9月2日に我が家の愛犬トイプードルが14歳の誕生日を迎えました。
これまで大きな病気もせずに、平均寿命といわれる年齢になりました。
人間でいうと72歳くらい、シニア犬から高齢犬の仲間入り。
我が家に来たのは板橋時代でしたが、荒川の河川敷が主な散歩場所で、あの頃の写真を見るとほとんどが空中浮遊しています。
4本の足が地に着いていないんですね。
それほど走るのが好きでした。
その姿を見ていた近所の人が「プーちゃん、弾丸のように走っていたね」とよく言われたものです。
今はすっかり老齢な顔になってしまいましたが、小さい頃から最近までとても美男子でした。
「盗まれるんじゃないか」ということ「いつか骨折するんじゃないか」といつも心配していました。
人間に向かって吠えたことはただの一度もなく、すべての人に愛嬌をふりまきます。
その様は耳が聞こえなくなってしまった今も同じで「おいで」と手を差し伸べる人には、ちぎれるほど尻尾を振ってご挨拶に行きます。
白い毛なみなので目立ちませんが、たぶん今は白髪がたくさんあるのでしょう。
出会いは本当に偶然。
いつか犬を飼いたい、と思っていましたがその日は突然やってきた、という出会いでした。
いつものスーパーに買い物に行った時のことです。
併設されているペットショップに彼はいました。
女子高生の「きゃー、可愛い!」の声に反応してスカートの下に潜り込むの図。羨ましいと思ったのは勿論のことです。うちの愛犬は特に若い女子が大のお気に入りです。
当時15万前後していたトイプードルですが、5万円のプライスカードがケージにぶら下がっていました。
「特別提供品」とは書いてありませんでしたが。
その当時は白いトイプードルは人気がなくて、明らかに売れ残りの「ワゴンセール」のように通路に設置したケージに入れられていたのです。
この時は1月下旬で、産まれてからすでに5か月になろうかとしていた頃です。
嘆かわしいことですが、商品としての「旬」は過ぎていました。
クリスマスにはサンタのコスチュームを着て、愛嬌を振りまいていたそうです。
今が旬のワンコたちは2階建てのマンションのようなところに入っていて、店員さんに声をかけないと触れることはできません。
でも彼は違いました。
ペットショップにやってきた人が、触りたければ自由にケージに手を入れて触れることができました。
中には持ち上げて抱きしめるお客さんもたくさんいたでしょう。
我々夫婦もその中の二人でした。
この「通路のケージ」の特売セールが彼の性格を決定づけたと思っています。
つまり不特定多数の人たちに可愛がられたので「人間って全部の人が優しい」と彼のDNAに書き込まれたんじゃないかと思っています。
お昼頃に行ったスーパーですが、屋上に止めたクルマなかで「どうしようか、買っちゃおうか」「いや待てよ、もう一度確認しよう」と家族会議。
妻は「売れ残った犬は、動物園の猛獣の餌になるという話を聞いた」といいます。
(のちにテレビで放映していましたが、悪徳ブリーダーが扱っている犬たちはそういう運命になることもあるらしいです)
1階のペットショップと、屋上の駐車場を何回往復したでしょう。
そしていよいよ21時の閉店時刻が近づいてきました。
最後の決断。
「よし、売れ残っていたら我が家に連れ帰ろう」
と決心したのでした。
ケージやらご飯やらリード数種類、おもちゃの類。
そしてペット保険。
なんやかんやで12万円ほどかかりましたが「犬を買った」という意識はあまりありませんでした。
これは妻も一緒だったらしく、どちらかというと「授かった」とか「やって来た」といった方がぴったりくる感じでした。
それからの人生は彼がいたから、充実していたような気がします。
精神的にずいぶん助けられたことも多々あります。
まさに「天からの贈り物」でした。
犬や猫を飼っている方は誰でも同じだと思いますが「寝顔」や「しぐさ」に癒されたり、穏やかな気持ちになったり。
犬は小さいころから時間がたつにつれて、子供から友人、そして親友に変化します。
そして今は「同志」的な感覚ですね。
言葉を交わさなくてもお互いに何を考えているかわかる、と言ったら言い過ぎでしょうか?
