日々あらた

日々の生活のなかで経験したこと、感じたことや思ったこと、旅の記憶などを記していきます。

死生観の違い

2023-12-15 07:38:38 | 日記
義母が他界して3週間。
義父とともに義母の様々な手続きのために久留米に帰省していた嫁さんも戻ってきて、ようやく我が家の日常が戻ってきました。
ほんと今年の後半は波乱に満ちた半年でしたね😅
でもとても濃い時間を過ごせました。
すべての出会いに感謝です🙏
嫁さん曰くお参りに来てくれた親戚に葬儀の話をしたら皆さんびっくり
なかには戒名つけなくてもいいんだ!😳
いやいやクリスチャンには戒名ないし(笑)
つけたければ永代供養してもらうところに頼んだらいいだけのこと。
私個人もお経より聖書の方が馴染みがある。
なので死生観もおそらく多くの方とは違うんじゃないかな。
私は別に「死」で全てが終わると思っていない。
昔、本で読んだか人から聞いたかは忘れたけど、死後の世界の行き先は自分が今までどう生きてきたかで決まると。
私利私欲第一に生きてきた人は私利私欲で生きてきた人ばかりの世界へ。誠実に生きてきた人は誠実な人ばかりの世界に。
三次元のなかでしか動けない肉体を離れて死後の世界はどこでも思ったところに行ける。
まぁ想念の世界。
それを聞いて?読んで?なるへそ!💡
私はとても単純なので以来この考えをベースに生きている。
もうひとつ私の生き方に決定的に影響している考え方がある。
沖縄への水上特攻作戦を命じられた戦艦大和の乗組員のなかで意見の衝突があった。
そりやそうだ、勝ち目のない無駄死にだと思う人間の方が多いだろう。
目の前に迫った「死」
せめて意味のある「死」にしたい。
軍人なら誰でもそう思うだろう。
その衝突を収めたのがこの言葉。
事実は異なるという指摘もあるそうだが、ことの本質はそこではない。
この言葉の持つ意味は実に深い。
「進歩のない者は決して勝たない
負けて目覚める事が最上の道だ
日本は進歩という事を軽んじ過ぎた
私的な潔癖や徳義に拘って、本当の進歩を忘れてきた
敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか
今目覚めずしていつ救われるか
俺達はその先導になるのだ。
日本の新生に先駆けて散る。
まさに本望じゃあないか」
— 臼淵 磐
これは昔読んだ「戦艦大和ノ最期
吉田満著からの一節。
以来、特攻で逝った先達に恥ずかしくない生き方をするというのが自分の行動指針になってる。
おそらくあの世に逝ったらお会いするでしょう😊
「死」が終わりだと思っていて、終わりじゃなかったらそれこそ取り返しがつかない😅
生き返って生き直すのは不可能だからね😆
なので「死」が終わりではないと考えて自らを律しながら生きた方がリスクが少ないのでは(笑)
さて本日は一週間の締め日。
自己なく怪我なく、皆さん、ご安全に(^_^ゞ