おひとり様てるこの日記

てることいいます。50歳過ぎましたが気ままに生きてます。人生の危機感ゼロ。

ちょっと介護2 老健施設に見学に行った

2019-11-05 20:48:00 | 日記
さて、入院したての父がせん妄でまだすっとぼけたことを言ってるときに、病院のソーシャルワーカーさんがやってきた。父の今後のことの相談にのってくれるという。

父がもしこのまま歩けなければ、リハビリをやらなければいけないし、もし歩けないままならば今のエレベーターがないマンションから引っ越さなければいけないだろう、とメガネをかけたもう中学生に似たソーシャルワーカーさんは言った。入院したばかりなのに、突然そんなことを言われても、と私はよく分からなくなった。

ちょっと何言ってるかわかんないって喉まで出かけたが、つまり先の先のことまでもう考えとけって言ってるんだなと、思い直した。引越し!!人生3回目の引越しになるのか。1回目は赤子だったから覚えてないけど。その夜、早速スマホでSUUMOに登録してみた。条件を入れて探すと、案外うちの近くにも賃貸物件はたくさんあった。

しばらくそれらの見取り図を見ながら、父と二人その部屋に暮らすことを想像した。車椅子に座った父とそれを押す私。デイサービスに行く父を見送る私。CATVとBSが見られるならばいいかなあ。オートロックがいいかも。2部屋くらいあれば十分か。エアコンと冷蔵庫と洗濯機はうちから持って行こう。ベランダは南側かな。ハッと気付いたら数時間経っていた。SUUMO楽しい!

さて、もう中学生(似)に教えてもらったケアセンターに、相談に行くことにした。そこは自宅から近く、スーパーに行くときに前を通る養護老人ホームの中にあった。前回のブログに書いたが、車を運転するしか役に立たない弟と嫁を呼び出し、一緒に行ってもらうことにした。

約束した時間よりずっと早く着いてしまったので、デイサービスに来ているらしきご老人の皆様を遠くから遠慮気味に眺めた。何か合唱しているようだ。昭和歌謡っぽいな。体操をしている人もいる。そっと弟を見ると、弟も私を見ていて目が合った。「お父さんには無理」と目で話し合った。
集団行動が嫌いで、飲み仲間以外は同世代が大嫌いな父なのだ。つまりひねくれ者。

しばらくして事務所から女性が出てきて、事務所の中に案内され、私より少し年上の女性Sさんが私たちを迎えてくれた。ちょっと緊張気味の私たちに優しく介護関係の説明をしてくれた。こちらもその優しい雰囲気に釣られて、プライベートな悩みを相談した。やはりここでも、もし父が歩けなくなったらという最悪のことを考えて、いろいろとある民間のリハビリ教室などを教えてくれた。

そこを出て、普段人見知りな私がペラペラと初めて会う人に父についての悩みを打ち明けてしまったことに気付いて、我ながらびっくりした。もし介護することになれば、初めてのことばかりだから誰かに教えて欲しい。しかし、最初の知識を誰から教えてもらったらいいかわからなかった。Sさんはそんな私の不安を一掃してくれた。

そして、介護認定をSさんを通じて申し込んだ。そんなことまでSさんはしてくれるのだ。因みに父はまだせん妄でボケていて、しかもまだ歩けない時だったので、要介護4になってしまった。父の姉、伯母によると伯母は要介護2だったのが今は要支援2になったらしい。そういうこともあるんだな。

それから、もう一つ、もう中学生(似)の紹介で行ったところがあった。それは老人保健施設だ。三ヶ月間、そこに住みながらリハビリをするのだ。そこは自宅から自転車で40分くらいの場所。今の家に引越しで来る前に住んでいた家のすぐ近くだった。早速電話で予約をして、またもや弟に車を運転させて、見学に行った。

着いてびっくり!すごーく豪華などこのお金持ちの家だろう?と思うくらい、立派な建物だった。もちろん、中も豪華な感じ。まだ新しいらしい。一階の広いフロアでは、父と同じくらいの年齢の人たちがリハビリに取り組んでいた。なかなか立派な設備だ。11時過ぎに行ったので、食堂では食事を待つ人たちがおとなしくテーブルについていた。

ちょっと気になったのは、みんなおとなしい。誰も喋っている人がいない。というか無表情だな。こういうの、父は苦手なんだよなーと少し気になった。

居住用の部屋は個室か4人部屋で、もちろん個室は高いので4人部屋を考えていた。部屋は広くて4人でも十分プライバシーは保たれている。それぞれカーテンで仕切られ、枕元には低いタンス。入り口付近にはひとりひとりのためのクローゼットもある。テレビも使用料を支払えば、貸してもらえる。床屋さんが来てくれて、もちろん病院にも必要なら連れて行ってくれる。

携帯電話は施設に預けて、必要な時だけ渡される。就寝は19時…早くないですか!?
と、後でケアセンターのSさんに聞いたら、たぶん消灯は21時くらいなのでそれまでは自由時間だろうと言っていた。携帯電話は預けてしまうのか…。

実は父は入院するまで父は携帯電話を持ったことがなく、最初は歩くのが困難だったため、携帯電話を買ってあげた。父はなんとか使い方を覚えて、一日に何回もこちらが仕事中だろうが構わずかけてきた。たぶん、初めての長い入院で寂しくて、不安だったんだと思う。そんな父が、果たして携帯電話を始終持てない状況に我慢できるのだろうか。

しかし、その当時の父はリハビリが必要だったし、どこまで良くなるのかわからなかったし、病院でのリハビリだけでは専門ではないから専門の施設に入った方がいいと言われていたし、施設の場所が家から自転車で行けるし、多少お金がかかってもいいからこちらにお世話になりたいと、私の中で8割ほど決まっていた。だから、その直後に自転車も買ったのだった。着替えをたくさん持って行くために、大きいカゴを荷台に付けた。

施設見学の帰り道、弟夫婦とスシローに行き、私の奢りだから好きなだけ食べなさい!と言いながらトロやサーモンやチーズケーキを食べ、嫁は寿司をつまみにビールを飲み、そして弟はイクラ巻きをつまみにウーロン茶を飲みながら、3人であの施設いいよねーと言い合った。が、本当はみんなあまり納得してないような、なんか複雑な空気だった。

さらにその後、ホームセンターで普通のスーパーにはない洗剤の巨大な詰め替えを買い、弟の車で運んでもらいながら、やっぱり納得しなくてもリハビリして欲しいから、あそこに入ってもらうしかないかなあとぼんやりと考えていた。

ガラリと話が変わるが、せん妄中でも父の記憶力は凄かった。入院前に飲みに行く約束をしていた父の友達にお断りの電話をするために、電話番号を書いてある手帳のありかを聞いた。すると父は「〇〇さんは090の…」と何も見ないで言い出した。それから生命保険のおばさんの電話番号も何も見ないでスラスラと言った。昔から数字を覚えるのが得意だったけど、せん妄中でもその能力は失われないものなんだなと感心したのだった。

つづく。








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