ますと困る勢力からの攻撃と言い切れます。
「八百万の神のおわす日本を取り戻す」
許しがたい勢力が今の世にも生き続けている証です。それに腹黒い人間のもつ悪想念が加担して・・・
私は物凄く大きなマクロの巻き尺つまり、神様のスチールメジャーを信じます。
私は信仰者です。私の命はこの信仰により成立ち辛く厳しく耐えられない苦境でもそれが一条の光る暖かさと感じます。(人生の学習・魂の学習いわば人生の修行)
また信仰のためになら命を惜しみません。
______________________________________________。
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「芸術とは一切公平性も平等性もない」
今盛んにグローバルリズムからの脱却を求められている。
グローバリズムから生まれるものは障壁とか国境とか境とか、それら一切を無くして
世界を一つにしようという概念です。「人類みな兄弟」である。
共通言語は英語で統一し貨幣基準となる通貨はアメリカのU.Sドル
そのシステムで成功を収めたのは中国などの社会主義国だけであったことに対して
45代アメリカ大統領のトランプ氏は痛烈に批判しいるところですが、、、
芸術の神の目から見た場合 チョットおかしくなると私は思うのだ、
どこが
いけないと言えば
私は思うのである
私はバロック時代の巨匠 音楽の父 ヨハン・セバスティアン・バッハが大好きである。
バッハの音楽もさることながらその生き方信念自分が理想としていたものに惹かれるのであろう
バッハは幼いころから音楽には(芸術には)目がなく、ただ引き付けられるように兄父の決して見てはいけない楽譜を月明かりの下で写譜したり聖職会議のリーダーの皆様に強く一喝せれても残すべきものしか、、、やりたいものだけに自身の精力を注ぎ込み作り上げたいものに没頭した。
当然のことながら反発を招き人生がすったもんだの繰り返しだった、、、でも人生を終える瞬間は満ち足りたものであっただろうと思う。
今の世の中というものは変なもので、悪いことをして莫大な財を得る方も居られると聞く、
確かに財は多い方がいいに決まっているものだが心の中ではひけめが残るものだ
死ぐ間際には
きっと虚しさが回帰されるのだろうか?他人を犠牲にした発展繁栄を指します。
それはどうその人が受け止めることになるだろうという問題になるが。
簡単に言ってしまえば、バッハはそんんな生き方はしたくなかった人間である。
悪いことをしていくら配偶者が良き暮らしが出来たとしても、、、
自分の子供がいくら安定した暮らしが出来たとしても、、、、
肝心の自分がただ単に犠牲になっただけであるのだから。
幸福の科学大川隆法総裁は次のように述べられている。
心の指針「自由であるということ」
なんと幸福だ 自由であるということ
強き者と 弱き者
富める者と 貧しき者
賢き者と 賢さに劣る者 愚かなものに分かれてきた
そしていつしか
支配する側と 支配される側に区分されていった
自由が格差を作り
自由が格差を縮めようと 努力しているうちに
平等の欲求が忍び寄り
人はいつしか手鎖につながれている。
ああもう一度
自由をこの手にしたいものだ。
先入観や常識で
がんじがらめにされない状態に戻りたいものだ。
それは、
そんなに難しいことではない。
原因と結果の法則を受け入れることだ。
人間の複数性を受け入れることだ、人間に個性の違いがあることを受け入れることだ。
あくまでも
チャンスの平等こそ求めつづけ、世界に違いがあることを静かに
受け止めよう
私はわたしで
貴方はあなたなのだから。
それでいいではないか。
長文になります
私は芸術特にバッハを聴きこみました。(主に宗教音楽)廃盤になり、、そう聞くととお金がなくてもレコードを買い込みました。ご存知の通りバッハは音楽の父ですね。バッハ自身の生き方とか考え方、行動の仕方、発言の記録などにも興味がワクワク、、なんだかんだしているうちに全部聴いちゃいました^^そのレコード盤から得たものは①噓やごまかしでは今日まで持たない。②神様のためなら より良く、より素晴らしく尚且つ完璧な音楽以外を残さない③自分に噓はつかない、言ってみれば馬鹿正直、正直者であったと言える。
人間が作ったスチールメジャー これが今の科学の最先端というとすれば(世界人類みな同じ尺度を採用するという考え方や捉え方・計算上或は理論上という概念・結果の後付けを理論に適っているかの計算・・メカニズムの難解な方程式を解いたことだけで、これこそ真理であるが如くと結論付ける。奇跡や偶然がすごい数起きようがそれを無視し続ける)(私たちの分野以外であると言い切る)
神様の・・大変失礼とはおもいますが、神様の作ったスチールメジャーは何だと思いますか?推測ですけども、、、
