楽善な日々

新社会人となった楽と、大学生善、おとん、そしておかんの日々を綴ります。新しい街に引っ越して、新しいスタートを切りました。

「オール・ノット」 柚木麻子著  (読書感想)

2023年07月31日 | 読書
オール・ノットのパールのネックレスは
パールの一粒一粒を一回一回しっかり結んで作られている。
だから、糸が切れてもバラバラにほどけていかない。

この本には不器用な女性たちが何人も出てくる。
嘘があったり、妬みがあったり、苦労があったり、失敗があったり、
綺麗ではない生々しい感情や生き様がたくさんでてくる。

それでも、登場人物のひとりひとりが魅力的に見えるのは、
彼女たちが弱いところを見せながらも、
力強く生きて、人生を前に前に進んでいっているからだろうか。
そして彼女たちの結びつきが宝石みたいに輝いているからだろうか。

特別な出会いだと思っていたのに、
何かのきっかけでプツンと切れてしまう人間関係もある。
でも、
心を通わせたと思った瞬間があれば、その瞬間から、
人と人はオール・ノットの技巧で結ばれているのかもしれない。

ネックレスの輪が切れてしまっても
人と人はどこかでつながり、バラバラにならない。
心の中で思い続けているだけでも、
その人の人生に大きく大きく関わっているわけなのだから。
その人の残した言葉やしぐさから
たくさんの影響を受けて人は変化していくのだから。

転勤族で日本の各地で暮らしてきた私には
たぶん再会することもないだろう人間関係がたくさんある。
連絡することも会うこともないのだろうけれど、
そんな出会いがあって今の私があると思っている。
私のことは忘れられてしまっているかもしれないけれど、
私の中にはその人たちとの日々が生きていて、
私の歴史になっている。

出会いは、
人の歴史となるくらい強い結びつきだ。
絆とは、
断とうとしても断ちきれない結びつきのこと。
きっとどの出会いもオール・ノットの技巧で結ばれている。


7月31日   おかん




暇を満喫

2023年07月30日 | 2023年日記
今日は家族が出払って、
ぽつんとひとり過ごしている。

にんまり。

掃除をしながら
何をしようか色々と考えていた。
ガラスペンで新しいインクを使ってみたい。
Netflixで見たいドラマもある。
買ってきた新しいビーズがあるからブレスレットを作りたい。
自由っていいなあ。

あれこれ考えて、
今日一日することを決めた。
こんな暇な日は、暇について考えてみよう。

半分読みかけの
「暇と退屈の倫理学」國分功一郎著
を最後まで読んでみよう。

ハイデガーの退屈論によると、
「私たちは退屈する。自由であるが故に退屈する。
 退屈するということは、自由であるということだ」

人間にとっては「なんとなく退屈」という感情は
本当に恐ろしいものなのだそうだ。
その感情から逃れるように「気晴らし」が考案される。
ただその気晴らしの最中に「退屈」してしまうこともある。
パーティーに出席したけど、なんとなく退屈だなあ、なんて。
パーティーは「退屈」から逃れるための「気晴らし」なのに。

ラッセルの退屈論によると、
「退屈とは、事件が起こることを望む気持ちが
 くじかれたものである」
「『事件』とは、今日を昨日から区別してくれるもののことである」

退屈を回避したくて事件を求める人間は、
自分が不幸になることすら求めてしまうらしい。
何か事件が起きてくれると退屈からは逃れられる。

「退屈の反対は快楽ではなく、興奮である」

退屈とはややこしい。

自由な今日この一日、
暇と退屈について考えてみよう。

「退屈」から逃れるための「気晴らし」になるかな。

7月30日   おかん


小さな幸せ

2023年07月29日 | 2023年日記
ケツメイシの「小さな幸せ」という歌に
「小さな幸せは きっと大きな幸せだ」
という歌詞がある。

蔓も伸びていないのに咲きだした朝顔に驚いて
カメラ片手に植木鉢の周りをぐるぐるまわる。

帰省した娘と息子がそれぞれの部屋で
両手を万歳にして寝ているのを見て
くすくす笑いがこみ上げる。

美味しいメロンを頂いて、
思いつくままに種を水に浸してみたところ
すぐにたくさん発芽して大騒ぎ。

干した野菜をお味噌汁に入れてみたら
食べ応えがあって大満足。

庭の葉っぱを食い散らかすショウリョウバッタには
困ったものだけど、
草木に水をあげるたびに慌ててぴょんぴょん逃げていく様子が
とてもかわいくて憎めない。

楽が帰省して、家族が勢ぞろいした午後、
居間で各自がてんでばらばらにくつろぐひととき。

雑草を採りに家の裏に回ったら、
紫色の三つ葉がいつのまにか生えていて
可憐なピンクの花を咲かせていた。

大きな出来事なんてほとんどない
平凡な毎日だけど
小さな幸せが散らばっていて
心和む一瞬があったりする。

ケツメイシの歌にこんな歌詞もある。

「多く望むのバチ当たりかもな
 これだけあったら幸せだよな」

私も同感。


7月29日   おかん


「とわの庭」 小川糸 (読書感想)

