楽善な日々

新社会人となった楽と、大学生善、おとん、そしておかんの日々を綴ります。新しい街に引っ越して、新しいスタートを切りました。

ある一生

2022年07月05日 | 2022年日記
窓から吹き込む雨まじりの風を感じながら、
今日も「森本哲郎 世界への旅 9」
を読み進めていた。
今日のテーマは人生の四期。

インドの人たちは昔から人生を四期に分けて考えてきたそうな。
必要な知識を習得する「学習期」
一人前となり家族のために働く「家住期」
子供たちが独立し、ゆったりとした森の中の住まいに移り住む「林住期」
夫婦で聖地を巡礼して歩く「遊行期」

私は今、どの辺りにいるのだろう。
介護のために仕事を辞めて、家ではヨガや瞑想をし始め、もっと勉強してみたいことを探し始めた人生のポイントは「林住期」なのかしら。
いや、子供たちはまだ独立していないのだから、まだ「家住期」。
もう少し頑張っていこう。

人生の四期のことを考えていたら、
家族の一人を思い出した。

中学生のころ、私はアメリカに住んでいて、
そこで家族のメンバーが一人増えた。
ラブラドールレトリバーの「スック」だ。
日本にも一緒に帰国して、私が働き始めるまで一緒に過ごした。

犬は人よりも7倍も早く年齢を重ねていくそうな。
なので、スックは私に、彼の人生の四期を全部見せてくれた。

「学習期」はひどかった。
小さなスックは、幼いながらも家族を観察してランクづけをしたようだ。
どうやら私は最下位となったらしい。

スックは、若さが爆発する弾丸のように私の部屋にやってくる。
私をからかいに。
狙うのは靴下。
靴下を噛んで引っ張ると、咥えたままぐるぐる走り回る。
「スックやめて~」
と叫びつつ、私は引っ張られて、床の上をぐるぐる回る。
隙あらばちょっかいを仕掛けようと、やつはいつも狙っていた。

いたずらをして窮地に陥ったときも、
唯一怒らない存在、私のもとにやってくる。
ある日、ものすごく困ったような上目遣いで部屋に来た。
その口元には空き缶がぶら下がっている。
ドッグフードの空き缶を見つけて舐めようとしたら、
舌に、缶のふたのぎざぎざが刺さってしまったのだ。
あまりのことに私も卒倒しそうになったけれど、
ぐっと我慢して、抜いてあげた。
血はすぐに収まったけれど、舌に傷が残った。
「誰にも言わないで」
みたいな目で見るけれど、血も出ているし、言わないわけにはいかない。
後でこっぴどく怒られていた。

蜂に耳を刺されたときも、私に見せにきた。
耳が腫れて重くなっているものだから、頭が重い方に傾いていた。
どうしましょう、という顔で私の部屋にやってきた。
そのうち昼寝を始めたのだけれど、
寝返りを打って、腫れたほうの耳が下になってしまうと、
「キャン」
と一声痛がっていた。

私をからかって遊んだり、失敗してこっぴどく怒られたりして、
スックの「学習期」は過ぎて行った。

「家住期」のスックは、頼りになる存在へと成長していた。
毎日元気よく川沿いの土手に散歩に出かけ、河原には友達がたくさんいた。
中でもすごい友達は、ドーベルマンの兄弟だった。
スックを見ると、喜んで近づいてくる。
スックは人気者だ。
河原で野球のボールを見つけては、咥えて持ってくる。
投げてあげると喜んで拾いに行き、また持ってくる。
拾ったボールを集めて、野球チームに寄付したこともあったっけ。

「林住期」のスックは目つきが違ってきた。
私にちょっかいを仕掛けていた頃のやんちゃな瞳ではなく、
何か人生を達観したような落ち着き払った目になっていた。
仙人みたいな瞳。
スックの隣にいると心がほっとした。

「遊行期」のスックは、聖地巡礼などはしていないけれど、
家族の心の聖地のような存在の、おじいさん犬になっていた。
病気を患って、歩きにくくなっていたけれど、
大きな存在感でそこにいてくれた。

大学を卒業した私は、新米教師として働き始めた。
その日は日直で、校内を見て回り、窓の施錠を確かめる仕事があった。
仲良しの若い先生たち数人が待っていてくれて、
私の日直仕事が終わったら、ケーキを食べて帰ることになっていた。
さて、見回ろうかという瞬間、
急にお腹が差し込むように痛くなった。
「なんで?」
見回らないといけないのに、困ったな、と時計を見て時間を確認した。
見回りは待っていてくれた先生たちが代わりにしてくれた。
痛くなくなるまでソファーで休もうと横になると、
急に痛くなったのと同じくらい、急に痛みが引いていった。
一体、なんだったのだろう。

帰宅すると悲しい知らせが待っていた。
スックが亡くなった。
母と弟が見守る中、
スックの目の光がすうっと消えていったそうな。
静かな静かな最期だったらしい。

亡くなった時間を聞いた時、
鳥肌がたった。
私が急に動けなくなった、ちょうどその時間だった。
「おかんちゃん、もう行くよ」
と知らせてくれたのだと思う。

人生の四期を駆け抜けていって、
私に立派な生きざまを見せてくれた家族。
弟だったくせに、
あっという間に人生の先輩のようになっていったスック。
スックの仙人のような瞳を思い出す。
私もいつかはそんな瞳になれるのだろうか。

人生の四期について考えを巡らせていたら、
大事な家族のことを思い出した。

7月5日    おかん





最新の画像もっと見る

コメントを投稿