人間の毎日のルーティーンを全部把握していますので、ソファから立ち上がっただけで彼は私の次に行う動作を予測します。
耳が聞こえなくなったのは、もしかしたら彼にとって幸せかもしれません。
嫌いな花火や雷、「緊急地震速報」のメロディーに慄かなくて済みます。
小さい頃は少しの揺れでも慌てていたのに、感覚が少し鈍ってきたのか地震そのものにも動じなくなりました。
人間同様、ある程度の歳になると「今が一番いい」と感じているかもしれません。
目も白くなってきて、時として目の前の「おやつ」も見つからないこともあるし、数年前から咳もするようになりました。
一日のほとんどの時間を「ぜーぜー」言いながら寝て過ごしています。
あれだけ走るのが好きだったのに、今は歩くことにさえ精いっぱいです。
あとどのくらい一緒にいられるかもしれないけど、できる限り一緒の時間を共有したいと思っています。
これまで大きな病気もせずに、平均寿命といわれる年齢になりました。
人間でいうと72歳くらい、シニア犬から高齢犬の仲間入り。
我が家に来たのは板橋時代でしたが、荒川の河川敷が主な散歩場所で、あの頃の写真を見るとほとんどが空中浮遊しています。
4本の足が地に着いていないんですね。
それほど走るのが好きでした。
その姿を見ていた近所の人が「プーちゃん、弾丸のように走っていたね」とよく言われたものです。
今はすっかり老齢な顔になってしまいましたが、小さい頃から最近までとても美男子でした。
「盗まれるんじゃないか」ということ「いつか骨折するんじゃないか」といつも心配していました。
人間に向かって吠えたことはただの一度もなく、すべての人に愛嬌をふりまきます。
その様は耳が聞こえなくなってしまった今も同じで「おいで」と手を差し伸べる人には、ちぎれるほど尻尾を振ってご挨拶に行きます。
白い毛なみなので目立ちませんが、たぶん今は白髪がたくさんあるのでしょう。
出会いは本当に偶然。
いつか犬を飼いたい、と思っていましたがその日は突然やってきた、という出会いでした。
いつものスーパーに買い物に行った時のことです。
併設されているペットショップに彼はいました。
女子高生の「きゃー、可愛い!」の声に反応してスカートの下に潜り込むの図。羨ましいと思ったのは勿論のことです。うちの愛犬は特に若い女子が大のお気に入りです。
当時15万前後していたトイプードルですが、5万円のプライスカードがケージにぶら下がっていました。
「特別提供品」とは書いてありませんでしたが。
その当時は白いトイプードルは人気がなくて、明らかに売れ残りの「ワゴンセール」のように通路に設置したケージに入れられていたのです。
この時は1月下旬で、産まれてからすでに5か月になろうかとしていた頃です。
嘆かわしいことですが、商品としての「旬」は過ぎていました。
クリスマスにはサンタのコスチュームを着て、愛嬌を振りまいていたそうです。
今が旬のワンコたちは2階建てのマンションのようなところに入っていて、店員さんに声をかけないと触れることはできません。
でも彼は違いました。
ペットショップにやってきた人が、触りたければ自由にケージに手を入れて触れることができました。
中には持ち上げて抱きしめるお客さんもたくさんいたでしょう。
我々夫婦もその中の二人でした。
この「通路のケージ」の特売セールが彼の性格を決定づけたと思っています。
つまり不特定多数の人たちに可愛がられたので「人間って全部の人が優しい」と彼のDNAに書き込まれたんじゃないかと思っています。
お昼頃に行ったスーパーですが、屋上に止めたクルマなかで「どうしようか、買っちゃおうか」「いや待てよ、もう一度確認しよう」と家族会議。
妻は「売れ残った犬は、動物園の猛獣の餌になるという話を聞いた」といいます。
(のちにテレビで放映していましたが、悪徳ブリーダーが扱っている犬たちはそういう運命になることもあるらしいです)
1階のペットショップと、屋上の駐車場を何回往復したでしょう。
そしていよいよ21時の閉店時刻が近づいてきました。
最後の決断。
「よし、売れ残っていたら我が家に連れ帰ろう」
と決心したのでした。
ケージやらご飯やらリード数種類、おもちゃの類。
そしてペット保険。
なんやかんやで12万円ほどかかりましたが「犬を買った」という意識はあまりありませんでした。
これは妻も一緒だったらしく、どちらかというと「授かった」とか「やって来た」といった方がぴったりくる感じでした。
それからの人生は彼がいたから、充実していたような気がします。
精神的にずいぶん助けられたことも多々あります。
まさに「天からの贈り物」でした。
犬や猫を飼っている方は誰でも同じだと思いますが「寝顔」や「しぐさ」に癒されたり、穏やかな気持ちになったり。
犬は小さいころから時間がたつにつれて、子供から友人、そして親友に変化します。
そして今は「同志」的な感覚ですね。
言葉を交わさなくてもお互いに何を考えているかわかる、と言ったら言い過ぎでしょうか?
人間の毎日のルーティーンを全部把握していますので、ソファから立ち上がっただけで彼は私の次に行う動作を予測します。
耳が聞こえなくなったのは、もしかしたら彼にとって幸せかもしれません。
嫌いな花火や雷、「緊急地震速報」のメロディーに慄かなくて済みます。
小さい頃は少しの揺れでも慌てていたのに、感覚が少し鈍ってきたのか地震そのものにも動じなくなりました。
人間同様、ある程度の歳になると「今が一番いい」と感じているかもしれません。
目も白くなってきて、時として目の前の「おやつ」も見つからないこともあるし、数年前から咳もするようになりました。
一日のほとんどの時間を「ぜーぜー」言いながら寝て過ごしています。
あれだけ走るのが好きだったのに、今は歩くことにさえ精いっぱいです。
あとどのくらい一緒にいられるかもしれないけど、できる限り一緒の時間を共有したいと思っています。