私なりにですが、、それは世界人口分の個々のメジャーがあり 一つ一つメ・モ・リの大きさ(幅や長さ)が違う(一つ一つ尺度が違うメジャー) 尚且つその個々人の考えたこと思った事成したこと感情などをまるでHD記録物(ビデオ)としてあの世に帰った時 個々その人の今回の生まれてから今日までの記録を観させられる。
いい行いが多いものは天国へと・・こんな私でもいいんですかといいながら向かう
悪い行いが多いものは、、申し開きが出来ず自ら進んで地獄へと赴く
宗教にも様々な・・・古代からの宗教や信者が多い宗教また新興宗教様々です。また宗教間で争いも多いので私は・・自分なりに計算をして一歩置く・・或は自分では判断がつかないので・・、などを理由にして宗教から一歩置く そんな考え方が今の日本では主流です
果たしてどうでしょうか。現に なまえは申しませんが、ある種の新興宗教があり得ないような事件を起こしました。あれは何故かと申しますと日本人が宗教に再び目を覚ますと困る勢力からの攻撃と言い切れます。
「八百万の神のおわす日本を取り戻す」
許しがたい勢力が今の世にも生き続けている証です。それに腹黒い人間のもつ悪想念が加担して・・・
私は物凄く大きなマクロの巻き尺つまり、神様のスチールメジャーを信じます。
私は信仰者です。私の命はこの信仰により成立ち辛く厳しく耐えられない苦境でもそれが一条の光る暖かさと感じます。(人生の学習・魂の学習いわば人生の修行)
また信仰のためになら命を惜しみません。
______________________________________________。
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「芸術とは一切公平性も平等性もない」
今盛んにグローバルリズムからの脱却を求められている。
グローバリズムから生まれるものは障壁とか国境とか境とか、それら一切を無くして
世界を一つにしようという概念です。「人類みな兄弟」である。
共通言語は英語で統一し貨幣基準となる通貨はアメリカのU.Sドル
そのシステムで成功を収めたのは中国などの社会主義国だけであったことに対して
45代アメリカ大統領のトランプ氏は痛烈に批判しいるところですが、、、
芸術の神の目から見た場合 チョットおかしくなると私は思うのだ、
どこが
いけないと言えば
私は思うのである
私はバロック時代の巨匠 音楽の父 ヨハン・セバスティアン・バッハが大好きである。
バッハの音楽もさることながらその生き方信念自分が理想としていたものに惹かれるのであろう
バッハは幼いころから音楽には(芸術には)目がなく、ただ引き付けられるように兄父の決して見てはいけない楽譜を月明かりの下で写譜したり聖職会議のリーダーの皆様に強く一喝せれても残すべきものしか、、、やりたいものだけに自身の精力を注ぎ込み作り上げたいものに没頭した。
当然のことながら反発を招き人生がすったもんだの繰り返しだった、、、でも人生を終える瞬間は満ち足りたものであっただろうと思う。
今の世の中というものは変なもので、悪いことをして莫大な財を得る方も居られると聞く、
確かに財は多い方がいいに決まっているものだが心の中ではひけめが残るものだ
死ぐ間際には
きっと虚しさが回帰されるのだろうか?他人を犠牲にした発展繁栄を指します。
それはどうその人が受け止めることになるだろうという問題になるが。
簡単に言ってしまえば、バッハはそんんな生き方はしたくなかった人間である。
悪いことをしていくら配偶者が良き暮らしが出来たとしても、、、
自分の子供がいくら安定した暮らしが出来たとしても、、、、
肝心の自分がただ単に犠牲になっただけであるのだから。
幸福の科学大川隆法総裁は次のように述べられている。
心の指針「自由であるということ」
なんと幸福だ 自由であるということ
強き者と 弱き者
富める者と 貧しき者
賢き者と 賢さに劣る者 愚かなものに分かれてきた
そしていつしか
支配する側と 支配される側に区分されていった
自由が格差を作り
自由が格差を縮めようと 努力しているうちに
平等の欲求が忍び寄り
人はいつしか手鎖につながれている。
ああもう一度
自由をこの手にしたいものだ。
先入観や常識で
がんじがらめにされない状態に戻りたいものだ。
それは、
そんなに難しいことではない。
原因と結果の法則を受け入れることだ。
人間の複数性を受け入れることだ、人間に個性の違いがあることを受け入れることだ。
あくまでも
チャンスの平等こそ求めつづけ、世界に違いがあることを静かに
受け止めよう
私はわたしで
貴方はあなたなのだから。
それでいいではないか。
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