おひとり様てるこの日記

てることいいます。50歳過ぎましたが気ままに生きてます。人生の危機感ゼロ。

リコンの時のこどもの気持ち1

2020-02-20 21:16:00 | 日記
時々ふと「母は今元気なんだろうか?」と
思うことがある。私が小学生の時に両親が離婚して約40年。会わなくなって何十年になるだろう?最後に母の声だけを聞いたのが、20代前半くらいだったかな?

離婚の原因はたぶん嫁姑問題だと思う。母はだいぶ気を遣っていたけれど、気難しい祖母とは合わなかったのは、小学生の目から見てもよくわかった。

今の家を買いローンを払うために、両親は共働きをすることにした。母は結婚する前は看護師をしていた。結婚してからはずっと専業主婦だったけれど、また看護師に戻ることになった。私たちが子供の頃はまだまだ今より平和だったのだから、私と弟なんて学童保育に放り込んでくれればよかったのに、父は一人暮らしをしていた祖母をわざわざ呼び寄せた。母と気が合わないのはわかっていたのに。

たぶん、母は祖母と一緒に暮らすのはものすごく嫌だったんだと思う。新しい家に引っ越す直前は夫婦喧嘩が多かった。

で、結局引っ越してから半年後に離婚することになった。原因は祖母だけではない。母にも原因はあった。母は再び看護師として働き始めた時に、何故かアマチュア劇団に入ってしまった。久しぶりに働き始めて何かが弾けてしまったのか、子供心にも意味がわからなかった。そして、なんとある夜、引っ越したばかりの新居に劇団の人たちを10人ほど連れて来て、台詞の練習を始めてしまったのだ。祖母はこれに激怒し、それが離婚の一因になった。

それと、もう一つ。母は勤めていた病院の患者さんに祖母の悪口を言ってしまった。軽い気持ちだったのだろう。うちの義母も大変なんですよーくらいの。しかしそのせいで、ある事件が起こった。詳しくは言えないけれど、それでまたもや祖母が激怒してしまった。

ある日小学校から帰って来たら、まだ日が高いというのに母に風呂に入ろうと言われた。その頃はもう私は一人で入っていたのに。母と二人、久しぶりにいろいろと話しながら入った記憶がある。その時に母が急に「お父さんとお母さんはしばらく離れて暮らすことにした」という話をし始めた。

小学生の私にはピンとこなかった。ただ離れて暮らすだけなのだ。いつかまた母は帰って来るに違いないと私は思った。ほとぼりが冷めたらきっと母は帰ってくる。しかし、次の日に母は小さな段ボール箱を数個、大事にしていた文机一つを運び出すと、それっきり家の敷居を跨ぐことはなかった。

それから何度か母に会った。友達なのか彼氏なのか男性と一緒のこともあった。母と会うと今までは絶対に買ってもらえなかったおもちゃや漫画を買ってくれたので、私と弟は母と会うのが楽しみだったのだが、ある日突然祖母にもう母と会ってはいけない、と言われた。

それは、弟が「おじさんと一緒だった」と言ってしまってからだった。そのせいかどうかははっきりとは分からないが、「お母さんは浮気していたのよ!」と強い口調で祖母に言われた。子供にそんなこと言うかなあ(笑)

母と会えなくなるのはショックだったが、正直ホッとしていた部分もあった。なぜならば、母と会って帰ってくると、祖母の機嫌がものすごく悪くて、なんとなく後ろめたい気がしていたのだ。そこから家では母の話はタブーになった。

そこからしばらく母と会うことはなかった。後で聞いたところによると、父は母をどこかの喫茶店に呼び出し、子供たちに会わないで欲しいと告げたところ、母に水をかけられたそうだ。

中学生になってからのこと。吹奏楽部に入り、土曜日の放課後も部活で忙しくなったていたある土曜日、授業を終えてから部活の前に近所のスーパーにあるパン屋に部員達と昼食を買いに出かけた。買い物をして帰ってきて校門に入ろうとすると、後ろから声をかけられた。

振り向くと、そこには引っ越す前に住んでいた団地で隣の家に住んでいたおばさんが立っていた。「今、ちょっといい?」おばさんが言った途端に私は母だ!と直感した。私の不穏な感じを察してくれたのか、友人が「今、急いでるんです!」と私の手を引いて校舎まで一緒に走ってくれた。

走りながらチラッと振り返って見ると、植え込みの陰にいる母がこちらを見ていた。しばらく経って、もう帰っただろうとトイレに行くふりをして廊下の窓から外を見ると、二人は校門から道路を隔てた向こう側の植え込みに体を隠すようにして、私を待っていた。

夕方になってもう一度覗いて見ると、もう姿は見えなかったが、念のため帰りは校門とは反対側のグラウンドを横切った場所にある門から出た。このことはもちろん、祖母と父には言わなかった。言ったら最後、心配症の祖母が騒ぎ出して学校まで付いてくると言い出すかもしれない。その前にせっかく一応平和になりつつある我が家の空気を壊すかもしれない。

私は母を鬱陶しく思い始めていた。祖母は漸く私と弟にガミガミと言わなくなりつつあり、私たちも祖母のやり方に慣れていっていた頃だった。

子供は住む場所を自分で選べない。引き取られたその場所に合わせて生きていくしかない。祖母に従わなければ私たちは嫌われて、そしてもし祖母が出ていけば父が仕事に行っている間、誰も面倒を見てくれない。空気を悪くしたら私と弟の居場所が無くなる。

そして母はいろいろな人を巻き込んで私たちに会おうとした。   

つづく