人間の子供は3歳までに一生分の親孝行をする、とか言われています。
親にとってみれば笑ったり、泣いたり、新しいことをどんどん覚えたり、手はかかるものの、よくぞ我が家に来てくれたって感じなのかな?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/93/ef1ee0ab0a94636cec8af4ef42ac013e.jpg)
板橋のマンションの玄関です。毛玉がたくさんできてしまって、トリミングに行ったらこんな状態にされてしまいました。まるで全身がパンチパーマ風です。余計に哀れさが出てしまいました。
プー助が我が家にやってきて間もない2歳か3歳のころ、夜になって妻の体調が悪くなって救急車を呼んだことがあります。
救急隊員が数人やってきて、ストラクチャーっていうのかな、キャスターの付いた搬送用のベッドを大きな音を立てて部屋に入ってきました。
その時のプー助の取った行動をはっきりと覚えています。
リビングで横になっている妻の傍らで心配そうに見ているプー助は、事の重大さに気が付いていました。
そこに制服を着た隊員が来たものだから、妻に対して何か良くないことをされると思ったのか、隊員と妻の間に入って近づかないようブロックしたのです。
正座(お座りの姿勢)をしているんですが、前足は大きく震えています。
吠えるわけではありませんが、その姿は・・・
「どんな事があっても、僕はお母さんを守るぞ」
と言わんばかりなのです。
病院へ搬送されましたが、プー助を残して私も一緒に病院へ。
その症状は大したことはなく、一応の処置をしてもらい数時間後の深夜に自宅に戻しました。
連れ去られたんだと思ってよほど心配だったんでしょう。至る所に嘔吐の跡が残っていました。
上の画像は板橋時代のものですが、千葉に移住して大腸に穴が開いて入院していた時も、ほとんどの時間、リビングで玄関の方を注視しながら寝そべっていたそうです。
このころは在宅勤務で、ほとんど家にいましたので帰る時間がわからなかったのだと思います。
今は3匹いますが、それぞれが元気と癒し、それにちょっとオーバーかもしれませんが生きるための勇気・示唆を私に与えてくれます。
だから犬はその人生(犬生)をかけてずっと、親孝行をしてくれています。
プー助も14歳を過ぎ、残念ながら老化を否めません。
3匹で散歩に出ても、一番歩みが遅くなりました。
板橋にいたころは走るのが大好きで、近所の人から・・
「プーちゃん、弾丸のように走っていたね」
と、よく言われました。
そんな姿を写に収めると、ほとんど”空中浮遊”していました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/8c/ad984612e0eeae5ba639a0bede3716f4.jpg)
防災担当をしていた時に、消防訓練の申請書を出しに赤坂消防署によく行きました。往路は地下鉄なんですが、帰路は気分転換のため歩いて帰ります。
青山墓地を突っ切ると近道なので、必ずここを通る道順を選びました。
上野博士と一緒に静かに眠っています。
今は、一緒にいる時間を大切にしています。
出来れば板橋に住んでいた場所をもう一度見せたいのですが、たぶん車で遠出は体力的にきついと思います。
それでも毎日違った場所へ車で散歩に連れて行っています。
少しでも刺激があった方がいいかな?と思って。
親にとってみれば笑ったり、泣いたり、新しいことをどんどん覚えたり、手はかかるものの、よくぞ我が家に来てくれたって感じなのかな?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/93/ef1ee0ab0a94636cec8af4ef42ac013e.jpg)
板橋のマンションの玄関です。毛玉がたくさんできてしまって、トリミングに行ったらこんな状態にされてしまいました。まるで全身がパンチパーマ風です。余計に哀れさが出てしまいました。
プー助が我が家にやってきて間もない2歳か3歳のころ、夜になって妻の体調が悪くなって救急車を呼んだことがあります。
救急隊員が数人やってきて、ストラクチャーっていうのかな、キャスターの付いた搬送用のベッドを大きな音を立てて部屋に入ってきました。
その時のプー助の取った行動をはっきりと覚えています。
リビングで横になっている妻の傍らで心配そうに見ているプー助は、事の重大さに気が付いていました。
そこに制服を着た隊員が来たものだから、妻に対して何か良くないことをされると思ったのか、隊員と妻の間に入って近づかないようブロックしたのです。
正座(お座りの姿勢)をしているんですが、前足は大きく震えています。
吠えるわけではありませんが、その姿は・・・
「どんな事があっても、僕はお母さんを守るぞ」
と言わんばかりなのです。
病院へ搬送されましたが、プー助を残して私も一緒に病院へ。
その症状は大したことはなく、一応の処置をしてもらい数時間後の深夜に自宅に戻しました。
連れ去られたんだと思ってよほど心配だったんでしょう。至る所に嘔吐の跡が残っていました。
上の画像は板橋時代のものですが、千葉に移住して大腸に穴が開いて入院していた時も、ほとんどの時間、リビングで玄関の方を注視しながら寝そべっていたそうです。
このころは在宅勤務で、ほとんど家にいましたので帰る時間がわからなかったのだと思います。
今は3匹いますが、それぞれが元気と癒し、それにちょっとオーバーかもしれませんが生きるための勇気・示唆を私に与えてくれます。
だから犬はその人生(犬生)をかけてずっと、親孝行をしてくれています。
プー助も14歳を過ぎ、残念ながら老化を否めません。
3匹で散歩に出ても、一番歩みが遅くなりました。
板橋にいたころは走るのが大好きで、近所の人から・・
「プーちゃん、弾丸のように走っていたね」
と、よく言われました。
そんな姿を写に収めると、ほとんど”空中浮遊”していました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/8c/ad984612e0eeae5ba639a0bede3716f4.jpg)
防災担当をしていた時に、消防訓練の申請書を出しに赤坂消防署によく行きました。往路は地下鉄なんですが、帰路は気分転換のため歩いて帰ります。
青山墓地を突っ切ると近道なので、必ずここを通る道順を選びました。
上野博士と一緒に静かに眠っています。
今は、一緒にいる時間を大切にしています。
出来れば板橋に住んでいた場所をもう一度見せたいのですが、たぶん車で遠出は体力的にきついと思います。
それでも毎日違った場所へ車で散歩に連れて行っています。
少しでも刺激があった方がいいかな?と思って。