糸山志泉〜展示のご案内など

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過去記事では武蔵美通信についても書いてます。

桜と春の紅色〜花会にて

2021-03-26 06:42:07 | 日記
 


 

杉謙太郎先生の桜を初めてみたのは山本源太さんのお宅でした。

建物内のお気に入りの場所や差し込む光にくまなく桜が添えられた光景は、あれもこれもと気がはやる桜の心のようでそれもまた好ましくひとつひとつゆっくり拝見しました。好きな光を同じようにみている人がこの世に存在するのだと感じられただけで幸せな気持ちになったのを今でも覚えております。

いつかご縁があればお会いするのだろうと思った、そんな出来事から約10年経ち、昨春知人からご案内をいただき、知人がとても勧めてくださったのもあり、伺ったのが楠森堂河北家住宅での杉先生の花会でした。お花と御邸宅とお庭から、そして杉先生とお話したことで、その時の私に必要なメッセージとご縁をいただいたのもまた昨日のことのようです。

その後、杉先生はずっと土と器について深める日々を送られていたそうです。

約1年間取り組まれたものがちょうど杉工場にて展示中です(〜4/10)。

(先日この会場で行われた花会にも参加させていただき、その時の感想はnoteに記しました。https://note.com/shizuitoyama/n/nc3126a739cf4 )

 

 

一方私自身は昨春から何をしていたのかというと、『赤』『紅』という色についての学びを深めて参りました。この色に興味を持ったきっかけは昨春の花会でみせていただいた薔薇の真紅の世界からでした。昨秋、江戸時代にも使われていた紅の染料を用いた作品を展示したのをきっかけに、紅という色を意識して取り入れるような試みを繰り返しておりました。

後から考えれば、この赤という色には前に出る力だけでなく、もっとマイナスの強いエネルギーを巻き込むような強さもあって、きっと私はそんなマイナスのイメージに蓋をしておきたかったから今まで使わずに生きてきたのかもしれません。つい最近出会ったのは怒りが爆発するかのような闇の赤、全てを焼き尽くす不動明王の炎の赤、滅する危険を知らせる警告の赤、そして、心や体に深い傷を負った時に、この赤い色をみるとどんな感情が心の中で生まれるのか、そんなことを体感する日々でした。想像を遥かに超えた強い力に、赤い絵具を平常心で使えるまでには戻れず、としくらえみさんの芸術療法で青色の癒しをとりいれて何とか暮らしておりました。『紅』といえば紅型染の要の色でもあり、使わずに仕事を進めるわけにはいかないので完全に世界は止まっておりました。

花の持つ『紅』は絵画での『紅色』とはまた世界が変わるのもよかったのか、先日の花会で花器に丁寧に入れられていく春の様々な紅色が私の心の中まで整えていったようで、終わる頃には心に負った傷も癒えて自然な気持ちで色を受け入れられるようになりました。

 


この花会では桜もまた重要な役割を果たしていました。静かに眺める中で自分自身と桜との心地良い距離をみつけられたのも大切な変化でした。母が桜の美しい頃に亡くなったこともあり、桜を見て純粋に喜んだり楽しい気持ちにはなれない自分がどこかに居て、それでも一斉に花開く力強さに勇気付けられる、というのが今までの桜でした。

今年は13回忌、そんなに月日が経ったなんて、13回も桜をみたのかな、というのが率直な感想です。

13回も悲しかったのかな。

今年も来年もずっとやっぱり悲しいのだと思います。

その悲しみは今回の花会で無数の星々となって散りゆき、ただ終わりを迎えるのでしょう。

それでも桜が銀河にみえてからは、純粋にその美しさを受け入れられるのだなあと感じました。

 

春は生まれる季節。

数え切れないくらいのきっかけをいただいて、溢れるのは感謝ばかりです。

自然の営みとともに、まずは秋を迎えるまでひとつずつ形にしていけたならと思います。

 



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