2023年07月28日 | 読書
盲目の少女とわの壮絶な人生のお話。

始まりは「とわのあい」で結ばれた母との幸せな時間。
とわが楽しめるようにと、母は香りの木々を庭に植えていた。
四季折々の香り漂うその庭は「とわの庭」と呼ばれた。
庭に集まる黒歌鳥の声で朝が来たことを知り、
とわの庭の木々の香りで季節を知り、
外に出ることなく、母と二人の世界で安心して暮らす盲目のとわ。

でも、いつしか人生は横道にそれていき、
壮絶な孤独と飢餓がやってくる。
ゴミに埋まった部屋で、必死に食べられるものを探すとわ。
やっと見つけた、柑橘系の香りのするグミは、
幸せの時代に母からもらった消しゴムだった。

それでも生き延びたとわは、
いっぽ。にほ。さんぽ。
「とわの庭」を抜けて、外の世界へと出ていく。

人生の再生の物語。
許しの物語。
愛の形の物語でもある。

瀬戸内寂聴さんの「般若心経」の本を読んだとき
こんな文があった。

「私たちは真実を、それがいかに辛くとも、
 いかに残酷であろうとも、やっぱり真実として
 受け止めなきゃいけないんですね。
 そしてそれを受け止めたうえで、
 そこからもう一度生きなおす。
 そうすれば生きる勇気も湧いてくると思います」

とわは、人生を受け止めて、生きなおして、
こんなセリフを言っている。

「幸せだねえ」
「生きているって、すごいことなんだねえ」

「一瞬一瞬が奇跡の連続なのだ」
「だから、今この時を謳歌しなくちゃ」

母と子の愛は複雑にからまって
簡単にはほどけない。
ぐちゃぐちゃにからまって
切っちゃったほうがいいのかなと
思うときもあるけれど、
思いもかけない瞬間に、綺麗な愛の形が見えたりもする。
母でもあり、子でもある私は、
そんな愛にからまりながらも
日々生きている。


7月28日    おかん

猛暑の中を歩けば

2023年07月27日 | 2023年日記
アブラゼミのジジジジの鳴き声と
ミンミンゼミのミーンミンミンの鳴き声。
うまい具合に混ざり合い大合唱している。
太陽がじりじり頭を照り付ける。

猛暑の中、道端に立って思う。
駅までたどり着けなさそうだ。
外出の予定をキャンセルしてしまおうか。
ちらっと家の方を振り返ったりして。

それでも一歩を踏み出す。
まずは一歩。

一歩の力はすごい。
一歩踏み出すごとに駅にちょっと近づく。
一歩一歩と目標に近づいていく。
脚を踏み出すごとに、ゴールが近づいてくる。

人生もこんな感じなのだろうか。
一歩踏み出すごとに人生の目標へと近づくのか。
一体全体、人生のゴールってなんだろう。
「死」がゴールなのだろうか。
でも、「死」は自分で実感することができない。
「死」がやってくるときは、もう「私」はいないのだから。
だから、「死」が人生の目標となるとちょっと変だ。
では、人生の目標ってなんだろう。

「・・・・」

しばらく歩く。一歩一歩進む。
日傘をさしても、頭上の暑さがよくわかる。
まずはもう一歩。

人生の目標は、実はないのではないだろうか。
こうして、一歩一歩と進むことが人生そのものなのかもしれない。
進んでいるうちに、過去の自分とはずっと違う自分へと変化していて、
後ろを振り返って過去に戻りたいと思っても、
その頃の自分はどこにもいない。
今のこの一歩が私そのもので、
一歩一歩を重ねていくことが人生なのだ。

一歩の力はすごい。
あまりの暑さに朦朧と
あれこれ考え事をしていたら、
いつの間にか駅に到着していた。

猛暑の中を歩けば、
人生哲学さえ考察してしまうのだった。

7月27日   おかん